Neue Caecilianische Bewegung

ローマ・カトリック教会の典礼音楽に関する公文書や中世の典礼に関する論文を中心に掲載していきます。

西洋における時課の祈り(22)

2007年05月22日 09時39分24秒 | 西洋における時課の祈り
 もちろん、教皇庁と托鉢修道士たちが、以前考えられたように、聖務日課書(ブレヴィアリウム)を発明したわけではない。ファン・ディックが示したように、元来の聖務日課書(ブレヴィアリウム)は携帯用の聖務日課書あるいは聖務日課を個人的に唱えるために作られた本ではなく、いくつかの本ー詩編書、アンティフォナ集、レスポンソリウム集、説教集、聖人伝集、聖書朗読集ーにバラバラになっていた聖務日課のさまざまな要素を式 . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(21)

2007年05月21日 10時02分51秒 | 西洋における時課の祈り
教皇庁の聖務日課と小さき兄弟会  教皇庁と小さき兄弟会が表舞台に出てくるのはこの時点である。すなわちS.J.P.van DijkとJoan Hazelden Walkerによって非常によく再構築された歴史のの中出である。教皇と教皇庁も毎日の仕事を持っていたので、彼らは「聖務日課を短く、そしてしばしば変更していた」semper breviabant et saepe alterabunt。保守派の . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(20)

2007年05月19日 09時57分27秒 | 西洋における時課の祈り
 私はここで詳しく述べる余地がないのだが、後の歴史は詩編配分の再編、季節固有を犠牲にした聖人固有の増加、そして任意の聖務日課と死者のための聖務日課の増加を含んでいた。このようなことは、ゴシック的極端が「共唱席の修道士」が規則であり、聖務日課が共唱席修道者の起きている時間のほとんどすべてを占めた12世紀と13世紀に頂点に達っした時までのことであった。ファン・デイックやウォーカーが主張するように、「中 . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(19)

2007年05月18日 11時04分02秒 | 西洋における時課の祈り
 もちろん、このことはいたるところで典礼の統一性があったことを示すものではない。ミラノのような教会では自身の慣習に固執し、その他の教会では自分たちに必要なものにローマの枠組みを適用した。1140年にアベラールはローマでさえ、古いローマ典礼が守られているのはラテラノの大聖堂だけだと述べている。彼が示しているのは、ローマのもろもろのバジリカで奉仕している修道院共同体の各々が自分たちの地方的慣習を持って . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(18)

2007年05月17日 09時53分03秒 | 西洋における時課の祈り
19 ローマ聖務日課 ベネディクトゥスから托鉢修道士まで  ローマ聖務日課の基本的な骨組みは聖ベネディクトゥスの時代からそれほど代わっていない。その構造は本質的に6世紀から第二バチカン公会議まで同じである。伝統は、修道士出身の最初の教皇である聖グレゴリウス1世大教皇(590-604)がローマ聖務日課の改革をしたとしているが、しかし、彼が何をしたかについては分かっていない。しかし、一つのことは確実で . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(17)

2007年05月16日 09時34分38秒 | 西洋における時課の祈り
 これらの発展、すなわち西欧の時課への態度全体の歴史とラテン世界の聖職者が概してその犠牲であった付随的で個人化された聖職者の霊性における先駆的な発展はローマ聖務日課書をトリエント的形式へと発展させたことに貢献した。我々はすでに教皇と教皇庁、そして托鉢修道会士たちについて語った。彼らは、イエズス会士が後に直面したのと同じ問題に直面した。しかし、時代はイグナティウスのようなラディカルな解決のためにはま . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(16)

2007年05月15日 09時25分01秒 | 西洋における時課の祈り
 イグナティウスと彼から霊感を受けた創始者たちが今日しようとすることはもちろん別のことである。現代の修道生活にある多くのことー例えば、勉学の期間や専門性の限定的な要求ーは共同の祈りをする以上に使徒的な柔軟性に大きな制限を設けていることは避けえないことである。そして、上述したようにイグナティウスが共唱席を除外したのとまさに同じ理由でしょう教区での司牧を除外したにも関わらず、現代のイエズス会は小教区で . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(15)

