破語乱語 Broken Words

コトバハ破レ、千々ニ乱ル

下北沢シンドローム?

2006-07-24 | 下北沢
今発売中のTV情報誌、「TVBros」が面白い。
表紙全体が「下北沢」の文字のコラージュのようになっていて、巻頭に
計6ページの下北沢特集が載っている。頁数としては大したものじゃなさ
そうだけれど、この中身の濃さが、なかなかハンパじゃないのだ。
とりわけ、街をつぶす新規の道路建設に反対する運動のつながりで、私も
親しくさせていただいているジャズバー「LADY JANE」のオーナーである
大木さんの談話(8ページに載っている)は、味読する価値があると思う。

ところで、かなり幅広い読者を対象とする「TVBros」のような雑誌に
下北沢の特集が載ったりするのは、今、下北沢が、テレビや映画などで
ちょっとしたブームのようになっているからだ。上戸彩嬢が主演のTV
ドラマ「下北サンデーズ」が現在放映中(木曜夜9時~、TV朝日)だし、
今週の末からは、竹中直人主演の映画「男はソレを我慢できない」が
渋谷のシネ・アミューズで封切られる。――この映画は、まさしく下北沢
が舞台になっていて、商店街でもこの映画を歓迎しているらしく、今、
下北沢の街は、この映画のバナーで埋めつくされているかのような状態
なのだ。

しかも、ノンフィクション的な手法で下北沢に生きる人間たちの姿を
描いた「下北沢」という小説(リトルモア刊)までが出版されたばかり
でもあって、今の下北沢には、「どうも普通じゃない」空気が充満して
いるような気がする。ちなみに、この「下北沢」の著者の藤谷治さんは、
下北沢でもとりわけディープな一角にある「フィクショネス」という
書店のオーナーで、私も何度かお会いしている。

実は、下北沢が注目を集めそうな話題はこれ以外にもあるのだけれど、
消化不足になってもいけないので、これぐらいにしておかないと――。

ともかく、「TVBros」、コンビニでも売っているので買いに行きましょう!
この号の200円は、マジで安いと思う。

「MOMPOU自身によるMOMPOU」

2006-07-11 | 音楽
先日、新宿で友人と待ち合わせた際、少し時間が空いたので、南口のタカシマヤ
の上のHMVに寄り、CDなどを物色した。

ちょうどセールをやっていて、安くなっていたJAZZのDVDを買ったりしたが、
クラシックのコーナーも覗いてみると、以前にも見かけて気になっていた
MOMPOUのピアノ作品集が、CD4枚組のセットで1500円ほどという驚きの安さ
だったこともあって、迷わず購入した。

正直なところ、このCDセットを入手するまでは、MOMPOUについて、詳しいこと
は何も知らなかった。ただ、FEDERICO MOMPOU(フェデリコ・モンポウ)という
名前や、ボックスの裏に記された曲名などから、スペインの作曲家であることは
間違いなさそうだし、1893-1987という生没年からすると、「現代音楽風」の
作品を書いた人なのだろうという見込みだけはあった。

実は私は、ファリャFalla、アルベニスAlbeniz、グラナドスGranadosといった
スペインの近現代の作曲家のピアノ作品に近年、強く惹かれていて、とくに、
アルベニスの「Iberia」やグラナドスの「Danse espagnol」のスタイルや響きの
比類のない美しさには、心底感嘆している。

そしてMOMPOUも、これらの巨匠たちと類縁関係にある人なのだろうと考えた
わけだが、この予想はうれしい驚きとともに的中した。購入したCD4枚組のセット
が破格の安さであることは事実だけれど、入手したのにはもう一つ大きな理由が
あって、それは、このCDが作曲者であるMOMPOU自身の演奏を収めたものであり、
つまり、これによって「MOMPOU自身によるMOMPOU」を聴くことができる、と
いうことだ。

作曲家自身の演奏としては、ピアノであればラフマニノフやラヴェルがいるし、
ヴァイオリンならクライスラーやサラサーテの演奏もよく知られている。しかし、
残念ながら彼らの演奏はいずれもレコード創世期の頃のもので、音質の点では
あくまでも「マニア向け」のものということになるだろう。

それに対して、このMOMPOU自身による演奏が録音されたのは1974年のこと
らしく、音質はまずまずだし、何といっても、当時MOMPOUはすでに80歳を
越えていたことになるけれども、演奏にことさらな「老い」は感じられず、
指さばきは手がたく軽やかで、随所で若々しくつややかな響きを聴かせてくれる。

まだよく聴き込んではいないし、作品自体について、何か断定的なことを言える
ほどの知識も私にはない。しかし、「現代音楽風」の新奇さや難解さとは一線を
画しながらも、MOMPOUの音楽には、たしかに現代の音楽だと感じられるような
響きがふんだんに織り込まれていて、とても好ましい。

おそらく、MOMPOUの作品は、今後、20世紀の古典として、より多く演奏され、
より広く聴かれるようになるに違いない。その流れの中で、幸運にも私たちに
遺された「MOMPOU自身によるMOMPOU」は、きっと、いよいよ輝きを増して
ゆくことだろう。

この夏、あなたが何か新しい音楽に出会いたいのであれば、この「MOMPOU自身
によるMOMPOU」を候補にしてみる価値は、十分にありそうだ。