修行の為、カルマ解消の為、徳を積む為、様々な定義が語られてきたが、果たして本当にそうなのか?
先日テレビの番組で深海生物が紹介されていた。
その時教授が「進化に、実は何の意味もない」と紹介していた。
様々な突然変異が起こり、生物は色々な形に変化してみる。
その結果生き残ったものが環境に適応していて子孫を残しているのだと。
深海では光の成分のうち、「青」以外は全て途中で消えてしまい青だけの世界になる。
食物連鎖で魚も他の魚に食べられる。
だから食べられないように、とは考えていないであろう。
魚の体も青や黄色、赤等様々なものがいたであろうが、青の世界では赤は見えない。
だから結果として体が赤い魚は食べられる確率が減り、結果生き残る。
そんな事が繰り返されてきて深海では赤い魚が多いという。
深海は暗い。
自分が食べられないように敵を見つけたい。
いや、獲物を見つけたいの方が正解か。
その為に暗い中で目を凝らす。
結果目が大きくなり、暗闇でも見えるようになる。
これは「進化」と呼べるのではないだろうか?
人間社会でも様々な事が行われている。
色々な会社が色々な製品を次々生み出しては発売する。
結果市場に受け入れられた商品が生き残る。
なんとなく共通の法則性が感じられる。
現代の考え方は人間の生命を非常に重視する。
太平洋戦争時代は、今ほど重要視されていなかった。
昭和の職人は、仕事を覚えるために「怪我をして一人前」という意味不明な事も言われていた。
現在では仕事中に怪我などしようものなら大騒ぎである。
戦国時代はもっと命は軽かった。
「殿の為」
「意地の為」
戦争時
「お国の為」
現在
「自分の為」
大局的な考えから個々へと変化してきている。
それに従い、~の為という焦点が自分へ当たる時間が増えてきたであろう。
結果、自分は何の為に・・・と考える事が多い。
異性に出会うと、「この出会いは何の為?」と考える人が増えているように思える。
事故が起こると、「この事故はなぜ起きた?」と考える。
理不尽な目に遭うと「どうして私はこんな目に遭うのだろうか?」と考える。
何かに意味を求める事が増えている。
これは私だけではないであろう。
検索ランキングのキーワードを見ても、なぜ?と検索する人が非常に多い。
そんな人がこのブログにも多数訪れてくる。
「黙って言われたとおりにやれ!」
こう言われると不愉快な気持ちになる人が多いだろう。
しかし
「〇〇の為に必要だから、やって欲しい」
と言われると、「納得できる」事であれば、協賛し協力するであろう。
こうした考え方が人間にはごく当たり前にある。
そしてスピリチュアルの世界を覗いてみると、自分の身に起こりうるもしくは身近な人に起こりうる出来事に意味を見出したくなる。
だから情報の宝庫のインターネットで「なぜ〇〇が起きる?」と検索していく。
地球上の動物を見ていると、「進化論」は正しいと思える。
そして今現在「人間」がその先頭を走っていると思う。
まあ、これは定義により変わるから一般論として読んでいただきたい。
野生の動物には「喜怒哀楽」という「感情」が無いもしくは少ないように思う。
更に「理性」といった部分はやはり動物には少ないであろう。
人間がこうした感情や理性といった思考を持つようになったのは、動物の進化の延長線上にあるのか?
それとも生物とは違う「意識体」の影響で持つようになったのか?
