こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

手塚治虫命日に「ロボット騒ぎ」

2019-02-09 | 日記

昭和最後の89年2月9日に漫画家・手塚治虫は亡くなった。
一家に1冊は手塚の漫画本がどこかにある。
60歳で没後30年だから、生きていればまだ90歳

今日のAI(人工知能)、ロボット時代の到来を見たら、どんな感想をもらすだろうか?

ビルの間を高速道路が通り抜ける絵は、もう半世紀前に描いていた。
ロボットの世界は「鉄腕アトム」で余すところなく描写した。
手塚の頭の中は未来予想図が詰まっていたのかもしれない。

過日、夕刊紙記者OB和田浩からの疑問。
「コメントを投稿しようとしたら”私はロボットではありません”を押すと変な画像で妨害され、投稿できない」
これはお伝えした。
コメント投稿が出来なくなった、とは穏やかではない。

こちらも、良く事情が飲み込めなかった。
手塚治虫の亡霊でも現れたか。

どういうことか?気味が悪い。
元記者らしく調べてくれた。

「コメント妨害やなくて逆でした。ロボットは本人確認をするためのもので、質問に答えたら消えるものでした。本人確認の関所みたいなもの。セキュリテイー対策でした。これまでは番号(数字)指定だったものが変わったようです。いやはや年寄りには、発見ばかりです」
とのことで「ロボット騒ぎ」は昭和の巨人没後30年の命日に解決した、とさ。
コメント投稿で戸惑われた方は、そういうことなのでご安心ください。


また最強寒波って?

2019-02-09 | 日記

最強寒波とか。
北海道十勝の陸別で氷点下31・8度とか。
熱々のラーメンを外気にさらしておくと、まるで食品見本のようにカチカチ。
テレビでビックリ風景を撮影していた。

こんな時はふつふつ煮立ったおでんでグィっと一杯だな。
消しゴム版画の名人すぎのめはちおが、送ってくれた新作。
寒い一日の脳と胃袋を刺激してくれた。

見事なもんだ。

60年ぶり猛暑だの、気象庁始まって以来の寒気だの。
やっぱり地球はおかしいのか?

それとも、今までの統計がいい加減だったのか?
「すべて疑ってかかれ」
そういったのは不世出のジャーナリスト。
おっと、過大なフレーズをつけてしまった。

で、当ブログの投稿者が史上初の報告をしてきた。
「コメントを投稿しようとしたら”私はロボットではありません”を押すと変な画像で妨害され、投稿できない」
どういうことか、よくわからない。
変なコメントには、こちらでブロックすることはある。
しかし、投稿はいったん受け入れているので、そんな苦情は前代未聞の出来事だ。
当ブログ初の未曾有のトラブル。




世の中は3連休。
「サンデー毎日」毎日が日曜日のこちとらは、どうでもいい。
ゴルフに観光にイベントに映画に家族サービスに人さまざま。
どちらにしても、温かくて、お天道さまが顔を出す青空の見えるのがいい。

ここ関西のチベット北摂は、まだ、最強の寒波ではない。
風は冷たいものの、まだ霧雨模様。
雨はやがて雪に変わるだろう。
サイレントデー。

三寒四温。
日本気象史上初の四寒三温には、間違ってもならない。
ひと雨ごと、ひと雪ごとに春は規則正しくやってくるのが嬉しい。





モンゴル互助会は考え過ぎ?

2019-02-09 | 日記

大相撲初場所でベテラン玉鷲が初優勝した。
白鵬が花を持たせたのでは?
「モンゴル互助会再建」では?
当ブログで記したところ反響が大きかった。

日馬富士暴行事件に始まったモンゴル力士の内乱。
図らずも露呈したモンゴル互助会の存在。
仲間に入らなかった貴ノ岩。
ドン白鵬の意向を忖度した日馬富士が酒場のカラオケ屋で諌めた。
引退に追い込まれ損したのは日馬富士だったのだが…。
輸入力士が増えた高見山らのハワイ力士台頭時代には見られなかった「互助会」現象だ。
”暴れん坊”朝青龍の時代も、まだ、露見していなかった。
白鵬が君臨し始めてからではないか。

「リアルですね」
「残念です」
「私も絶対にそう思います」
など「互助会の存在」に同意される人。

「作為を感じますが、考えすぎかな?」
疑心暗鬼な人。

一方で「考え過ぎだろう」と指摘する人も半分ぐらいいた。
いずれにしても、相撲ファンであることに違いはない。
なぜなら、見ていないと感想はいえないからだ。

記している私も大の相撲ファン。
栃若(栃錦・若乃花)時代を経て柏鵬(柏戸・大鵬)時代…。
ずっと見てきた。

私自身、アラフォー時代、若貴ブーム時に相撲を担当。
楽しくかつ感慨深かった。
朝稽古から相撲部屋に入ると、その熱気迫力に感動。
鬢付け油のなんともいえない香り。
忘れられない。

いろんなスポーツを担当したが、力士の稽古ほどすざましいものはない。
猛練習に音を上げる各アスリートたちに良く言った。
「一度、力士たちの朝稽古をご覧。もっと凄いよ」

当時は親方、兄弟子たちは手に竹刀や箒を持っていた。
真っ黒に泥まみれになってぶっ倒れる力士に、冬でもバケツで水をぶっ掛ける。
それでも起き上がれない力士の肩、尻に竹刀が音を立てる。

そうして番付を上がっていく。

ほとんどの力士は寡黙だった。
「あぁ…うん、100行」といわれた記者泣かせの時代だった。

期せずして二人の相撲取りの言葉が身にしみた。

一人は引退した稀勢の里
「初めて綱を締めた時は日本人として最高の気持ち。すべてが幸せだ。怪我をして休む発想がなかった。休んで勝負と思えていたら…。古くからの力士像が私には、ある。黙々と相撲を取って人気があるような、昭和を思わせる力士を、これから自分は育てたい

もう一人はガチンコ関脇・貴景勝
初場所千秋楽、勝てば大関昇進の目もあった22歳の有望株。
インタビューでもめったに笑わず仏頂面。
「相撲はスポーツではない。神事であり、国技です。笑う必要はない」
日本人とかモンゴル人とかではない。
古いとか新しいではない。
信長時代、いや神代の時代からの神事が大相撲なのだ。
稀勢の里、貴景勝はきっと角界の雰囲気を感じ取ってのコメントではなかろうか?
そう、深読みした。