阿部野神社の摂社に旗上稲荷社がある。我が戯人舎の旗上げの時にお参りしている。と言っても偶然の産物で、戯人舎を旗上げするにあたって神仏の加護を願ってと言う積極的な動機ではなくて、たまたま第二回公演を計画して、何か名前があった方が良い、何が良いだろうとあれこれ考えて、よし、戯人舎にしようと決めた時に、偶然通りかかって、旗上げの時に、旗上稲荷とは何と幸先の良いことだとお参りしたまでだ。幸先が良かったのかどうかはわからないが、もう20年以上もこの名前でやってきた。
劇団を辞めての、第一回公演は森下昌秀企画公演だったと思う。ずばり過ぎるようでもあるが、つかこうへい事務所のように森下昌秀事務所ではなく、森下昌秀が企画する公演だと少し斜に構えてもいる。だから二回目の公演で早々と止めてしまった。それで戯人舎と名前を付けたのだ。台本と役者(戯曲の戯と人で戯人舎)にだけは徹底的にこだわっていこう。いわゆる一つの決意表明だった訳でもあったのだ。幸い付けた本人も意外だったけれど、案外覚えられやすいらしい。
冬の日だまりの中で、阿部野神社の休憩ベンチに腰掛けて、さっき引いたおみくじを読んでいる。ここの自動おみくじ機はあの時のまま健在だ。
劇団を辞めての、第一回公演は森下昌秀企画公演だったと思う。ずばり過ぎるようでもあるが、つかこうへい事務所のように森下昌秀事務所ではなく、森下昌秀が企画する公演だと少し斜に構えてもいる。だから二回目の公演で早々と止めてしまった。それで戯人舎と名前を付けたのだ。台本と役者(戯曲の戯と人で戯人舎)にだけは徹底的にこだわっていこう。いわゆる一つの決意表明だった訳でもあったのだ。幸い付けた本人も意外だったけれど、案外覚えられやすいらしい。
冬の日だまりの中で、阿部野神社の休憩ベンチに腰掛けて、さっき引いたおみくじを読んでいる。ここの自動おみくじ機はあの時のまま健在だ。