つまり進化の延長線上に何かしらの意識体、今この意識体を総じて人々は「魂」とか「神」とか様々な呼び方をしているだろう。
こうした意識体の影響で、人間だけが社会を形成し、言葉を使い文化を発展させているのか。
猿社会もグループを形成しある種の社会を形成している事は知られているが、人間ほどではない。
ここはスピリチュアルを考えるとき、非常に重要である。
進化の延長線上に動物の意識の発展の結果、意識体のような物が作られると考えると、人間社会の歴史に沿って「魂」の世界が発展してきたと思える。
外部からの意識体が人体へ入り込んでいるとすれば、まるで違う世界が考えられる。
通称「あの世」と呼ばれる世界の「意思」と会話が出来る霊能者は結構存在する。
そして、あの世の意思から新しい「技術」を教えてもらい、それを元に人間社会で発明を行ったりしているという話もある。
そして人間社会の発展に合わせて新しい技術が取り入れられ、人間社会は進歩していく。
もしそうなら、人間社会は外部の意識体に操られているとも言えるであろう。
すると、操られているなら何かしら「意味がありそう」と思ってもあながち間違いではないだろう。
そのような操られている社会で何度も輪廻転生して人間をやっていると、様々な行いと経験をする事になる。
そうした経験等は全て意識体に何かしらの形で蓄積され、どこかへ蓄えられているかもしれない。
「ハイヤーセルフ」とも呼ばれているのはこの部分に当たるのだろうか。
人間が生きている世界は全て「振動」している。
振動は「波」とも呼ばれてその長さは「波長」という言い方で表されている。
様々な経験の記憶も波長としてどこかで振動していて、その振動の影響が生きている人間に影響を及ぼすという事も考えられる。
この波長には「善」「悪」という分類等は無く、人間社会に当てはめてみて人間が「喜怒哀楽」や「理性」の考え方で「善」や「悪」と意味づけをしている。
時代により考え方が違うように、この意識体の世界でも価値観が違っているとしたら、人間社会で「悪」と判定されたことも「無意味」とされるかもしれない。
また人間社会で「善」と思われることが、実は意識体の世界では「悪」とされる可能性もある。
更に、意識体の世界では「善」「悪」の判定等全く無い可能性もあるだろう。
そればかりは分からないが。
人間社会での意味はこの世界の人間が「意味付け」を行っている。
その上で、意識体の世界もしくは「霊界」とも呼ばれている世界を想像して「善」だの「悪」だのと考えているだけの可能性もあるであろう。
人間社会が操られているなら、どのような目的が?
こう考えると、これまで様々な宗教でも言われてきた事がどれも正解とも間違いとも言い切れない。
また進化の延長線上の話だとしたら、尚更であろう。
しかし人間社会も随分と長い事歴史を刻んできた(と人間の感覚で思っている)と思われる。
そして進化の延長線上でも、人間から発生したと思われる「霊」等が過去の歴史を積み重ねてきた結果、「霊界」にも社会構造のような世界が出来ているかもしれない。
霊能者の言葉として、神の世界でも様々な神が対立しており、その結果人間界が左右されるのだそうだ。
ある女性が、地面の下が透けて見えて「大地の神」のような存在が必死で地面を支えていて「だめだ、私だけでは支えきれない」という言葉を聞いたという。そしてその後、阪神淡路大震災が起こったと。
本当の事、錯覚、思い込み、これらの境目はどこにあるのだろう?
ウソは論外なので考える対象には入れない。
元々検証出来ない立証不可能なテーマを探索しているのだから仕方がないが、進化の延長で霊界が出来上がっていったのか、別の意識体が霊界と呼ばれているのか、どちらにしても何かしらの世界がありそうという事だけは信じたい。
こうした様々な角度から霊界を考えて、思考のパターンを増やしておくと、人間界で起こった出来事に対しての見方も増えるであろう。
自分自身も当初は考えがまとまらず、混乱し続けていた。
こうして文字として残すようになってようやく整頓されてきたのでシンプルに考える事が出来るようになったのだ。
しかしまだ道のりは長そうだし、もっと知らない事が沢山在りそうだ。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとう!
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視点や時間軸の長さが人間の認識できる単位ではないかもしれないですよね。
あまりにも長すぎて理解の範囲を超えてしまうという感じで。結果認識でいる範囲ではランダムに動いているだけと感じているかもしれないです(笑)
この辺りは本当に基準点が無いばかりに議論すら大変ですね。参ります。。。(^^;;;
元々、何も無い0から、生まれたことになる・・・
この0から、生まれるものは何らかの法則、
パターン化された世界しか生まないような気がします・・
が、世界を見渡すとあまり規則性は感じられず、
人間の意志しかり、ランダム性が強いように感じます。
それでも、この世界は複雑な方程式が絡み合って
ひたすら解を生み出し続けた結果なのだろうか(笑)
パラメータは時間?
時間のパラメータを1戻したり、1進めたりするだけで、
世界を前進させたり、戻したりできるのだろうか?
物理だけで考えると、そういうことになるんでしょうねー(笑)