シーズン２－２「三匹の犬」②

ここは、パラダイス。

犬生（ワンせい）をリタイアしたあとに

私たちワンコが招待される場所でございます。

 

もし現役時代の自分の名前、容貌、引退年齢に不満があれば、

自由に更改可能です。

そして、自分が最後まで持っていた記憶や学び知った知識、技術、

体得したイメージは劣化することなく、ここでの暮らしに役立てることができます。

パラダイスには、ここに招待されたワンたちの複合的なイメージや、

現役時代に学んだ知識や理解、誤解や思い違いまでが

隅々まで行き渡ってできあがっている。

そして、そのベースにあるのは「楽しいこと」を求める気持ちと、

愛を表現したいという本能です。

 

『初めに無意識に快と楽ありき、ワンは自ずと世界を創生す』

などと、『ワンコ・パラダイス創生記』には書かれているそうですが、

まぁ、昔のことなど私たち犬族には興味のわかないことですし、

あまり詳しい由来は語られてきておりません。

それでこそ、パラダイス憲章に掲げられた主幹精神

「だって、ワンコだもの」でございます。

 

さて、ミミでございます。

 

あのスペイン・バル「三匹の犬」で偶然に出会った、

友人でもあり私にとっての鬼門でもある、シバエルさん、パグエルさん、

ミーさんたちのお誘いに揺れる心。

でも、今日の私は一味違う。

さらっと受け流す大人女子の対応です。

 

「ごめんなさい。私、この後ちょっと予定があって――」

 

大きな黒い瞳をギロッとこちらへ向けて、

パグエルさんがじっと私を見つめます。

あの雰囲気、いつもみたいに、

笑顔でぐいぐいと遠慮のない突っ込みを展開し、

油断した相手を一気に沼に引きずり込む算段かも。

私はあれを密かに「ワニ型懐柔法」と呼び、警戒しているのですわ。

思わず身構える私。

でも、聞こえてきたのは珍しく、

けだる気で影のある彼女の声。

 

「シバエルさん、その誘い方はむっちゃ無粋です。

アポなしでリア充女子を口説いたらあきまへん。

なぁ、ミミはん」

 

ミーさんも微妙な援護射撃をしてくれます。

「無粋はいけませんです。シバエルさん、今の時代は、

孤独のグルメが一番おいしいのですよー」

 

二人からそう言われたシバエルさん、苦笑いです。

 

「まいったな。僕は無粋な犬になってしまったのですね。

すみません、ミミさん。今日のご予定を楽しんでくださいね」

 

あぁ、美・シバエルさんに、耽美な苦笑いで謝られるなんて！

後悔で悶絶しそう！

本当はシバエルさんたちと一緒に楽しいひと時を過ごしたい、

でも、私の脳内コンピュータfugaku（不学）が、

「それだけじゃ、すまない」と計算結果をはじき出したのも事実。

 

私、案内された別のテーブルに座り、

用があると言ってしまった手前、

すぐに食べ終わりそうな少なめのランチをオーダー。

一瞬逡巡され、それからお誘いを受け、辞退したところ、

無理に誘われずさっと解決した。

これって「現実的にはお互いトラブルない」状況です。

でも、なぜか私の心には木枯らしが吹き始めている。

こういう気持ち、自分でも本当に面倒くさい――。

 

そっと盗み見ると、彼らは顔を突き合わせ、

密談のようにひそひそと話をしています。

聴力の感度を最大限に上げると、いくつかの単語が拾えました。

 

「あな――」

「こたえる」

「うめるのって――」

 

これだけではさすがの私にも、内容は分かりません。

ちょうど、ランチのプレートが運ばれてきました。

スペインっぽい曲線で装飾されたお皿の上に、

匂いから絶対美味しいこと、手抜きがないことがわかる料理が

ざっくばらんに盛り付けてある。

気取らなさも、この店の魅力です。

料理人への敬意を持っていただこう。

私、真剣にお皿に向き直りました。

 

