戯人舎

『夢あるいは現』日記

「夢あるいは現」日記 『ああ、浅草〜』

2017-09-27 | 日記
 テレビで、北野武の師匠、深見千三郎を取り上げていた。僕も1冊持っていた気がして調べてみたら『浅草最終出口』と言う本が出て来た。深見千三郎、ロッパやエノケンの活躍していた時代には、間に合わなかったし、テレビの時代には、遅れてしまった、いわゆる典型的な「板付きの浅草芸人」だったと訳知り顔で書いたって、当の本人は、その日、その日を、あの頃の、浅草の舞台で、懸命に生きていたのだ。
 この「深見千三郎」を、まさに読み終わろうといている時に、偶然、心斎橋の古書店で「古川ロッパ昭和日記」を見つけた。本が出版されたのは、たしか僕が劇団を辞めた頃だった。欲しいと思ったのだから、もう、その辺りから戦前の浅草に興味を持っていたのだろうが、1冊、12000円もする本を、しかも4冊は、おいそれと買う環境ではなかった。もちろん古書に落ちてくるのを待ったけれど、それでも8000円前後までで、やはり買うのはためらわれた。
 それ以降も「浅草」への興味は持続していたけれど、どんどん時代をさかのぼって、大正末期から昭和の始め「浅草オペラ」やレビューへと関心が移ったので、後年、新装なった6000円前後の再販本が出たけれど、やはり買う気にはなれなかった。
 テレビが、如何にも「芸人」と言う写真を大写した。それが「深見千三郎」だった。「浅草最終出口」も面白く読んだ。そして、浅草つながりでもないが、今度ばかりは、躊躇することなく「古川ロッパ昭和日記」を買った。その如何にも、昭和の終わりの、バブル期の、高転びに転ぶ前の、良い時代なのか、悪い時代なのか、その時代に生きているものには、深見千三郎が生きた時代と同じく、遅れようが、早かろうが、生きている者には、どうでもいい、そんな時代の、丁寧な造りの、ずっしりと重たい本を4冊、喜々として持って帰った。