恋の病についてのリクエストがありましたが、語れる程の人間ではないので勘弁して下さい><
というわけで昔書いた記事の続きでも書きます。
part1
中学校から野球を始めた私。
当時、私の身長は中1にして170越え。
しかし体重は50キロくらいという、ようするにヒョロヒョロのもやしっ子でした。
1年生の間は部の方針もあってひたすら走って筋トレばかりする日々。
部員が70人以上の大所帯にあってはその他大勢の1人でした。
もちろん試合なんて出られません。
ただセンスのある同級生の何人かは既にレギュラーとして活躍してたりもしていました。
2年生になるとそろそろ技術的な練習もさせてもらえるようになってきました。
一応外野手としてノックを受けたりしていたのですが、あまりに下手過ぎてすぐに監督に追い出されていました。
入部当初から足と肩には自信があったので、
「レギュラーにはなれなくてもせめて代走要員とかにでもなれればいいなぁ」
って思っていたんですが現実は厳しいものです。
盗塁だってタイミングが分からなければ出来ません。
足と肩が良ければ使える外野手になれるっていうのはパワプロだけだという事を痛感しました。
絶望していた私ですが、監督さんがある日の気まぐれで
「よーし全員ピッチャーやってみろー」
1人5球ほどマウンドから投げる機会がありました。
あんまり覚えてないのですが、とりあえず最初の1球はバックネットに大暴投した記憶があります。
ですがとりあえず全力で投げまくっていたら監督から
「よし!お前は明日からピッチャーだ!」
という事になりました。
以後大学まで9年間ピッチャーをする事になりました。
ちなみに当時スピードガンで球速を測ってみたら中学2年で116km/h。
3年時には124km/hを計時した事もあります。
自分で言うのもなんですが、中学生にしては速い方です。
ただ1学年上のチームではベンチ入りすら出来ませんでした。
当時の先輩達のチームは県制覇有力と言われていた戦力を有しており、いずれも120km/h以上の速球を投げ込む左右のタイプの違う3投手を擁しており、中でもエースピッチャーの先輩は小学校時代からよくお世話になっていた人でした。
小学生当時からいつも遊びに野球に誘ってくれたり、野球部に勧誘してくれていました。
ちなみにその先輩の家は美容室で、バリカン使う高校までずっとそこで髪を切っていました。
また同じく家で個人事務所を営まれていた先輩のお父さんは野球が大好きな人で、いつも私が来るたびに奥からひょこっと出てきてずっと野球の話をしていました。
今でも帰省して散髪する時はそこのお世話になっています。
もちろん先輩のお父さんと野球の話ばかりしています。
先輩達のチームは県大会1回戦でまさかの逆転負け。
最後の瞬間をスタンドで見ていた私は号泣していました。
ついに自分達の代の始まりとなるのですが、ライバルとなる同級生には優秀なピッチャーがたくさん。
そしてそもそも私はいまいちルールも分かっていないのにピッチャー気取り。
これが後にボーク連発野郎になる原因なのですが、続きはまた明日。
posted by panaoo