多くの人々の救い(光)となっていると言われている方についてのメッセージです
これらのメッセージから、あなたが光への道に進むための 気づき を受け取られることを願っています
メッセージに際して
江原啓之くん について と質問をしたら、返事はあまりクリアーに受け取れなかったので、彼は光ではないのですか?と質問すると、ようやく答えが流れ出してきたので以下に記します。
光につながる人と人間の中で生きることの違いは自由か自由でないか
自由(になるか)か、自由でないか、 そのものとして生きるか
形になる前の(に)生まれたか生まれてないか
そのものとして生きるか生きないか
江原くんが自由か自由でないかというと自由でない、自由でない世界を生きている
彼は形にこだわった 形の中で生きることを選んだ かたちの中で生きることは足かせができる 枠の中で生きようとする それが形の中で生きるということ 自由でない 成長しない 彼は成長をやめてしまった
人を助けたいと思っているのではない そうではなく 助けられたいのは自分 自分を助けたいために人を助けている
常に答え、真実を求めている しかし行きつかない それは枠があるから、自由ではないから
自分自身を生きていない 彼には純粋性がない
彼は生き方を間違えた もともとは光とつながるものであるはずなのに つながりをやめた そうなったら自由ではない 自由の中には生きていない 彼は孤独 孤独の中に生きている 彼の世界を理解するものはいない 自身さえも理解していない 理解するすべがない、理解できない 自身を忘れた(置いてきた)生き方をしているから それが自分自身を生きていないということ
魂が肉体を選ぶ時にも間違えた、その肉体を選ぶと自由がなくなるとわかっていたのに試したかったのもあった それは自身を試したいという思いと欲もあった
入った時は上のことを伝えたいという純粋性はあったのに その肉体を選ぶべきではなかった
自由でない生き方をするとどうなるのか、光に戻れなくなる、戻ってこられなくなる 光ではなくなってしまったから 人間になっていくこと
自由でない生き方をするということはそういうこと
純粋性とは与えられたもの で、どう使うかはその人次第 いかようにもなる
純粋性とは神とのつながり つながらなくなると存在しない(消えていく)
その意味で 江原くんは 今は暗闇の中で手探りで自分の答えを探し求めている状態 入った肉体が欲、権力 そういうものを獲得しやすい(魅力を感じる、求める)肉体だった 彼はそういう肉体を選んだ
今回を持ちまして、このブログを終了とさせて頂きます。 ありがとうございました。