温泉はいいなあ
松山の娘が帰っていたので、風呂でも入りに行こうかと
朽木てんくう温泉に夕方から行きました。
以前何回かテニス合宿をしたことがあり
家族では、孫を連れて毎年この施設のバンガローを借りてキャンプをしていました。
この近くの朽木ゴルフ倶楽部は、時々来ますので馴染みのある所です。
松山の娘が帰っていたので、風呂でも入りに行こうかと
朽木てんくう温泉に夕方から行きました。
以前何回かテニス合宿をしたことがあり
家族では、孫を連れて毎年この施設のバンガローを借りてキャンプをしていました。
この近くの朽木ゴルフ倶楽部は、時々来ますので馴染みのある所です。
高校野球は ドラマが生まれる
今年の決勝戦も感動した
一瞬の心の緩みが 逆転された
最後まで諦めなかった佐賀北ナイン
人生も然り
奈落の底が いつも待っているんだ
今年の決勝戦も感動した
一瞬の心の緩みが 逆転された
最後まで諦めなかった佐賀北ナイン
人生も然り
奈落の底が いつも待っているんだ
忘れていてごめんなさい
8月16日は母の命日です。もう56年の年月が過ぎました。
今年の8月16日も 大文字の送り火が夜空を焦がしていました。
NHKハイビジョンでは、NHK特集として五山の送り火を生中継で詳しく紹介していました。
五山それぞれに伝統があり特徴があることなど、今まで知らなかったことを放映されていたので、つい長い時間興味深く見ていました。
この「妙」を見て、ふと母のことを思い出したのです。
〇〇院浄譽妙淑大姉 そうだ16日は母の命日だったなあ。
私はお寺の末っ子 甘えん坊で育ちました。高校を出たころに母が病気になったのです。
当時は戦後医療も乏しい時代でした。少し離れたところから自転車で、お医者さんが往診に来て下さっていたのです
脳溢血で意識もあまりありませんでしたが、あるとき私が側に座って母の顔を見ていると、
少し目を開けて
「お前はまだ小さいのう・・・」と言ってしげしげと私を見ていました。
私のことが気掛かりだったのでしょうね。私はポロポロと涙がでました。
母は、「男は 親が死んでも泣くものではないよ」 「うん 分かった」
しばらくして母は目をつむりました。
その翌朝10時に母は亡くなったのです。享年60歳
母は泣くなと言ったけど、私は外に出て思いっきり声をあげて泣きました。
夏の暑い日 お寺の境内は蝉がジージーと鳴いていたのを思い出します。
それ以後、通夜のときも葬儀のときも泣きませんでした。母との約束を守ろうとしたのかも知れません。
あれからもう56年が過ぎました。母のこともあまり思い出すこともありませんでした。
今思うと、8月16日大文字の火に送られて母は逝ったのでした。
お母さん忘れていてごめんなさい・・・いま私の目から涙がこぼれています。
そして私は、お母さんより長く生きているのです。
8月16日は母の命日です。もう56年の年月が過ぎました。
今年の8月16日も 大文字の送り火が夜空を焦がしていました。
NHKハイビジョンでは、NHK特集として五山の送り火を生中継で詳しく紹介していました。
五山それぞれに伝統があり特徴があることなど、今まで知らなかったことを放映されていたので、つい長い時間興味深く見ていました。
この「妙」を見て、ふと母のことを思い出したのです。
〇〇院浄譽妙淑大姉 そうだ16日は母の命日だったなあ。
私はお寺の末っ子 甘えん坊で育ちました。高校を出たころに母が病気になったのです。
当時は戦後医療も乏しい時代でした。少し離れたところから自転車で、お医者さんが往診に来て下さっていたのです
脳溢血で意識もあまりありませんでしたが、あるとき私が側に座って母の顔を見ていると、
少し目を開けて
「お前はまだ小さいのう・・・」と言ってしげしげと私を見ていました。
私のことが気掛かりだったのでしょうね。私はポロポロと涙がでました。
母は、「男は 親が死んでも泣くものではないよ」 「うん 分かった」
しばらくして母は目をつむりました。
その翌朝10時に母は亡くなったのです。享年60歳
母は泣くなと言ったけど、私は外に出て思いっきり声をあげて泣きました。
