日本を一周してみよう~

50才を迎える平成30年に、キャンピングカーで妻と犬とで日本一周します!

九州32日目(南島原~大村)

2019-02-25 18:49:58 | 日記
道の駅・みずなし本陣ふかえの朝

噴煙をくゆらす平成新山。今日はこれら雲仙の山々をぐるりと回り込んで諫早方面に行く予定。



南島原市の有家地区は国内有数の手延べそうめんの産地だ。


そうめんは「~の糸」っていうブランドが多いのかな?


コシの強さが売りらしい。鍋で長時間煮ても煮崩れないので重宝されるという。



原城を見学。


キリシタン大名の有馬氏が築いた原城は島原半島の南東部、有明海に突き出た丘にある。


島原城築城に伴い廃城になったが、天草の乱ではキリシタンの領民が廃城になっていた原城に集結し、籠城の拠点になった。


2万数千人の領民に対し、鎮圧にあたった幕府軍は12万人。兵糧攻めの末の幕府軍の総攻撃で、籠城した領民はほぼ全員が殺され、一揆は鎮圧された。幕府軍も1万人近くの死傷者を出したという。


あまりにも沢山の命が失われた史跡を訪れることに抵抗はあったが、キリシタンが潜伏するきっかけ、江戸幕府が一揆に対して過敏になるきっかけとなった場所を一度は見ておくべきだと考え、数珠を手に見学した。


事前に知識がなく訪れたら、何て眺望が良い丘なんだろうと思うだろう。しかし固い信仰に守られた2万数千人のキリシタン達がここでどう戦い、命を落としていったんだろうと考えると、胸が締め付けられた。


一揆の総大将になった天草四郎もここで斬首されたそうだ。墓石には花束や千羽鶴が供養されていた。


今、僕達は自由にものを考え、自由に信仰することができる。それを再認識できただけでも原城を訪れた意味があった。安らかに。



このあと原城近くにある有馬キリシタン遺産記念館を見学した。


島原の乱が引き起こされた経緯が詳しく解説されていたが、あまりに悲しい話ばかりだったのでブログには載せないことにしよう。



さらに南へと車を走らせる。天気が良く暖かいので、ドライブが快適だ!



島原半島最南端の口之津に到着。港の駐車場で休憩しようとしたら・・・


ん!?何かでかい魚がいる!


「バシャッ、バシャッ」
イ、イルカの群れだぁ~!


マジか!こんな近くで野生のイルカ見たことない!


水族館より全然迫力がある~


地元のおばちゃん、じいちゃん達と夢のような光景を満喫!


じいちゃんによると、天草周辺の海には野生のイルカが住み着いているそうだ。ただ口之津の港に群れが入ってくるのは数年ぶりなんだって!
イワシとかコノシロの群れを追って入り込んだんじゃないかと言ってた。


10分ほどのち、イルカの群れは港から出て行った。

鹿児島の長崎鼻でもイルカの群れに遭遇した。本当にラッキーな旅だ。



島原半島を回り込み西岸になると、急峻な山に石垣を築いて造った棚田ならぬ棚畑群!
平地が少ないため、苦労して傾斜地に農地を開墾したようだ。


畑では玉葱や馬鈴薯が作られていた。
長崎県の農家が、諫早湾の干拓地など平坦な農地を渇望する理由が何となくわかった。何事も一面だけ見ていたんじゃ本質はわからないな。



やがて源泉の蒸気モクモクの小浜温泉に至る。


今日のお風呂は雲仙市営の浜の湯。ぬるい湯、あつい湯の二つの浴槽がある。深さも十分で大満足!


入浴料は驚きの150円なり!市民は100円。
これじゃあ家に風呂要らないね!



今宵は道の駅・長崎街道鈴田峠で車中泊。お世話になります!


明日はとうとう長崎市内観光だ!
見どころを絞らないと廻りきれない。これからじっくり検討しよう。


お休みなさい!