ゆううつ気まぐれふさぎ猫

某ミステリ新人賞で最終選考に残った作品(華奢の夏)を公開しています。

突発的

2010-05-30 11:37:48 | 雑記
くしゃみの来襲。

どうやら花粉にやられたらしい。もはや風物詩ともいえる春先のスギだけでなく山里には四季折々の花粉が舞い飛ぶ。
原因物質は何だ。
稲はもう終わった。ミカンは過ぎた。セイタカアワダチソウはこれからだし。ススキは時期尚早。

栗だ。

先日と先々日は使い物にならなかった。
あれこれとブログネタを考えていたのに。

悪魔の花嫁の話とか、推敲作業の進捗状況とか、山田風太郎すごいぞ、と改めて叫ぼうと目論んでいたのだが、鼻炎薬の効き目か、まだほんのりと脳みそが火照っている。

今日は少し調子がいいのでちょっとだけトッポ話を。



日本に米軍基地はいらない、と言うのならどうだろう、いっそのこともう一度彼の国と戦争してみては。
勝てば当然すべての基地は日本のもの。そこで働くのは四十八番目の県から集めたアメリカ系日本人の屈強な男たち。
負ければ旧日本国の領土は合衆国の属州のひとつ。そこにあるのは紛れもないアメリカ軍基地だ。
どうだね、福島君。
問題はいったい誰が戦うかだ。総力戦になるんだろうなあ、きっと。


というような与太話は無視して下さって結構です。


静かな風景

2010-05-23 18:02:01 | 雑記
しゃらん。


その響きを最後に、すべての音が止む。
真夏の真昼すぎ、晴れた日にときおり感じるその瞬間。
さっきまで確かに木立を騒がす蝉の声があったのに。テレビの音もやかましい。エンジンの唸る音。人の声。そのすべてが掻き消えてしまう。漂白される。自分がどこか別の空間に瞬時に移動したのではないかという錯覚。けれど、目の前の光景は変わらない。何故。

こんな状態を示す言葉をようやく見つけた。

「昼ひそむ」

ああ、これだったんだ、私の感覚は──と納得。


風鈴売荷をあげてゆき昼ひそむ
   
          富田木歩


最後の音は、「しゃらん」。風鈴のガラスがいっせいに揺れる音。軽くて涼やかなその音色を残して、昼がひそむ。すべての音と光と影がうずくまる。一瞬よりもはかない一刹那。
静かな風景を切り取る目と耳の持ち主、木歩は関東大震災で命を落とした俳人。
享年二十七。



岸田劉生の坂道の絵のことを思い出す。
そこには誰もいない。坂道と草花と、うすい光と物の影だけだ。静謐な画面は確かな描写で構成されている。そこに何ら不思議なものの入る余地などない。当たり前にいつでも誰でもが目にすることのできる光景。
それなのに何故、「幻想的」なのだろう。静かすぎるから。ついさっきまで生き物の気配があったはずなのにそれが瞬時に消え失せたかのような気配がするから。
わからない。
写実を突き詰めたその先に「幻想」は生まれる、そんな確信めいた直感に襲われた。



たくさんありすぎる。とうてい食べきれない。そんな困惑の言葉を最近目にした。
甘味、苦味、酸味、辛味、あとほかに旨味だったか(ちがった。塩辛さ、だった)、それを捉えて判別できる舌を鍛えればいいのじゃないかな。食材はどこにでも転がっている。自分の舌が信用できるなら、あとは修行次第で君も一流の料理人。世界中の料理など食べきれるわけなどない。ましてや、多くの料理を腹に詰め込んだからってそれで料理人としての腕が上がるわけでもない。
まずは五感の鍛錬だな。そのためには素材本来の味をしっかりと体に叩き込むべし。


というわけで、まるで原液のようなミステリを堪能中。きついぞ、これは。うっかり舐めただけで眩暈がする。しばらく起き上がれない。
「厨子家の悪霊」の幻惑。いったい何度どんでん返しをすれば気が済むんだ、と悲鳴をあげる。現代の(本格)ミステリ作家ならこの素材で上中下、三巻仕立ての超巨編とやらを書き上げてしまうぞ、きっと。
「司祭館の殺人」の設定には、やられました。書きたいです、この人物設定を借りてミステリを。なんと魅惑的な。こんなの先にやられたら、後から生まれたものはその原液を薄めたり、あれこれ混ぜ合わせて別のカクテルを作るしか道が残されていないじゃないですか、風太郎先生。

確実に酩酊できます。山田風太郎「眼中の悪魔」。



あれ。
私はいったい何をしているんだろう。推敲作業も、一章分を編集部に送って以来、減速気味。やっぱり期限がないとだらけるのか。
というわけで、ここで宣言。
太宰治の「桜桃忌」(頃)までには推敲仕上げます。
(それまでに編集氏から連絡があればよいのですが)


雨の中、雑文を連ねてみました。


甘夏、美味。


海賊の血が騒ぐとき

2010-05-16 14:35:15 | 雑記
海賊ネタを再び。


私はどちらかというと車の運転には慎重である。自分の運動能力を信用していないせいでもあるが、突如暴走する自らの性癖を自覚しているためである。

制限速度を(なるべく)超えない。冬場の三時頃にはライトを点灯。車間距離はたっぷり三台分。横断歩道の減速等、まさに安全運転の鏡(?)。

と、こ、ろ、が。

そんな私の神経を逆撫でするヤツがいる。左右からの割り込みだ。左に頭の先っぽをちろっと覗かせた車を確認するや否や私は叫ぶ。
「だー!おまえ、何様のつもりじゃ、ボケ。国道に出たいなら、信号あるとこから出ろや。動くなよ、動くなよ。動くなって言ってるだろが。脇腹、ぶち込むぞ」
のたのた進む車の中でよもやこんな暴言が吐かれてるとは。
そして前方に右折しようとする車を発見するや、
「こらあ!なにしよんぞ。直進優先やろが。わしがのろのろ走っとるって。これはなあ、法定速度なんじゃ、ボケ。出るとこ出たってええんぞ、われ」
と、まさに気分は「仁○なき戦い」。

といって、アクセル全開バリバリにエンジンふかすわけでもなく、外から見ればとろとろと進んでいるわけで。
これはまさに、海賊の血のなせる業。
普段は海岸で打ち上げられた海藻を拾い、貝や魚を採り、痩せた土地で芋を作り、つましく暮らしている彼らも、ひとたび獲物の姿を発見するや洗いたての下帯を締め船に乗り込む。問答無用の略奪行為も生きるため。命を落とすもの、命を奪うもの、どちらも天のさだめと心得る。

純友の乱に付き従った海賊の血が、私には(多分)流れている。
世界海賊会議がもし開かれるとしたら、日本代表に立候補してもいいぞ。

という、お馬鹿な海賊ネタでした。