探偵の口笛─海外ミステリのクラシック音楽─

海外ミステリに登場するクラシック音楽のセンテンスを中心にミステリ論、ミステリ史などミステリの関連文献を毎日読んでいます。

ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」 踊り

2014-11-09 16:42:15 | その他

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探偵の口笛」は、海外ミステリに登場するクラシック音楽のセンテンスを毎日読んでいます。

               ○

2013年10月12日(2720回)から、2014年1月2日(2802回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「死の舞踏(Dance of Death)」(1938)を読みました。

2014年1月3日(2803回)から、2014年7月19日(3000回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「家蠅とカナリア(Cue for Murder)」(1942)を読みました。

2014年7月20日(3001回)から、2014年8月10日(3022回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「小鬼の市(The Goblin Market)」(1943)を読みました。

2014年8月11日(3023回)から、2014年8月27日(3039回)まで、ヘレン・マクロイの長篇「ひとりで歩く女(She Walks Alone)」(1948)を読みました。

2014年8月28日(3040回)から、2014年9月6日(3049回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「歌うダイアモンド(The Singing Diamonds)」(1949)を読みました。

2014年9月7日(3050回)から、2014年9月14日(3057回)まで、lヘレン・マクロイのエッセイ「削除─外科医それとも肉屋?(Cutting:Surgery or Butchery?)─」(「ミステリーの書き方(The Mystery Writer's Hand Book)─ローレンス・ストリート編 アメリカ探偵作家クラブ著─第23章)(1976)を読みました。

2014年9月15日(3058回)から、2014年9月23日(3066回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「殺人即興曲(Murder Ad Lib)─」(1964)を読みました。

2014年9月24日(3067回)から、2014年10月1日(3074回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「死者と機転(The Quick and the Dead)─」(1964)を読みました。「殺人即興曲(Murder Ad Lib)」の別訳です。

2014年10月2日(3075回)から、2014年10月4日(3077回)は、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「鏡もて見るごとく(Through a Glass,Darkly)」(1948)を読みました。

2014年10月5日(3077回)から、2014年11月4日(3094回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」(1950)を、早川文庫版で、読みました。短篇「鏡もて見るごとく」の長篇版です。

2014年11月5日(3095回)から、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読んでいます。

2014年11月9日(3099回)も、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長編「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読みたいと思います。2014年11月8日(3098回)の続きです。

「マヤの踊りは男たちの意識を現実からそらし、物質を超えたところへ運び去ります。リズミカルに動く官能的な踊りが催眠効果をもたらし、男の感覚をほかのもろもろのことから切り離すらしいですわ。

マヤの踊りの奥に秘められたものはなんでしょう?知りようがありませんわね。わたくしたちの頭脳さえ、その一部にすぎないのですから。腕を動かそうとするとき、心は肉体にどう作用するのか。この問題は心理学でも生理学でも解き明かせません。それで人は心と肉体の二元性を否定するのです。科学の歴史を振り返ると、説明のつかないことは、単純に“わからない”と言うのではなく、頭ごなしに否定する傾向にありました。たとえばドッペルゲンガー伝説です。これはかなり古い言い伝えですから、同じ意味を示す単語はどの言語にもありますし……

ウィリング博士、これが三番目の解釈です。ないとは言いきれませんでしょう?フォスティーナ・クレイルは、現代の心理学が研究するどころか認めもしないほど並外れて異常な人かもしれませんわ」

もしフットライト校長が、ウィリング博士はむきになって否定するだろう、本当は信じやすい性格なのにばかにされるのを恐れて疑うふりをするだろう、と予想していたならば、相手を見損なっていたことになる。ベイジルは静かに言った。「表現を変えれば、クレイルさんは無意識の霊媒ではないかとおっしゃりたいのですね?」

ライトフット校長は顔を赤らめた。「霊媒という言葉は嫌いですわ。わたくしは死後も生き続けたいと願う感傷的なエゴイストではありません」

「ええ、あなたを感傷的だとは思いませんよ」ベイジルは窓の外をさりげなく見やった。芝生の上で秋のそよ風が見えない子猫のように枯葉とじゃれ合い、くるくると転がしたり、跳ねあがらせたりしている。

引用部分は、ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」(1950)駒月雅子訳 創元推理文庫 2011年6月24日の発刊です。


ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」 踊り

2014-11-08 16:26:36 | その他

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2013年10月12日(2720回)から、2014年1月2日(2802回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「死の舞踏(Dance of Death)」(1938)を読みました。

2014年1月3日(2803回)から、2014年7月19日(3000回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「家蠅とカナリア(Cue for Murder)」(1942)を読みました。

2014年7月20日(3001回)から、2014年8月10日(3022回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「小鬼の市(The Goblin Market)」(1943)を読みました。

2014年8月11日(3023回)から、2014年8月27日(3039回)まで、ヘレン・マクロイの長篇「ひとりで歩く女(She Walks Alone)」(1948)を読みました。