夏の暑い日 お寺の境内は蝉がジージーと鳴いていたのを思い出します。
それ以後、通夜のときも葬儀のときも泣きませんでした。母との約束を守ろうとしたのかも知れません。
あれからもう56年が過ぎました。母のこともあまり思い出すこともありませんでした。
今思うと、8月16日大文字の火に送られて母は逝ったのでした。
お母さん忘れていてごめんなさい・・・いま私の目から涙がこぼれています。
そして私は、お母さんより長く生きているのです。
以前 北海道のお土産といえばバター飴だった
今は チョコレート「白い恋人」
5月に北海道へ行ったとき お土産に買って帰った
この会社ブームにのっていた
「ここが白い恋人の会社です」とバスのガイドが説明した
北海道の自慢の一つのようだった
順風満帆のときほど「ふんどしの紐を締めよ」
人生の教訓であるが つい気をゆるし どん底に落ちてしまう
こんなことが日常茶飯事に起きている
欲を出すな 地道に生きよ の教訓である
今は チョコレート「白い恋人」
5月に北海道へ行ったとき お土産に買って帰った
この会社ブームにのっていた
「ここが白い恋人の会社です」とバスのガイドが説明した
北海道の自慢の一つのようだった
順風満帆のときほど「ふんどしの紐を締めよ」
人生の教訓であるが つい気をゆるし どん底に落ちてしまう
こんなことが日常茶飯事に起きている
欲を出すな 地道に生きよ の教訓である
今夜は 京都五山の送り火
如意ケ嶽 夜8時に点火され それを合図に他の山が点火されます
戦時中は、敵の攻撃目標になると中止されたこともある
当時国民学校生徒たちが 白い服を着てこの山に登り
大の字に並んで白い旗を振って 精霊を送ったこともありました
左大
衣笠大北山 金閣寺の北側にあります
妙法
妙法は 松ヶ崎西山と松ヶ崎東山に分かれています
弘法大師が書いた文字を山に刻んだと云われ
この文字が点火されるのです
妙の字は 宝ケ池球戯場の目の前なので この日は開放されています
船形
西賀茂船山にあります
鳥居形
市内からは見えないのですが 嵯峨鳥居本曼茶羅山にあります
この夜は 火の見える場所に集まった人たちが
鐘を叩き お経を唱えて精霊を送るのです
宗教行事ですが 市の観光行事にもなっています
写真は京都新聞より
如意ケ嶽 夜8時に点火され それを合図に他の山が点火されます
戦時中は、敵の攻撃目標になると中止されたこともある
当時国民学校生徒たちが 白い服を着てこの山に登り
大の字に並んで白い旗を振って 精霊を送ったこともありました
左大
衣笠大北山 金閣寺の北側にあります
妙法
妙法は 松ヶ崎西山と松ヶ崎東山に分かれています
弘法大師が書いた文字を山に刻んだと云われ
この文字が点火されるのです
妙の字は 宝ケ池球戯場の目の前なので この日は開放されています
船形
西賀茂船山にあります
鳥居形
市内からは見えないのですが 嵯峨鳥居本曼茶羅山にあります
この夜は 火の見える場所に集まった人たちが
鐘を叩き お経を唱えて精霊を送るのです
宗教行事ですが 市の観光行事にもなっています
写真は京都新聞より
今日はお盆の15日、我が町は暑さにうだっていて人影も見えません。
そして終戦記念日なのです。
この日もこのように暑い日でした。私は中学2年で、短い夏休み中だったのです。
私が住んでいたところは、大阪を空爆したB29爆撃機が帰る道筋になっていました。
空一面に大きな敵の飛行機の編隊が、空一杯に広がり、それも低空で悠々と飛んでいくのです。
爆弾は大阪で落とした後で、特に怖くはありませんでしたので、木陰に隠れて見ていました。
日本の飛行機は、すべて南方方面で撃墜されていたので、それを迎え撃つ戦力はすでに無かったのです。
ところが、この日は朝からB29は一機も飛んできませんでした。
母は「今日は静かだね、どうしたんだろうね」と言っていたのを思い出します。
やがて重大放送があるので聞くように。との通達がありました。
性能の悪い真空管式のラジオは、音も小さく雑音もひどくて、さっぱり分かりませんでした。
そんなラジオでも、一日中つけておかないといけなかったのです。
