大晦日から新年にかけて、(自分が)他人と会話のキャッチボールをすることが、致命的に下手だと痛感した。人の性質は様々だが、大別すると"ボケ"か"ツッコミ"に分類できるだろう。どちらのカテゴリーにも、ボケとツッコミをどちらも扱える"小器用"といったタイプが存在する。しかし、先に述べた通り、人は本来"ボケ"か"ツッコミ"に分類できるため、小器用タイプも本質的にはどちらかのタイプに傾倒しているはずだ。
大別した"ボケ"と"ツッコミ"の性質について、"ボケ"の亜種として"天然ボケ"が存在する。天然ボケの人は、「ボケようとした訳ではないのに、発言にツッコミ所が含まれる」という性質を持つ。この性質が頻繁に露出したならば、その人は"ボケ"とも"ツッコミ"とも違う、"天然ボケ"である。話題を簡潔にしたいため、今回は"天然ボケ"について言及しないこととする。
さて、自分の本質が"ボケ"なのか"ツッコミ"なのか、簡単に知る方法を紹介しよう。まず、携帯電話(電話帳)に登録されている全ての友人を、"ボケ"か"ツッコミ"に分類してみる。あくまで、登録されている友人だけを抜き出して分類することが大事だ。仕事場だけでの付き合いや、親族に関しては、分類する必要が無い。分類は、特に親しい人たちについては、なるべく正確に分析するといい。自分が"ボケ"か"ツッコミ"のどちらかに大きく傾倒しているほど、どちらか一方にだけ友人が振り分けられる。たとえば、分類した友人が"ボケ"ばかりだったなら、貴方はきっと優秀な"ツッコミ"である可能性が高い。それとは別に、"ボケ"と"ツッコミ"が、どちらも同数程度に振り分けられた場合、貴方はおそらく"小器用"なタイプである。この方法では、小器用タイプの厳密な分類は出来ない。
私自身、紹介した方法(仮に電話帳検索法と名付けよう)で友人を分類したところ、見事に凡そ9割がツッコミタイプもしくは小器用タイプという結果になった。とはいえ、電話帳検索法を実践したのは未だ自分だけである。ゆえに、この方法がどれほど信頼性があるかは未知数だ。
長々と"ボケ"だの"ツッコミ"だのと述べてきたが、関東の人間には致命的な特色がある。その特色について、思いつくところを紹介していこう。
まず1つめの特色は、「ボケない」ことである。とりわけお笑い好きの人間や、一部の人を除いて、意外と関東人(特に女性)はボケないのだ。学生時代、クラスの人気者だったり、ムードメーカーになるのは、面白いことを言う、または実行して、そういった人気者などの位置付けがされる。しかし、この面白いことというのは、「TVや漫画などのセリフまたはギャグなど」のことであって、本人の"ボケ"や"ツッコミ"とは無関係な場合が多い。つまり、関東人は意外と、タイプを判断することが難しい。一例として、私の自宅周辺では、若者たちが屯して話し込んでいることがあり、夏場などは窓を開けているため会話の内容まで正確に聞こえる。こうした悪意の無い盗み聞きで解ったことなのだが、彼らはオチの無い話で笑うし、ただ笑うだけでツッコミも無い。聞いてる私としては、何もかもが不思議でならなかったのだが、唯一、意外と"ボケ"や"ツッコミ"が関東圏では文化として浸透していないのだということは理解できた。
2つめの特色はそう、「ツッコまない」ことである。人がボケないため、そういう人間(特に女性)にツッコミなどした場合、たんに直情型のキレやすい奴だと勘違いされることすらある。しかし、これに関しては一応、打開策もある。どうしてもツッコミたい時、あえて関西弁を用いることにより、「笑いを意識」した行動であることを伝えることが可能だ。関東人の多くは、"ボケ"や"ツッコミ"を関西とイコールで認識している。特にお笑いなどに疎い人の場合、関西人が関西弁で日常会話をしているだけで、「漫才をしている」と認識してしまう。そういう人にとっては、コントや漫談の区別も無いため、関西弁で面白いことをすれば(特に面白くなくても)全て漫才になりかねない。
