おそらく、知っている人はごく少数だろうと思うけれど、渋谷で、駅と
その周辺の大規模な再開発プロジェクトが動き出そうとしている。
現在でも渋谷は、JR、東急の東横線と田園都市線、そして地下鉄の銀座線と
半蔵門線が乗り入れている全国でも屈指の巨大ターミナルだけれど、来年には
地下鉄がもう1線(東京メトロ13号線)乗り入れることになっているので、
それに合わせて駅とその周辺を一体的に「整備」しようということらしい。
ただ、このプロジェクトを取りまとめる立場にある(はずの)渋谷区が掲げて
いるプランは、まったくいただけない。2棟の超高層ビルを建設し、適度に
歩行者デッキをからめるだけのこのプラン(「渋谷駅周辺整備ガイドプラン
21」というらしい)には、“渋谷ならば”というオリジナリティがまったく
感じられないし、どうひいき目に見ても、各路線の接続等の工学上の必要や、
JR他の地権者にとっての<経済効率>以外には何も考えていないのだろう――
と思わずにいられないほどの“無様さ”なのだ。
つまり、ここでもまた、行政(や企業)にまかせているだけでは、取り返しが
つかないほどの破局的な「結果」をつき付けられることになる――という構図
が露呈しているのだと思う。……まあ、ここまでならば、現代の日本人にとって
はおなじみの“失望の物語”が、また一つ生まれたというだけのことで終わり
かもしれない。
しかし、実はそうではないのだ。この行政主導の(実際にそうなのかどうかは
疑わしいが)プランのあまりの無様さと拙劣さに愕然とした(というのは私の
推測だが)渋谷在住の建築家が中心になり、商店会の人たちの協力も得て、
「渋谷の未来B」という素晴らしい代替案を作成し、行政やJR、東急等の利害
関係者に提案しているのだ。
この「渋谷の未来B」というのがどのようなものかは、以下の記事を読んで
いただくのが何よりだと思うが、もし、この日本に「都市計画」というものが
適切に行われるような土壌があるならば、行政が提示しているプランよりも、
この「未来B」の方が圧倒的な優位性をもっていることは、細かく論証する必要
さえないほどに明白だと私は思う。
http://www.pingmag.jp/J/2005/09/12/shibuya-common/
「渋谷の未来B」は、巨大ターミナルという都市交通上の機能について、ほぼ
完璧といってよい解を導き出しているだけでなく、現在、JRや東急、地下鉄の
駅とデパートがある空間に、樹々におおわれた丘のようにも見える巨大な建造物
を出現させるという、とてもダイナミックで魅力あふれるプランなのだ。
しかも、特筆すべきなのは、全体のスケールの大きさにもかかわらず、この
プランは決して表面的な「デザイン優先」に陥っておらず、それ自体が一つの
都市でもあるかのように、豊かな広場・歩行空間を内包していることをはじめ
として、あくまでも“人間が主役”という視点なり思想で貫かれているように
見える、ということだろう。
端的にいって、明るい話題に乏しい現代の日本の「都市」が置かれている状況の
中で、「渋谷の未来B」のようなプランが生まれたことは稀有のことであり、
奇跡に近いとさえ私は思う。そういうと、六本木ヒルズや表参道ヒルズがある
ではないか――という反論が返ってきそうだが、あれらの「話題のスポット」が
どれだけ“時の試練”にたえられるかは、とても疑わしいと私は思う。よくて
30年が限度で、50年後には消滅している可能性も大きいのではないだろうか。
一方、「渋谷の未来B」の場合は、必要なケアさえなされれば、50年は何の
問題もなく、100年後にも立派に生き残ることができるのではないか――という
気がする。そして、この、“時の試練”にたえられるということこそが、都市の
ステイタスの根幹にあるべきことなのだ。
――以上のように見てくると、渋谷にとってこの問題は、単に「駅とその周辺」
だけの問題ではないということがわかるだろう。しかし、これまでのところ、
どうも渋谷区の行政マンや区長、区議会議員、そして一部の関係企業なども、
この基本を一向に理解できていないらしい。これは、由々しき事態だといわねば
ならないかもしれない。
なぜなら、「渋谷の未来B」は、渋谷という街に育ち、そこで生き、そこで人生の
一部に他ならない貴重な時間を過ごすすべての人間にとっての“夢見る権利”を
具体化したようなプランに他ならないからだ。十分に検討することもなくこの
プランを圧殺し、葬り去るようなことは、人間と、その創造性を冒涜することで
あって、決して許されるべきことではないだろう。