2007年05月14日 09時57分41秒 | 西洋における時課の祈り
 使徒的な活動性のために典礼の重荷を軽減することを決定した時、イグナティウスはすばらしい計画を示した。このような合法的な霊的な洞察の現実の実践をどのように歴史的に条件付けられなければならないかを示すことが毎日の共同の聖務日課をのぞくことで時間と活動性を得ることであるという彼の決定であった。毎日の「私的」ミサを排除することは16世紀のカトリックの考え方ではなかっただろう。しかし、典礼史の光に照らして . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(14)

2007年05月11日 10時32分19秒 | 西洋における時課の祈り
 このことに関する私の目的は「私の修道会のために弁明」を行なうことではなく、イグナティウスの考えをその歴史的文脈に置くことによって直接記録をすることだけである。私が思うにこのことは、イエズス会と使徒職のために共唱席での聖務日課を廃止することでイエズス会をまねた大部分のそれ以後のカトリックの修道会にとって重要である。イグナティウスは、彼の目の前にあった分裂していた教会の緊急を要する必要性を理解してい . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(13)

2007年05月10日 10時03分47秒 | 西洋における時課の祈り
 イグナティウスの祈りに関する教えを要約すると「すべてにおいて神を見いだすこと」となる。このように、イグナティウスの祈りは昔のエジプトの隠修士のそれと非常によく似てくる。エジプトの隠修士たちはいつでも祈るようにという福音の掟ゆえに決まった時間に祈ることを避けていたのである。このようにして、彼らは働いている間も祈り、祈っている間も働いたのである。イグナティウスが行なったことはすべて、労働を使徒的にす . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(12)

2007年05月09日 09時09分11秒 | 西洋における時課の祈り
 イグナティウスはしばしば厳格で、自由のない祈り方を勧めた著作や精神について無知なものによって非難される。まさに真実である。歴史の中で修道会の創設者は、神との不断の一致についての一般的な規則を越えて祈りについてどんなものであれ、法制化を拒絶しないものだ(『会憲』342-45,582)。「(前略)祈り、黙想(中略)断食、徹夜の祈りそしてその他の苦行やつぐないに関するものに控えめな愛が語るもの以外の規 . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(11)

2007年05月08日 09時28分01秒 | 西洋における時課の祈り
 自身が明らかにしているように、修道士にとってしばしば重荷となり、また無意味なものとなった祭儀遵守についての霊的生活からの移動を開始し、またそれを育んだのは,托鉢修道会士と「デヴォティオ・モデルナ」であった。一つの例を挙げれば十分であろう。1277年の集会でイングランドのベネディクト会士たちは次のように嘆いている。   「嫌気の原因となり、信心を失わせる聖務日課の長さ故に、かつて会の栄光であった勉 . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(10)

2007年05月07日 11時22分17秒 | 西洋における時課の祈り
 修道生活におけるこの移行の始まりは12世紀にさかのぼり、ダヴィド・ノウルズが「新しい都市民、庶民、商人」の世界として記述したことが形成されつつある時であった。つまり、修道士や聖堂参事会員の既存の会が出会わなかったものを必要とする世界であった。  「12世紀の終わりまでに倦怠と分解が教会生活の上層部に浸透しつつあった。修道制の復興はその力を失った(中略)。  12世紀の後半に、新しい宗教的環境が北 . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(9)

2007年04月27日 10時34分03秒 | 西洋における時課の祈り
 一般的に思われていることと反対に,修道生活における共唱席の廃止はイエズス会の発明ではなかった。イエズス会の前後に創設された16世紀の新しい聖職者修道会ーテアティノ会(1524)、バルナバ会(1533)、ソマシ会(1534)、イエズス会(1540)、神の母の聖職者修道会(1574)、カミユ会(1582)、小さきものの聖職者修道会(1588)ーのうち最初の二つだけが共唱席での聖務日課の義務を持ってい . . . 本文を読む

西洋における時課の祈り(8)

2007年04月26日 10時20分28秒 | 西洋における時課の祈り
 しかし、これは、公的聖務日課への信心が、時々示されるようにイグナティウスの精神にある点で反しているということをいうのではない。『会憲』は、その当時の経験主義の語彙に従って「信心を経験している」イエズス会士は、聖務日課に参加する機会がたくさんあることを知っているとはっきりと述べている(586)。この規定のうちに、我々はイグナティウスの精神の本質を識別する。イエズス会士の活動と経験は「外部に」向けら . . . 本文を読む