「2011年の映像」として、3月11日の東日本大震災を朝から晩まで徹底的に放映した。
映像の持つ迫力、生身の現場、生身の声、どれも素晴らしかった。
被災者にとって、つらかったかもしれない。
だが、10年20年30年40年と日を追うごとに、重みの増す映像になるだろう。
きっと、局内でも賛否両論あっただろう。
クリスマスの日曜日に「なぜ、こんな重い映像を延々と流すのか」と。
だが、あの3月11日午後2時46分は、日本人の人生観を根底から崩した。
団塊世代は戦後生まれで「戦争を知らない子供たち」といわれた。
将来は「震災を知らない子供たち」と言い続けられる日本であってほしい。
マグニチュード9・0のこの大地震が、日本列島の地層に衝撃を与えた。
再び東海、南海大地震につながるのも秒読みともいう。
狭い日本列島で逃げる術はもはやない。
いろんなことをほぼ一日中、画面を見つめていて、考えさせられた。
当時、首都圏のビルの中にいた。
大きく長く強い揺れに、恐怖に包まれた。
また、帰宅難民が550万人に及ぶ現実をナマで感じた。
すさまじいまでに続いた余震は、東京を離れる6月まで感じた。
耐震構造のしっかりした現代ビルだからこそ、被害を最小に止めている。
昔の木造家屋や、脆弱なビルや建物なら、間違いなく、もっともっと首都圏は被災していたはずだ。
お笑い芸人を使ったバラエティーばかり。
そんな番組でお茶を濁そうとする各テレビ局。
さすがは報道のTBSといわれただけのことはある。
低予算で乗り切ろうとするテレビマンに喝を入れた。
まだまだ、やれるじゃん。
テレビという媒体の底力を拝見した。
今年はウサギ。
来年は天に昇る龍の干支。
下の画像は宮城・名取市郊外。
暗雲を突きぬけて青天の年をもたらして欲しい。
下は石巻市の日和山神社から太平洋を臨む。
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