あの手 この手 究極の健康法 美容法を求めて

身体はもちろん、メンタルの健康も考える、究極の健康法の紹介。

丸山ワクチン 実例 ギリシャから訪れた重症患者

2014年09月13日 | がん療法

前回、「丸山ワクチンは効果があるのか」を紹介しましたが、

図書館のリサイクル本のコーナーに、丸山千里先生の書かれた本が

ありましたので、もらってきて読んでみると非常に有益な情報が沢山ありました。

この本はだいぶ古く、絶版になっているようなので、一部紹介したいと思います。

 


「丸山ワクチン」 丸山千里

ギリシャから訪れた重症患者

その日も、私は藤田敬四郎博士とともに、きょう丸山ワクチンを受け取りにこられた

二百人を超えるガン患者の、診断書や経過報告書の整理に忙殺されていた。

1974年11月4日のことである。

「あなた方はそろそろお帰りになってけっこうですよ」

事務を手伝ってくれている女性たちに、そう声をかけたときである。

ワクチン療法研究室のドアがノックされ、見かけない人々三人が入ってこられた。

二人は外国人、一人は日本人である。外国人のうち一人は、金髪の若い女性で

なかなかの美人だ。ただし、顔色が悪い。

若い日本人の男性が、ギリシャ大使館勤務・松浦清博という名刺を差し出し、

もう一人の男性を、ギリシャ大使館事務官のプサタス氏であると紹介した。

 

プサタス氏は突然の来訪をわびたあとで、かたわらの女性の体を支えるように

しながら、私たちのこう告げた。通訳は松浦氏である。

「この女性はギリシャの歌手でヨアナ・パパジョウジョオさんといいます。彼女は

いま、卵巣がんにおかされて、たいへん悪い状態です。きょう突然大使館にこられて

丸山ワクチンをほしい、ぜひ丸山先生をさがし出して合わせてくれと言ってみえたのです」

 

私はあらためてパパジョウジョオさんを見た。齢は二十代の後半、

美しいブロンドの髪をもつ、彫の深いギリシャ美人である。しかし、頬のあたりが

げっそりとそげていて、色白の肌が生気を失って土色になったいる。

ただ、私を見つめるブルーの瞳だけが、異様にキラキラと輝いていた。

 

彼女は、在日ギリシャ大使館に、「これから行くのでよろしく」と電報を打っただけで、

病身の身で、ひとりアテネから東京まで飛んできたのだという。大使館では

事情がわからず、ただびっくりしているところへ、パパジョウジョオさんが到着。

彼女の病気と、丸山ワクチンにすがるしかないといういきさつを知った。

すぐに日本医大病院に電話し、ワクチン療法施設に丸山がいると聞いて、

とるものもとりあえず駆けつけてきたというわけだった。

とにかく椅子に腰をおろしてもらい、外国語の堪能な藤田氏が、あらためて

パパジョウジョオさん来日の経緯を聞き出した。

「卵巣がんです。あと二、三か月の生命しかない、とドクターに言われています」

パパジョウジョオさんは、ハンドバッグから一葉の写真を取り出した。

ピアニストだというご主人と彼女。まんなかに幼い子供がうつっている。

「このこと主人のために、わたしは少しでも生きたいのです」

そう語る涙ぐんだ顔に、彼女の必死の願いがこもっていた。

彼女は昔は堂々たる体格だったらしい。それが食欲がなくなって、

みるみる痩せてきた。お腹に鈍痛を感じるようにもなった。

 

アテネの病院に行って組織検査をしてもらった結果、卵巣ガンという診断であった。

日本では、ガンの場合、本人には病名を知らせることはまずない。だが、ギリシャでは、

未成年の患者を除いては、すべて本人に知らせるようである。

さて、パパジョウジョオさんは、最後の診断を受けた病院で、開腹手術を行う

ことになった。手術を受ければ治るのではないかという期待があった。

ところが、すでにガンは卵巣から腹膜に転移していて、切除が不可能という状態であった。

「お気の毒ですが、あと数か月の生命です」

そう言われたのである。どんなにショックだったことだろうか。(なんとか誤診であってほしい)

そう祈って、さらに大きな病院を訪れてみた。アテネの大きなガン病院である。

彼女はここの病院が発行した診断書をたずさえていた。


次回のブログに続く

 

コチラの写真には、左から藤田博士、丸山博士、そして歌手のパパジョウジョオさんが

写っています。

クリックすると拡大します。

 

 

コチラにも役立つ記事がたくさんあります。
↓↓↓↓↓

人気ブログランキングへ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