晴れ、時々…。

過去、NewF-1を愛機とし、20年間離れ、2014年、新たにカメラを手にした。やはり、写真の世界は、格別だ…。

くちうるさいようだが

2017-05-18 22:03:17 | 日記
ゴールデンウィークも随分前のことのようになってしまった。
そのゴールデンウィークで写真を撮る「姿勢」をじっくりと見直していた。
しばらく街のスナップショットに傾注していたので、動物写真の勘を取り戻す意味もある。
待ち時間が異常に長いので、考える時間にはもってこいだった。

その日、しばらくぶりに野鳥を主に撮っている壮年の男性とフィールドで一緒になった。
撮影に関しての技術的な話を訊かれた。誰かに同様のことを聞いたらしく、確認の意味もあって、私に訊いたようだ。

以前にも話した親指フォーカス、露出においてのシャッタースピード、絞り、感度の考え方、フォーカスポイントの使い方などを持てる限りの技術と考え方で、小一時間ほど伝えた。
一朝一夕に全てができるわけではないと思うが、いつまでも撮りにくい設定や間違った考え方のままでは、納得できる写真を撮るのは難しい。

次にプリントの話になったので、中途半端な写真店にプリントを頼むくらいなら、自分で高級機を使って、プリントすることをお勧めしておいた。
過去の経験ではあるが、「いきつけのラボ」以外は信じない。
残念ながら「いきつけのラボ」は、しばらく写真を撮ることから遠ざかっている間に閉店してしまっていて、今は無い。
なので、決して安くは無いプリンタを使ってプリントしている。

ついでに作品や機材についてのポリシーを伝えた。
作品においては、基本として、撮った瞬間が勝負。時には、トリミングですら負けだと思う。
故に俗なレタッチは厳禁である。甘えた撮り方は、後の人達のためにはならない。

私とて、多少のコントラスト、彩度の調整はするが、それは度を越してはいけない。
散々プロの方々に言われて身にしみて、恥ずかしい気持ちになったこともある。
撮る時に考えなくなっては、おしまいなのだ。

また作品については、人の目に見える「作品」が全てだと考えている。題名以外は、要らないのだ。
逆に題名以外のことをいちいちくどくど書いたら、写真家として負けなのだ。
作品自体が語らなくて、何が写真、作品なのだろう。
そこにありったけの情景、瞬間、気持ちをこめて、見るものに伝えることが大事なのだ、と考える。

機材については、独特な視点から見ている。
「高価な機材を使うからには、志を高く持たねばならない。」
お金がいっぱいあるんだから、高価な機材を買って何が悪い、というのは、ごもっともなのはわかっている。
しかし、世には、その高価な機材に手が出ない志をもつ人は、少なからず居ると想定する。
高価な機材を持つからには、似合った写真を撮るべきである。
まぁ、訳もわからず高価な機材を売りつけられてしまった場合は、割り引くが…。

ついでに野鳥を撮るときには、環境第一であると。

彼は、得心したらしく、難しいが努力してみると話してくれた。

話すだけ話したら、腹が減ったので、お目当ての被写体が来ないので、残念だが帰宅した。

つい先日、「徹夜明け恒例の写真展立ち寄り」で、その写真展を催したフォトクラブの男性と「写真」「作品」「撮る姿勢」について、30分以上も熱っぽく語りあった内容については、また別のときに。

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