その時、かすかなベリー系の香りが鼻をかすめました。

私の脇を、アッシュブラウン毛の

若そうなミックス女子が速足で通りすぎていきました。

瞬間、彼女の前足が私のテーブルの上に、

メモのようなものを伏せて置いたのです。

 

その前足の腕の部分にまるでタトゥーのような、

黒いドラゴン形の小さな毛柄。

私の目に焼き付きました。

思わずその雌犬（オンナ）を目で追いますが、顔は見えない。

何のメモ？　置かれた紙を手に取りました。

 

「え！これ――」

 

私、急いでその女を追って外に――。

 

「待って！　あなた、これって――」

 

彼女はどんどん店の外に――。

追いかける私、でも、キャビネットの陰から、

誰かがバカ力で羽交い絞めにしてきたのです。

動けないッ！

 

瞬間、目の端であの三匹（さんにん）が

座っていたテーブルを確認。

でも誰もいません。

シバエルさんも、パグエルさんも、ミーさんも

いつの間にか退席してしまったみたい。

彼らでないなら、

今、私の邪魔をするのは誰？

あの雌犬（オンナ）の仲間なのでしょうか？

 

そして、誰の助けも期待できない状況？

 

頭の中で、グルグル考えが空転しています。

データが足りなすぎるのですわっ！

 

混乱の中、今日はここで失礼いたします。

 

 

 

シーズン2-2「三匹の犬」①

ミミでございます。

今朝は、ワン・ヨガのクラスに参加。

指導者は、自称ヨガの第一人者という家人の横で、２０年近く観察をし、自ら「ワン・ヨガ」を体得した老師犬です。

 

迷走と瞑想をベースにしたプログラムで、

まったりとした自堕落なポーズを教えていただきました。

 

そのあとは何も用事はありません。

ブランチでもとりながら世間の見学でもしようと、公共施設の廊下を歩いています。

 

かなり大きなホワイトハウス風の建物。

あちらのくにのホワイトハウスという建築物は、いまや、ホワイト一色とは言えない状況になっている、と聞きますが、ここは本当にどこまでも真っ白な建物。

みんなが楽しいと思える施設が集まっている場所なのですわ。

「ワンコ・パラダイス・センターエリア」

私たちは「ワンパラセンター」と呼んでいます。

 

必ず、楽しい何かに出会えるところなのです。

新しい食べものだったり、愉快な遊び、最新トレンド情報や、色々な犬たちとの交流などです。

 

たとえば、この先にある英国風談話室。

ブラウンと臙脂色で渋く品格たっぷりなインテリア、レンガ造りのどっしりとした暖炉。冬場はいつも暖かく保たれています。

ほのかに良い香りを放つ薪。

その薪がパチパチ燃えていく音を楽しみ、

揺らぐ炎を見ながら仲間とお昼寝できるように、私たち好みの肉球触りのよいふかふかのソファや、もふもふのラグが敷かれている。

 

でも、私の鼻は何だか不穏なシグナルをキャッチしました。

少し以前と違う空気が漂っているみたい。

私、そっと談話室に入り鼻を高くして気配を探ります。

今、この部屋を利用しているのは４グループ。

でも、驚いたことにどのグループからもそれを感じる！

 

中でも一番色濃く気配を放出している大きなグループに、私、そおっと近づきました。

 

真ん中ジャーキースティックを置いて、

新人さんたちがのんびりと思い出話を語っているみたい。

古参の犬たちも、むこうの最新情報が聞きたい。彼らを取り囲み話に花が咲いているみたい。

私は耳をちょっとひねって、かれらの話題を拾ってみます。

 

「えぇっ！　あなた方は一日に５，６回も散歩していたの？」

「素晴らしい環境だ！　それは楽しかったでしょうなぁ」

 

古参の犬たちの、涎が出そうなくらい羨ましそうな表情。

ちょっと引き気味の新人犬たち。

 

マダム風のパピヨンさんが語ります。

「ただね、せっかくお友達と会えても、

大声で挨拶したり、おしゃべりは許されないのよ。黙々と広い場所を家人と二匹（ふたり）で歩くだけよぉ」

 