3つめの特色は、「ワンパターン」なことである。先に、ボケないこととツッコまないことを特色としてあげたが、意図せずにボケる"天然ボケ"は何処にでも存在する。そのような人を相手にした時や、誰かがオチのある話をした時、普通のボケにはツッコまない関東人でさえ、「なんでやねん」とツッコミをすることがある。だが、無駄に関西弁を用いるだけでなく、語彙とともにパターンも無い。したがって、「なんでやねん」、「なんだよそれ」、「そんなわけないだろ」、などがひたすら飛び交う。「お前って、〇〇だよな」というフリがあっても、「そうなんだよ俺、〇〇だから〇〇が無いと夜も眠れない・・・ってそんなわけないだろ、豚骨ラーメン屋の店主じゃないんだから。」というノリや例えを交えたツッコミは、まず間違いなく期待できない。そもそもフリという概念が存在しないため、そこでボケたとしても相手を苛々させてしまう。
こうした理由に因り、ボケる人間は、(病的な意味で)おかしい人、(話が)脱線する人、天然の人、などと誤解されやすい。逆にツッコミの人間は、短気な人、口うるさい人、などと誤解を受けやすい。
あと、関西の人がたまに勘違いしている事があるので、一応訂正しておく。よく「友達と東京行って、喋ってるだけで周りの連中を笑わしてやった」というような話を耳にする。確かに関西人は、自然と笑いの礎が身に付いている人が多いため、面白さには定評がある。しかし、先に述べたように、多くの関東人は関西弁の会話と漫才をイコールで認識しているため、関西弁自体が面白いという場合が多々ある。実際、日頃のボケ、ツッコミを織り交ぜた本域の"しゃべくり"を、多くの関東人は正確に聞き取ることが出来ない。よって、「何言ってるのかよくわからなかったけど、面白かった」という事態になり易いのである。実は私自身も、オール阪神巨人、やすきよ、など往年のベテラン漫才師が、関西の劇場で漫才している映像を見ていても、聞き取りにかなりの集中力を要する。関西人がどう思っているのかは解らないが、関東人からすると、知らない関西弁も意外に多いものだ。たとえば、「ぎる」という言葉は、私がごく最近知った関西弁だ(ある関西人がつかっていたので、ググって調べた)。
ところで、あけましておめでとうございます人類。
大別した"ボケ"と"ツッコミ"の性質について、"ボケ"の亜種として"天然ボケ"が存在する。天然ボケの人は、「ボケようとした訳ではないのに、発言にツッコミ所が含まれる」という性質を持つ。この性質が頻繁に露出したならば、その人は"ボケ"とも"ツッコミ"とも違う、"天然ボケ"である。話題を簡潔にしたいため、今回は"天然ボケ"について言及しないこととする。
さて、自分の本質が"ボケ"なのか"ツッコミ"なのか、簡単に知る方法を紹介しよう。まず、携帯電話(電話帳)に登録されている全ての友人を、"ボケ"か"ツッコミ"に分類してみる。あくまで、登録されている友人だけを抜き出して分類することが大事だ。仕事場だけでの付き合いや、親族に関しては、分類する必要が無い。分類は、特に親しい人たちについては、なるべく正確に分析するといい。自分が"ボケ"か"ツッコミ"のどちらかに大きく傾倒しているほど、どちらか一方にだけ友人が振り分けられる。たとえば、分類した友人が"ボケ"ばかりだったなら、貴方はきっと優秀な"ツッコミ"である可能性が高い。それとは別に、"ボケ"と"ツッコミ"が、どちらも同数程度に振り分けられた場合、貴方はおそらく"小器用"なタイプである。この方法では、小器用タイプの厳密な分類は出来ない。
私自身、紹介した方法(仮に電話帳検索法と名付けよう)で友人を分類したところ、見事に凡そ9割がツッコミタイプもしくは小器用タイプという結果になった。とはいえ、電話帳検索法を実践したのは未だ自分だけである。ゆえに、この方法がどれほど信頼性があるかは未知数だ。
長々と"ボケ"だの"ツッコミ"だのと述べてきたが、関東の人間には致命的な特色がある。その特色について、思いつくところを紹介していこう。