2014年8月28日(3040回)から、2014年9月6日(3049回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「歌うダイアモンド(The Singing Diamonds)」(1949)を読みました。

2014年9月7日(3050回)から、2014年9月14日(3057回)まで、lヘレン・マクロイのエッセイ「削除─外科医それとも肉屋?(Cutting:Surgery or Butchery?)─」(「ミステリーの書き方(The Mystery Writer's Hand Book)─ローレンス・ストリート編 アメリカ探偵作家クラブ著─第23章)(1976)を読みました。

2014年9月15日(3058回)から、2014年9月23日(3066回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「殺人即興曲(Murder Ad Lib)─」(1964)を読みました。

2014年9月24日(3067回)から、2014年10月1日(3074回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「死者と機転(The Quick and the Dead)─」(1964)を読みました。「殺人即興曲(Murder Ad Lib)」の別訳です。

2014年10月2日(3075回)から、2014年10月4日(3077回)は、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「鏡もて見るごとく(Through a Glass,Darkly)」(1948)を読みました。

2014年10月5日(3077回)から、2014年11月4日(3094回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」(1950)を、早川文庫版で、読みました。短篇「鏡もて見るごとく」の長篇版です。

2014年11月5日(3095回)から、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読んでいます。

2014年11月8日(3098回)も、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長編「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読みたいと思います。

「三番目の可能性は?」

ライトフット校長はベイジルをまっすぐ見据えた。「夢中歩行や催眠、人格の分裂といった状態では、意識的な第一の人格は休眠し、代わりに第二の人格が肉体をつかさどって、覚醒状態では封じられていた行為に出ることがありますわね?こういう無意識の自己が抑圧から解放されて自律的に取った行動が、さらに発展したとは考えられないでしょうか。マーガレットとエリザベスは、生霊が出現したときのフォスティーナ・クレイルは動作が遅くて眠そうだったと言っています。そしてわたくしは、本物のクレイルさんが抑圧していた衝動を生霊によって実行するのをはっきりと見ました。ですから、この生霊と呼ばれているものは、クレイルさんの無意識が投影した目に見える像ではないかと……

意味はおわかりいただけますでしょう?無意識の自己は強力なエネルギーを結集すれば空中に幻影をつくりだせる、もしくは自分の姿を映しだせるのではありませんか?言い換えれば、本人だけでなく他人にも見える形の夢想ですわね。見えてはいても実体はないわけですが。鏡に映った像も、見えはしますが物質とは異なります。それは虹や蜃気楼にもあてはまりますわ。鏡像も虹も蜃気楼もはっきりと目で見ることができ、写真にも写ります。でも手で触れることはできません。立体ではなく、音もたてません。普通の意味での時空には存在しないものです。それから……見ている者が動けば、それも動きます。今回の生霊も同じではないでしょうか。触れることはできませんし、音もたてません。ただ見えるだけなのです」

「そんなことを本気で信じていらっしゃるのですか?」ベイジルは訊いた。

「ウィリング博士、わたくしは現代的な人間です。その意味で言えば、なにひとつ信じておりません。信仰する宗教を持たずに生まれましたし、科学への信仰も失いました。プランク(一八五八─一九四七年。ドイツの物理学者)やアインシュタインが唱える理論はさっぱり理解できませんわ。でも、この世は物質の世界ではなく、現象の世界なのだろうということは充分認識しております。わたくしたちが見たり聞いたり触れたりしているものは、鏡に映る姿や砂漠の蜃気楼もすべて、まやかしの幻覚なのかもしれませんわ。エディントン(一八八二─一九四四年。イギリスの天文学者)が、“電子の踊り”と呼ぶものをわたくしは信じます。面白いことに、ヒンズー教徒は物質的生命のことをマヤ、つまり幻覚と呼び、マヤの象徴は“踊る人”なのだそうですね」

引用部分は、ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」(1950)駒月雅子訳 創元推理文庫 2011年6月24日の発刊です。


ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」 ワルツ

2014-11-07 16:03:44 | ワルツ

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2013年10月12日(2720回)から、2014年1月2日(2802回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「死の舞踏(Dance of Death)」(1938)を読みました。

2014年1月3日(2803回)から、2014年7月19日(3000回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「家蠅とカナリア(Cue for Murder)」(1942)を読みました。

2014年7月20日(3001回)から、2014年8月10日(3022回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「小鬼の市(The Goblin Market)」(1943)を読みました。

2014年8月11日(3023回)から、2014年8月27日(3039回)まで、ヘレン・マクロイの長篇「ひとりで歩く女(She Walks Alone)」(1948)を読みました。

2014年8月28日(3040回)から、2014年9月6日(3049回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「歌うダイアモンド(The Singing Diamonds)」(1949)を読みました。

2014年9月7日(3050回)から、2014年9月14日(3057回)まで、lヘレン・マクロイのエッセイ「削除─外科医それとも肉屋?(Cutting:Surgery or Butchery?)─」(「ミステリーの書き方(The Mystery Writer's Hand Book)─ローレンス・ストリート編 アメリカ探偵作家クラブ著─第23章)(1976)を読みました。