では、私たちに何ができるのかについては、また改めて考えてみたい。
その周辺の大規模な再開発プロジェクトが動き出そうとしている。
現在でも渋谷は、JR、東急の東横線と田園都市線、そして地下鉄の銀座線と
半蔵門線が乗り入れている全国でも屈指の巨大ターミナルだけれど、来年には
地下鉄がもう1線(東京メトロ13号線)乗り入れることになっているので、
それに合わせて駅とその周辺を一体的に「整備」しようということらしい。
ただ、このプロジェクトを取りまとめる立場にある(はずの)渋谷区が掲げて
いるプランは、まったくいただけない。2棟の超高層ビルを建設し、適度に
歩行者デッキをからめるだけのこのプラン(「渋谷駅周辺整備ガイドプラン
21」というらしい)には、“渋谷ならば”というオリジナリティがまったく
感じられないし、どうひいき目に見ても、各路線の接続等の工学上の必要や、
JR他の地権者にとっての<経済効率>以外には何も考えていないのだろう――
と思わずにいられないほどの“無様さ”なのだ。
つまり、ここでもまた、行政(や企業)にまかせているだけでは、取り返しが
つかないほどの破局的な「結果」をつき付けられることになる――という構図
が露呈しているのだと思う。……まあ、ここまでならば、現代の日本人にとって
はおなじみの“失望の物語”が、また一つ生まれたというだけのことで終わり
かもしれない。
しかし、実はそうではないのだ。この行政主導の(実際にそうなのかどうかは
疑わしいが)プランのあまりの無様さと拙劣さに愕然とした(というのは私の
推測だが)渋谷在住の建築家が中心になり、商店会の人たちの協力も得て、
「渋谷の未来B」という素晴らしい代替案を作成し、行政やJR、東急等の利害
関係者に提案しているのだ。
この「渋谷の未来B」というのがどのようなものかは、以下の記事を読んで
いただくのが何よりだと思うが、もし、この日本に「都市計画」というものが
適切に行われるような土壌があるならば、行政が提示しているプランよりも、
この「未来B」の方が圧倒的な優位性をもっていることは、細かく論証する必要
さえないほどに明白だと私は思う。
http://www.pingmag.jp/J/2005/09/12/shibuya-common/
「渋谷の未来B」は、巨大ターミナルという都市交通上の機能について、ほぼ
完璧といってよい解を導き出しているだけでなく、現在、JRや東急、地下鉄の
駅とデパートがある空間に、樹々におおわれた丘のようにも見える巨大な建造物
を出現させるという、とてもダイナミックで魅力あふれるプランなのだ。
しかも、特筆すべきなのは、全体のスケールの大きさにもかかわらず、この
プランは決して表面的な「デザイン優先」に陥っておらず、それ自体が一つの
都市でもあるかのように、豊かな広場・歩行空間を内包していることをはじめ
として、あくまでも“人間が主役”という視点なり思想で貫かれているように
見える、ということだろう。
端的にいって、明るい話題に乏しい現代の日本の「都市」が置かれている状況の
中で、「渋谷の未来B」のようなプランが生まれたことは稀有のことであり、
奇跡に近いとさえ私は思う。そういうと、六本木ヒルズや表参道ヒルズがある
ではないか――という反論が返ってきそうだが、あれらの「話題のスポット」が
どれだけ“時の試練”にたえられるかは、とても疑わしいと私は思う。よくて
30年が限度で、50年後には消滅している可能性も大きいのではないだろうか。
一方、「渋谷の未来B」の場合は、必要なケアさえなされれば、50年は何の
問題もなく、100年後にも立派に生き残ることができるのではないか――という
気がする。そして、この、“時の試練”にたえられるということこそが、都市の
ステイタスの根幹にあるべきことなのだ。
――以上のように見てくると、渋谷にとってこの問題は、単に「駅とその周辺」
だけの問題ではないということがわかるだろう。しかし、これまでのところ、
どうも渋谷区の行政マンや区長、区議会議員、そして一部の関係企業なども、
この基本を一向に理解できていないらしい。これは、由々しき事態だといわねば
ならないかもしれない。
なぜなら、「渋谷の未来B」は、渋谷という街に育ち、そこで生き、そこで人生の
一部に他ならない貴重な時間を過ごすすべての人間にとっての“夢見る権利”を
具体化したようなプランに他ならないからだ。十分に検討することもなくこの
プランを圧殺し、葬り去るようなことは、人間と、その創造性を冒涜することで
あって、決して許されるべきことではないだろう。
では、私たちに何ができるのかについては、また改めて考えてみたい。