うろうろとする日々

映画「ONODA〜一万夜を越えて」を観ずに語る

タイトルの映画が公開されていることをしった。

(書かれた方のの趣旨とは全く異なるので、リンクははりません)

大変申し訳ないのだが、私はこの映画を観てはいない。

私がある理由から小野田さんの話は小塚上等兵のことと切り離しで考えることはない。

小塚さんのご遺族の方からしたら、小野田氏がもっと”まともな”判断をもった人間であれば、当然生還できたと思われる。これはおそらくは誰も否定できないだろう。

私は小塚さんが”上等兵”であったことが、なくなったことと結びついていると思っている。上官が部下を殺したようなものなのではないだろうか?小野田氏も戦争が終わったことはいくらなんでも知らなかったわけではないだろう。村民との接触もあったようであるし。

結局捕虜になって死ぬことが怖かっただけだったのではないか。そこには逆に日本軍がやってきたことが”そういうこと”だったということの裏返しではないいのか。

もちろん第二次世界大戦ではなくなった多くの方がいて、小塚さんもそのひとりとしてみればいいという人もいるかもしれない。しかし、ご遺族からしたら、それはあまりにも冷たい言い方だと思う。

小塚氏のご遺族はもしかすると小野田さんを非難するようなコメントは出していないかもしれない。しかし、当時の日本で”英雄”小野田氏に否定的なことをいうことはできなかったろう。それは考慮してご遺族のコメントは読むべきだと思う。

戦争が終わった後もフィリピン人を殺し、また、判断の誤りで部下を殺した上官を私は認めることはできない。

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