駿河・遠江・三河三国の大大名である今川義元が上洛戦を始めようとしていた。尾張はその通り道にあり、信長はその総勢五万と言われている軍勢と戦わなくてはならない。織田勢はどうかき集めても四・五千が限度。
今川義元の上洛が明らかになった時、一益は桑名の義太夫を呼び戻そうと、何度か人を遣わした。しかし、義太夫は桑名にはいない。
何かあったのだろうと思っている所に、桑名から旧臣の滝川助太郎・助九郎兄弟がやってきて、事の次第を告げた。
「合戦が始まろうという時に、あやつは何をしておるのか!」
一益は激しく舌打ちした。
「して、左近様。信長公は今川義元と決戦をなさるおつもりなので?」
滝川助太郎が尋ねた。
「決戦ではない。籠城なさるおつもりのようじゃ」
籠城とは味方の援軍を待つ時などに用いられる戦法で、そんな援軍などない織田軍が、あの清洲城に籠城などしても五万の今川軍に攻め落とされ、全員枕を並べて討死にするのが目に見えているのだが・・。
「信長公は非凡な武将と聞き及びまするが・・」
「まともにやりあっては勝てぬしのう・・。あるいはあの大軍を前に戦うのが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれぬ」
と話していると、俄かに外が騒がしくなった。
甲高い声が遠くから響いてくる。
「何の騒ぎでありましょうか」
助九郎が刀を持って立ち上がろうとした。
「一益!一益!」
と、けたたましく呼ばわる声がした。
「あの声は・・・」
一益がハッとして腰を浮かすと、信長が供も連れずに入ってきた。
「おお、一益。ここにおったか」
「突然のおこしに驚いておりまする」
さして驚きもせずに一益が答えた。信長の行動はいつも人の意表をつくもので、突然やってくるなどということは一度や二度ではない。
噂の信長を目の当たりにした滝川助太郎と助九郎は顔を見合わせている。
「そのほうでも驚くことがあるか」
信長は傍にあった脇息を寄せて座ると、一益をじっと見据えた。
「はい。上様が今川の大軍を前に籠城なさると聞いて、大変驚いております」
「フン、それ位で驚くようでは信長の家来とは言えぬの」
「・・と仰せられまするが、あるいはあの大軍を前に降伏なさるおつもりかと考えておりました」
一益は信長の顔色を窺いながら言った。むろん、信長が降伏などできる人間ではないことは良く分かっている。
「戦って勝つ法はないと申すか」
信長が問うと一益は意味ありげに笑った。
「古来、判官義経が平家の大群を前に戦ったときのように、万に一つに賭けるしかありますまい」
今川義元の本隊に奇襲をかけろと言うのだ。
「万に一つ・・」
今川の先陣などは相手にせず、一気に本隊を目指して今川義元を討ち取る以外に勝つ方法はない。
「我等が籠城していると聞き、今川方では油断しておりましょう。恐れながら上様には今川勢を油断させるために籠城とふれ回らせたかと存じました」
一益に己の心を言い当てられて、信長はニヤリと笑った。
「一益」
「ハッ」
「そちならば万に一つかもしれぬがの、奇襲をかけるのはこの信長じゃ」
「そ、それはよく・・」
「信長に万に一つなどというものはない」
「は・・」
「天命我にあり!」
信長がにわかに立ち上がり、声高に叫んだ。一益はもちろん、滝川助太郎・助九郎兄弟も信長に圧倒されて息を呑んでいる。
(運すらも自分の味方であると・・そう仰せなのか)
その自信はどこから来るのだろう。そして、時々信長から受けるこの雷に打たれたかのような衝撃は・・・。
信長は、驚いて見上げる皆に向かって笑った。
「今しばらく籠城じゃ」
「はい。心得ておりまする」
「出陣となったら遅れをとるなよ。家来衆を引き連れてのう、存分に手柄を立てるがよい」
一益が微笑して頷くと、信長は足早に部屋を後にした。
Photo Album 写真KAN様より画像をお借りしております
今川義元の上洛が明らかになった時、一益は桑名の義太夫を呼び戻そうと、何度か人を遣わした。しかし、義太夫は桑名にはいない。
何かあったのだろうと思っている所に、桑名から旧臣の滝川助太郎・助九郎兄弟がやってきて、事の次第を告げた。
「合戦が始まろうという時に、あやつは何をしておるのか!」
一益は激しく舌打ちした。
「して、左近様。信長公は今川義元と決戦をなさるおつもりなので?」
滝川助太郎が尋ねた。
「決戦ではない。籠城なさるおつもりのようじゃ」
籠城とは味方の援軍を待つ時などに用いられる戦法で、そんな援軍などない織田軍が、あの清洲城に籠城などしても五万の今川軍に攻め落とされ、全員枕を並べて討死にするのが目に見えているのだが・・。
「信長公は非凡な武将と聞き及びまするが・・」
「まともにやりあっては勝てぬしのう・・。あるいはあの大軍を前に戦うのが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれぬ」
と話していると、俄かに外が騒がしくなった。
甲高い声が遠くから響いてくる。
「何の騒ぎでありましょうか」
助九郎が刀を持って立ち上がろうとした。
「一益!一益!」
と、けたたましく呼ばわる声がした。
「あの声は・・・」
一益がハッとして腰を浮かすと、信長が供も連れずに入ってきた。
「おお、一益。ここにおったか」
「突然のおこしに驚いておりまする」
さして驚きもせずに一益が答えた。信長の行動はいつも人の意表をつくもので、突然やってくるなどということは一度や二度ではない。
噂の信長を目の当たりにした滝川助太郎と助九郎は顔を見合わせている。
「そのほうでも驚くことがあるか」
信長は傍にあった脇息を寄せて座ると、一益をじっと見据えた。
「はい。上様が今川の大軍を前に籠城なさると聞いて、大変驚いております」
「フン、それ位で驚くようでは信長の家来とは言えぬの」
「・・と仰せられまするが、あるいはあの大軍を前に降伏なさるおつもりかと考えておりました」
一益は信長の顔色を窺いながら言った。むろん、信長が降伏などできる人間ではないことは良く分かっている。
「戦って勝つ法はないと申すか」
信長が問うと一益は意味ありげに笑った。
「古来、判官義経が平家の大群を前に戦ったときのように、万に一つに賭けるしかありますまい」
今川義元の本隊に奇襲をかけろと言うのだ。
「万に一つ・・」
今川の先陣などは相手にせず、一気に本隊を目指して今川義元を討ち取る以外に勝つ方法はない。
「我等が籠城していると聞き、今川方では油断しておりましょう。恐れながら上様には今川勢を油断させるために籠城とふれ回らせたかと存じました」
一益に己の心を言い当てられて、信長はニヤリと笑った。
「一益」
「ハッ」
「そちならば万に一つかもしれぬがの、奇襲をかけるのはこの信長じゃ」
「そ、それはよく・・」
「信長に万に一つなどというものはない」
「は・・」
「天命我にあり!」
信長がにわかに立ち上がり、声高に叫んだ。一益はもちろん、滝川助太郎・助九郎兄弟も信長に圧倒されて息を呑んでいる。
(運すらも自分の味方であると・・そう仰せなのか)
その自信はどこから来るのだろう。そして、時々信長から受けるこの雷に打たれたかのような衝撃は・・・。
信長は、驚いて見上げる皆に向かって笑った。
「今しばらく籠城じゃ」
「はい。心得ておりまする」
「出陣となったら遅れをとるなよ。家来衆を引き連れてのう、存分に手柄を立てるがよい」
一益が微笑して頷くと、信長は足早に部屋を後にした。
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