一隅(いちぐう)を照らす、この言葉は天台宗の寺院へ行くと必ず掲示板などによく書かれています。天台宗の祖といわれてる最澄(さいちょう)さんが国宝とは何なのかについて書いた書物、山家学生式(さんげがくしょうしき)に載っている言葉です。一部掲載してみますと、
国宝とは何物ぞ。
宝とは道心なり。
道心のある人を国宝と為す。
故に古人(こじん)曰く、
径寸(けいすん)十枚
是れ国宝に非ず。
一隅を照らす、
此れ則ち国宝なり。
一隅とは一般的には一方の角のことですが、ここでは一方向しか見えない考え方のことです。如何ににして儲けようかと常に欲得のことばかり考えている偏った考え方のことを指しています。
道心とは菩薩の道を歩もうとする心、すなわち発心(ほっしん)し、如来の教えこと大自然の摂理に身を委ねて精進修行の道を歩むことです。
径寸十枚は中国春秋戦国時代の故事に載っている話で、ある時、斉の威王と当時の強国である魏の恵王が会いました。そのとき魏王が斉王に尋ねます。「あなたは何か家宝をお持ちですか」と尋ねると、いいえ、持っておりません」と斉王が答えます。魏王は「私のような小国の王でさえ、大きな光り輝く珠を十個は持っています。あなたが持っていないはずは無いでしょう」と言いますと、斉王は「あなたの言うところの宝と私の宝は違いますが、我が国には有能な四人の家臣が居り、よくこの国を治めてくれています。私にとっては彼らがまさに我が国の宝です」と答えました。魏王はそれを聞いて恥ずかしくなって退散した、という話ですが、魏王は誰かに斉の国にはすごい家宝が有ると聞いていたのでしょう。それを自慢をしてくれれば魏王はそれを力で奪うつもりだったのでしょうが、当てが外れてしまったようです。
山家学生式の一節を要約しますと、
己の魂を浄化するために悟りの境地に向かって精進修行する人たちこそが、当に国の宝なのです。金銀財宝などをたくさん集めた所で、そのような物は国宝どころか、不幸せをもたらす根源なのです。菩薩道を歩み、自分の魂を浄化し、かつ慈悲心を持って欲得の道で迷っている人々に対して、ほのかな燈でも照らして正しい道を示してあげることが出来れば、それが当に国宝、すなわち功徳を積むことであり、自分の宝蔵(チャクラ)を開くことなのです、と語っています。
この後で忘己利他(ぼうきりた)について語る一節が続きます。
古哲また曰く、
よく言って行うことの能わざる者は国の師なり。
よく行い、言うことの能わざる者は国の用(ゆう)なり。
よく行い、そして言うの者は国の宝なり。
三品のうち、言うこと能わず、行うことも能わざる者を国賊と為すなり。
則ち、道心ある仏子、西には菩薩と称し、東には君子と称す。
悪事は己に迎え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。
この一節はたいへん誤解を招きやすい所です。国とは己のことで、国を治めるとは自分を治めることですから、則ち自我を滅することです。この一節は荘子書同様に、誤解を招きやすい所です。私訳してますと、
古の成人は次のように語っています。、経典を学び、世間から離れて精進修行をしている人は師、すなわち先生と呼ばれています。師から経典の教えを聞き、そして学び、それを世間のために役立たせようとして実践する人は国の用、すなわち利他行に勤める人です仏典を学び、真義を習得して己の宝蔵を開き、世間の人々に輪廻からの解脱の道のあることを示そうと、精進、修行の生活送る人は、当に国の宝、菩薩道を歩む人です。仏典や師より智慧を授かること無く、己の欲得のために世間の知を学んで出世栄達をはかる人は国賊、すなわち己のせっかく積んだ功徳をかすめ取る盗賊団のようなものです。
経典を学び、自然の摂理に順い、精進修行を実践しする人は仏子と呼ばれる。西方では菩薩と呼ばれ、東では君子とも呼ばれています。自己の利益を考えること無く、難事には自分で率先して臨機応変に対処し、また柔和忍辱の心をもって教典を説き、人々に抜苦与楽の行を施すこと、すなわち己を忘れて他を利すること、これが菩薩の慈悲行なのです、と語っています。
ここでいう国の師とは国の計画を考える人、戦いの時の軍師とか、国の用とは建てられた計画を実行する人で、国の維持に役立つ人のことなどと解釈をすると、仏教の話とはかけ離れてしまいます。
世間の知を学び、名利を得んして欲得にまみれ、道を見失った人たちからは、木偶の坊と呼ばれようとも、その人たちに対して目には見えませんが輪廻からの解脱の道があることを大慈悲心と柔和忍辱の心を以て指し示すこと、それが一隅を照らすことであり、菩薩道の実践です。菩薩道を歩むこと、それが則ち、幸せの道を歩むことです。
