今治城の歴史
今治城の地は瀬戸内海に面し、「吹揚の浜」と呼ばれた砂丘地帯でした。
築城の名手として名高い藤堂高虎は、関が原の戦功で伊予(愛媛県)半国20万石を領し、
慶長7年(1602)にこの地に築城を開始しました。約6年の歳月をかけて慶長13年頃に
完成したと考えられています。
高虎はその直後、伊勢・伊賀(三重県)に移り、今治城には養子の高吉が在城します。
寛永12年(1635)には伊予松山城主松平(本姓は久松)貞行の弟の定房が3万石で
今治城主となり、明治維新まで続きました。
明治時代になって城の建物は全て解体されましたが、城の中心部の石垣と内堀がほぼ
完全に残っており、昭和28年(1953)に愛媛県史跡に指定されました。現在では天守を
はじめとする櫓・城門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。