それは、次のような放送が頻繁に流されるからです。
「敵機の編隊が備後水道を北上中」とか「OO地方は空襲警報発令」とかです。
それを聞いて私たちは防空壕に入ったりして避難するのでした。
昭和20年8月15日の日は、朝からこんな放送もなく、飛行機も飛んでこず静かだったのです。
やがて人づてに「日本は負けたらしい」と伝わってきました。
「アメリカ兵がやってきて、私たちは皆殺されるから家から出ないように。」とか色々な噂が流れたのです。
やがて日本は平和になり繁栄していったのですが、長年たった現代では、すでに過去の歴史になってしまいました。そして、平和を実感する人も少なくなってしまったように思います。
そして終戦記念日なのです。
この日もこのように暑い日でした。私は中学2年で、短い夏休み中だったのです。
私が住んでいたところは、大阪を空爆したB29爆撃機が帰る道筋になっていました。
空一面に大きな敵の飛行機の編隊が、空一杯に広がり、それも低空で悠々と飛んでいくのです。
爆弾は大阪で落とした後で、特に怖くはありませんでしたので、木陰に隠れて見ていました。
日本の飛行機は、すべて南方方面で撃墜されていたので、それを迎え撃つ戦力はすでに無かったのです。
ところが、この日は朝からB29は一機も飛んできませんでした。
母は「今日は静かだね、どうしたんだろうね」と言っていたのを思い出します。
やがて重大放送があるので聞くように。との通達がありました。
性能の悪い真空管式のラジオは、音も小さく雑音もひどくて、さっぱり分かりませんでした。
そんなラジオでも、一日中つけておかないといけなかったのです。
それは、次のような放送が頻繁に流されるからです。
「敵機の編隊が備後水道を北上中」とか「OO地方は空襲警報発令」とかです。
それを聞いて私たちは防空壕に入ったりして避難するのでした。
昭和20年8月15日の日は、朝からこんな放送もなく、飛行機も飛んでこず静かだったのです。
やがて人づてに「日本は負けたらしい」と伝わってきました。
「アメリカ兵がやってきて、私たちは皆殺されるから家から出ないように。」とか色々な噂が流れたのです。
やがて日本は平和になり繁栄していったのですが、長年たった現代では、すでに過去の歴史になってしまいました。そして、平和を実感する人も少なくなってしまったように思います。
夜中 暑くって目がさめた
エヤコンをつけようかと思ったけど
そのまま眠ってしまうと 風邪を引くので・・・
それにしても暑い !
冷蔵庫からアイスノンを・・・
頭にのせると 涼しくなった
いつまでつづくのやら・・・
アーあ もう やってられんなー
エヤコンをつけようかと思ったけど
そのまま眠ってしまうと 風邪を引くので・・・
それにしても暑い !
冷蔵庫からアイスノンを・・・
頭にのせると 涼しくなった
いつまでつづくのやら・・・
アーあ もう やってられんなー
夏の風物詩
B子からノートパソコン直してくれと預かって帰りました
システムを入れ替えるのでリカバリソフトがほしい・・・
そんなもの無いよ とのこと紛失したらしい
取りあえず持って帰り 私のXPをインストールしたら
正常に戻りました
B子に連絡したら 今日それを取りにやってきました
今届いたと 先日ネットで注文したプリンターも持ってきました
ドライバーをインストールすると きれいに印刷出来ました
一件落着ってことか
女房は近所の人に誘われて、琵琶湖の花火大開へ出かけています
現在夜の11時50分 まだご帰還ではありません
B子からノートパソコン直してくれと預かって帰りました
システムを入れ替えるのでリカバリソフトがほしい・・・
そんなもの無いよ とのこと紛失したらしい
取りあえず持って帰り 私のXPをインストールしたら
正常に戻りました
B子に連絡したら 今日それを取りにやってきました
今届いたと 先日ネットで注文したプリンターも持ってきました
ドライバーをインストールすると きれいに印刷出来ました
一件落着ってことか
女房は近所の人に誘われて、琵琶湖の花火大開へ出かけています
現在夜の11時50分 まだご帰還ではありません