垂れ耳のミックス犬の青年がジャーキーを噛みちぎりながら話します。

「最初はさ、（モグモグ）嬉しすぎて、大興奮だったよ。

クリスマスと正月と誕生日が同時に来た感じ。このジャーキー、うまいっすね、天国級の味わい（モグモグ）」

「いいなぁ、羨ましいなぁ。　僕、あっちに戻ろうかなぁ」

古参犬のボーダー・コリーの青年、

想像が膨らみすぎて、お目目がキラキラです。

 

ミックス青年が少し憂い顔で水を差します。

「でもさ、毎日の仕事が一日あたり約三倍に急増したんだよ。オーバーワークだって、気が付いたときは遅かったね。

僕は１３歳だったから腰に激痛が来て、立てなくなっちゃった」

 

ダルメシアンのおじさまが自嘲気味に笑いながら、口をはさみます。

「家人は俺たち雄犬（オトコ）は外でマーキングをするものだ、と期待しててねぇ。

『していいんだぞ』なんて言われてもさ、

６回目の散歩となるとさすがに液体なんて残ってないんだ。期待に沿えずこっちもガッカリさ、ハハハ」

 

古参の皆さん、どっと笑いますが、

新人犬たちは同病相憐れむといった感じで、顔を見合わせて深いため息をつきました。

 

パピヨンのマダムがぽつりとつぶやきました。

 

「何だかね、非日常が日常化している感じだったわ」

 

私、皆さんの邪魔をしないようにそっとその場を離れました。

 

私たちの故郷、あちらのくに、で何かが起こっているのかもしれない。

私の家人たちは無事なんだろうか？　それとも、もう――？

 

胸に垂れこめてきた暗雲を認めたくありません。

こんな気分を拭い去るには、何かおいしいものを食べるに限ります！

素敵なお店でイケメンのギャルソンの行き届いたサービスを受けながら、手作りのブランチでもいただけば、きっと心も晴れるはず！

 

しゃれたお店が三々五々と軒と連ねる、寺社町近くの小さな小路。

私は早足であのお店に向かっていました。

 

「３匹の犬」

 

それが、お店の名前です。

天井が地中海のブルーに塗られ、アンティークだけどシンプルなシャンデリア。

壁にはたくさんの趣味の良い絵。

渋い白黒のごま塩姿の黒ラブのマスターがオーナーのスペイン風バル。

夜、カウンターの上にはピンチョスや、おつまみ風の大皿料理が置かれます。

昼間はシンプルだけど味は抜群のブランチのコースが３種類。

 

遊び犬（あそびにん）のミーさんから聞いた情報では、夜、時々、謎のフラワンコ・ダンサーの女性が、スパニッシュなフリフリ衣装でカスタネットをかき鳴らし、

情熱的な踊りを見せてくれるらしい。

こんな素敵なお店がある、それも私がパラダイスを愛する理由の一つ。

 

私、扉を恭しく開けてくれたゴールデンのギャルソンに軽く微笑みます。

彼に案内されてテーブルにつこうとしていたその時、後頭部に鋭い視線を感じたのです！とっさに、後方を振りかえった私。

あとで、「あの時振り向かなければ！」と、思う日が来るとも知らず。

 

「え？　パグエルさん？　シバエルさんと、あら、ミーさんも？」

 

私の見知った三匹の犬たちが、「しまった、みつかった」という顔をしながら、

私に微笑み、軽く会釈し返してくれました。

一瞬の逡巡のあと、美・シバエルさんが意を決したように満開の笑みとともに私に声をかけてきました。

逡巡の表情を全く残さぬ、美・笑顔、あぁ、萌えてまうやろー。

 

「奇遇ですね。やっぱりあなたとは縁がある。ご一緒にいかがですか？」

 

この三匹は私にとって大切な友達でもあり、近づきたくない鬼門でもある方々。

 

私の脳内高速コンピューター「フガク（不学）」がはじき出した答えは、当然ながら「辞退せよ」、ですが――。

迷いの森から正しい出口を探せるのか、私？

ここで、しばし失礼させていただきますわ。