まず1つめの特色は、「ボケない」ことである。とりわけお笑い好きの人間や、一部の人を除いて、意外と関東人(特に女性)はボケないのだ。学生時代、クラスの人気者だったり、ムードメーカーになるのは、面白いことを言う、または実行して、そういった人気者などの位置付けがされる。しかし、この面白いことというのは、「TVや漫画などのセリフまたはギャグなど」のことであって、本人の"ボケ"や"ツッコミ"とは無関係な場合が多い。つまり、関東人は意外と、タイプを判断することが難しい。一例として、私の自宅周辺では、若者たちが屯して話し込んでいることがあり、夏場などは窓を開けているため会話の内容まで正確に聞こえる。こうした悪意の無い盗み聞きで解ったことなのだが、彼らはオチの無い話で笑うし、ただ笑うだけでツッコミも無い。聞いてる私としては、何もかもが不思議でならなかったのだが、唯一、意外と"ボケ"や"ツッコミ"が関東圏では文化として浸透していないのだということは理解できた。
2つめの特色はそう、「ツッコまない」ことである。人がボケないため、そういう人間(特に女性)にツッコミなどした場合、たんに直情型のキレやすい奴だと勘違いされることすらある。しかし、これに関しては一応、打開策もある。どうしてもツッコミたい時、あえて関西弁を用いることにより、「笑いを意識」した行動であることを伝えることが可能だ。関東人の多くは、"ボケ"や"ツッコミ"を関西とイコールで認識している。特にお笑いなどに疎い人の場合、関西人が関西弁で日常会話をしているだけで、「漫才をしている」と認識してしまう。そういう人にとっては、コントや漫談の区別も無いため、関西弁で面白いことをすれば(特に面白くなくても)全て漫才になりかねない。
3つめの特色は、「ワンパターン」なことである。先に、ボケないこととツッコまないことを特色としてあげたが、意図せずにボケる"天然ボケ"は何処にでも存在する。そのような人を相手にした時や、誰かがオチのある話をした時、普通のボケにはツッコまない関東人でさえ、「なんでやねん」とツッコミをすることがある。だが、無駄に関西弁を用いるだけでなく、語彙とともにパターンも無い。したがって、「なんでやねん」、「なんだよそれ」、「そんなわけないだろ」、などがひたすら飛び交う。「お前って、〇〇だよな」というフリがあっても、「そうなんだよ俺、〇〇だから〇〇が無いと夜も眠れない・・・ってそんなわけないだろ、豚骨ラーメン屋の店主じゃないんだから。」というノリや例えを交えたツッコミは、まず間違いなく期待できない。そもそもフリという概念が存在しないため、そこでボケたとしても相手を苛々させてしまう。
こうした理由に因り、ボケる人間は、(病的な意味で)おかしい人、(話が)脱線する人、天然の人、などと誤解されやすい。逆にツッコミの人間は、短気な人、口うるさい人、などと誤解を受けやすい。
あと、関西の人がたまに勘違いしている事があるので、一応訂正しておく。よく「友達と東京行って、喋ってるだけで周りの連中を笑わしてやった」というような話を耳にする。確かに関西人は、自然と笑いの礎が身に付いている人が多いため、面白さには定評がある。しかし、先に述べたように、多くの関東人は関西弁の会話と漫才をイコールで認識しているため、関西弁自体が面白いという場合が多々ある。実際、日頃のボケ、ツッコミを織り交ぜた本域の"しゃべくり"を、多くの関東人は正確に聞き取ることが出来ない。よって、「何言ってるのかよくわからなかったけど、面白かった」という事態になり易いのである。実は私自身も、オール阪神巨人、やすきよ、など往年のベテラン漫才師が、関西の劇場で漫才している映像を見ていても、聞き取りにかなりの集中力を要する。関西人がどう思っているのかは解らないが、関東人からすると、知らない関西弁も意外に多いものだ。たとえば、「ぎる」という言葉は、私がごく最近知った関西弁だ(ある関西人がつかっていたので、ググって調べた)。
ところで、あけましておめでとうございます人類。
あくまでも下ネタを貫くその姿勢から、
業者はお前が呼び込んでいるのでは?
とさえ邪推してしまうよ。
ただ単にお前が基本的にボケ倒しで協調性がないからいけないだけなんじゃん?気づいてきた?気づいてきちゃった??監獄居酒屋で感じちゃった?
>>CLたん
話はトシから聞いてます、今度チームキャンチョ芽の皆で呑みましょう^^