野菊のように

大好きな言葉です 花に癒されつつ毎日頑張っています

銀閣寺&哲学の道

2011年12月19日 | Weblog

 

銀閣寺より哲学の道に散策、話には聞いていたが始めて通って見た

春は桜、秋は紅葉の名所で京都でも有数の散歩スポットとか、京都の哲学者

西田幾太郎がこの道を思索にふけながら散歩していた事から思索の小路と

言われていた、その後 西田幾太郎の愛弟子、田辺元也、三木清らも好んでこの

道を散歩した事から哲学の道と言われ1972年に正式に銘々された

哲学の道中ほどに西田幾太郎が詠んだ歌が石碑に刻まれている。

    「人は人吾はわれ也 とにかく吾行く道を 吾は行くなり」

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大原三千院

2011年12月11日 | Weblog

秋の紅葉と言えば京都そして大原三千院、中々訪れる事も出来ずでしたが今年

その期会が訪れた。先が見えている人生せめて最後の見納めと地下鉄バスと乗り継いで

快楽の旅でした。少し早すぎた紅葉ですが、神秘さを体一杯で感じてきた三千院でした。

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横浜中華街

2011年12月08日 | Weblog

何度行っても飽きない横浜中華街、似たような建物、商店街に迷いながらも

楽しんできた、何と言っても中華料理を頂く事が最高の楽しみです。

今回はライシャンソンシュカ(茘香尊酒家)と言う中華料理店で昼食を頂いた。

美味しかった事久ぶりに堪能しました。またすぐにリピートしたいです。

横浜市中区山下町一帯に所在する、チャイナタウン唐人町、南京町、上海路、

中山路、福建路、冠した路地が交差しており各路地には、当時からの出身者が多い。

近在地がある中区は中国人人口が6000人をこへ外国人の約4割に当たり

約0.2平方キロのエリヤ内に500店以上の店舗が有り、日本最大、かつ東アジア最大

の中華街となっている、日本では神戸南京町、長崎新中華街と共に三大中華街

と言われています。

 


鎌倉鶴岡八幡宮に参拝

2011年12月01日 | Weblog

今年は嫌な事の多い年でした。

来年こそ良い事が多くありますように心から祈るのみです。

石段両脇に樹齢千年と言われる大銀杏も紅葉にはまだ早かったが

相変わらずの人出には驚くばかりです。

参拝の効果がありますように”

   

       鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
由来
鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平6年(1063)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した。その後、治承4年(1180),源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を,この地小林郷に移した。建久2年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えた。源頼朝が,この高台に社殿を作った時は、既に平家は滅亡し、奥州・藤原氏も討伐し,全国60余州を平定した時であった。翌年には、征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期であった。鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた。以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた。また武門のシンボルとしても豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けていた。
                                 インターネットより
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