以上、”一隅を照らす”について私的に解釈を試みました。荘周菩薩品抄(45~47)の「無功用(むくゆう)の妙用(みょうゆう)」を参照していたければ幸いです。
国宝とは何物ぞ。
宝とは道心なり。
道心のある人を国宝と為す。
故に古人(こじん)曰く、
径寸(けいすん)十枚
是れ国宝に非ず。
一隅を照らす、
此れ則ち国宝なり。
一隅とは一般的には一方の角のことですが、ここでは一方向しか見えない考え方のことです。如何ににして儲けようかと常に欲得のことばかり考えている偏った考え方のことを指しています。
道心とは菩薩の道を歩もうとする心、すなわち発心(ほっしん)し、如来の教えこと大自然の摂理に身を委ねて精進修行の道を歩むことです。
径寸十枚は中国春秋戦国時代の故事に載っている話で、ある時、斉の威王と当時の強国である魏の恵王が会いました。そのとき魏王が斉王に尋ねます。「あなたは何か家宝をお持ちですか」と尋ねると、いいえ、持っておりません」と斉王が答えます。魏王は「私のような小国の王でさえ、大きな光り輝く珠を十個は持っています。あなたが持っていないはずは無いでしょう」と言いますと、斉王は「あなたの言うところの宝と私の宝は違いますが、我が国には有能な四人の家臣が居り、よくこの国を治めてくれています。私にとっては彼らがまさに我が国の宝です」と答えました。魏王はそれを聞いて恥ずかしくなって退散した、という話ですが、魏王は誰かに斉の国にはすごい家宝が有ると聞いていたのでしょう。それを自慢をしてくれれば魏王はそれを力で奪うつもりだったのでしょうが、当てが外れてしまったようです。
山家学生式の一節を要約しますと、
己の魂を浄化するために悟りの境地に向かって精進修行する人たちこそが、当に国の宝なのです。金銀財宝などをたくさん集めた所で、そのような物は国宝どころか、不幸せをもたらす根源なのです。菩薩道を歩み、自分の魂を浄化し、かつ慈悲心を持って欲得の道で迷っている人々に対して、ほのかな燈でも照らして正しい道を示してあげることが出来れば、それが当に国宝、すなわち功徳を積むことであり、自分の宝蔵(チャクラ)を開くことなのです、と語っています。
この後で忘己利他(ぼうきりた)について語る一節が続きます。
古哲また曰く、
よく言って行うことの能わざる者は国の師なり。
よく行い、言うことの能わざる者は国の用(ゆう)なり。
よく行い、そして言うの者は国の宝なり。
三品のうち、言うこと能わず、行うことも能わざる者を国賊と為すなり。
則ち、道心ある仏子、西には菩薩と称し、東には君子と称す。
悪事は己に迎え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。
この一節はたいへん誤解を招きやすい所です。国とは己のことで、国を治めるとは自分を治めることですから、則ち自我を滅することです。この一節は荘子書同様に、誤解を招きやすい所です。私訳してますと、
古の成人は次のように語っています。、経典を学び、世間から離れて精進修行をしている人は師、すなわち先生と呼ばれています。師から経典の教えを聞き、そして学び、それを世間のために役立たせようとして実践する人は国の用、すなわち利他行に勤める人です仏典を学び、真義を習得して己の宝蔵を開き、世間の人々に輪廻からの解脱の道のあることを示そうと、精進、修行の生活送る人は、当に国の宝、菩薩道を歩む人です。仏典や師より智慧を授かること無く、己の欲得のために世間の知を学んで出世栄達をはかる人は国賊、すなわち己のせっかく積んだ功徳をかすめ取る盗賊団のようなものです。
経典を学び、自然の摂理に順い、精進修行を実践しする人は仏子と呼ばれる。西方では菩薩と呼ばれ、東では君子とも呼ばれています。自己の利益を考えること無く、難事には自分で率先して臨機応変に対処し、また柔和忍辱の心をもって教典を説き、人々に抜苦与楽の行を施すこと、すなわち己を忘れて他を利すること、これが菩薩の慈悲行なのです、と語っています。
ここでいう国の師とは国の計画を考える人、戦いの時の軍師とか、国の用とは建てられた計画を実行する人で、国の維持に役立つ人のことなどと解釈をすると、仏教の話とはかけ離れてしまいます。
世間の知を学び、名利を得んして欲得にまみれ、道を見失った人たちからは、木偶の坊と呼ばれようとも、その人たちに対して目には見えませんが輪廻からの解脱の道があることを大慈悲心と柔和忍辱の心を以て指し示すこと、それが一隅を照らすことであり、菩薩道の実践です。菩薩道を歩むこと、それが則ち、幸せの道を歩むことです。
以上、”一隅を照らす”について私的に解釈を試みました。荘周菩薩品抄(45~47)の「無功用(むくゆう)の妙用(みょうゆう)」を参照していたければ幸いです。