2014年9月15日(3058回)から、2014年9月23日(3066回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「殺人即興曲(Murder Ad Lib)─」(1964)を読みました。

2014年9月24日(3067回)から、2014年10月1日(3074回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「死者と機転(The Quick and the Dead)─」(1964)を読みました。「殺人即興曲(Murder Ad Lib)」の別訳です。

2014年10月2日(3075回)から、2014年10月4日(3077回)は、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「鏡もて見るごとく(Through a Glass,Darkly)」(1948)を読みました。

2014年10月5日(3077回)から、2014年11月4日(3094回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」(1950)を、早川文庫版で、読みました。短篇「鏡もて見るごとく」の長篇版です。

2014年11月5日(3095回)から、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読んでいます。

2014年11月7日(3097回)も、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長編「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読みたいと思います。2014年11月6日(3096回)の続きです。

ギゼラは顔を輝かせてテーブルへ戻ってきた。ジュークボックスで、ベイジルの祖父のヴァシリー・クラスノイが作曲した『シンデレラ組曲』の《ガラスの靴のワルツ》を見つけたからだった。

「もちろんジャズ風にアレンジしてあるけれど、嬉しいわ。でもどうしてあそこに入っているのかしら。ほかのはどれもこれもありきたりなのに」

曲が流れ始めたが、二人以外には誰も聴いていないようだった。隣のテーブルではホームレスらしき二人の男が一杯のビールを分け合って飲みながら、誰かが置いていったタブロイド紙を、中世の写本を解読しようとする古典学者のようにむさぼり読んでいた。痩せ細って、腹を空かせ、真っ黒に汚れた彼らが、悩み事を忘れるほど心を奪われる記事とはいったいなんだろう?

ちょうどそのとき、片方の男が言った。「おい頭のフケは治せないんだとさ。なんだよ、科学も情けねえなあ」

「待てよ、ここにこう書いてあるぜ……」もう一人が紙面の字をたどたどしく読みあげた。

「まず─頭をよく─洗って……」

「ほんと、サローヤンの小説に出てきそう」ギゼラはベイジルにささやきかけた。「このお店、〈クレイン・クラブ〉よりずっとすてき!」

ここでなら気楽に話ができたし、互いに積もる話があったので、フォスティーナの話題に戻ったのはギゼラがバーの時計を気にし始めてからだった。

「きみがあの学校へ戻るのかと思うと心配でたまらないよ」ベイジルは自分の三杯目のビールを見つめて言った。

引用部分は、ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」(1950)駒月雅子訳 創元推理文庫 2011年6月24日の発刊です。


ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」 ジュークボックス

2014-11-06 16:53:13 | その他

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2014年1月3日(2803回)から、2014年7月19日(3000回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「家蠅とカナリア(Cue for Murder)」(1942)を読みました。

2014年7月20日(3001回)から、2014年8月10日(3022回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「小鬼の市(The Goblin Market)」(1943)を読みました。

2014年8月11日(3023回)から、2014年8月27日(3039回)まで、ヘレン・マクロイの長篇「ひとりで歩く女(She Walks Alone)」(1948)を読みました。

2014年8月28日(3040回)から、2014年9月6日(3049回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「歌うダイアモンド(The Singing Diamonds)」(1949)を読みました。

2014年9月7日(3050回)から、2014年9月14日(3057回)まで、lヘレン・マクロイのエッセイ「削除─外科医それとも肉屋?(Cutting:Surgery or Butchery?)─」(「ミステリーの書き方(The Mystery Writer's Hand Book)─ローレンス・ストリート編 アメリカ探偵作家クラブ著─第23章)(1976)を読みました。

2014年9月15日(3058回)から、2014年9月23日(3066回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「殺人即興曲(Murder Ad Lib)─」(1964)を読みました。

2014年9月24日(3067回)から、2014年10月1日(3074回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「死者と機転(The Quick and the Dead)─」(1964)を読みました。「殺人即興曲(Murder Ad Lib)」の別訳です。

2014年10月2日(3075回)から、2014年10月4日(3077回)は、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「鏡もて見るごとく(Through a Glass,Darkly)」(1948)を読みました。

2014年10月5日(3077回)から、2014年11月4日(3094回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」(1950)を、早川文庫版で、読みました。短篇「鏡もて見るごとく」の長篇版です。

2014年11月5日(3095回)から、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読んでいます。

2014年11月6日(3096回)も、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長編「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読みたいと思います。2014年11月5日(3095回)の続きです。

「にぎやかすぎて、ゆっくり話ができないわね」

「じゃあ場所を移そうか」ベイジルがすぐさま答えた。「こういう店はきみの好みじゃないようだね」

「ええ、でも……」

ベイジルはさっそくウィエターを呼び、驚かれるのもかまわず、まだ手をつけていない料理の支払いを済ませた。

それから二人は一番街のバーへ行った。その店の月並みな常連客たちは、五番街かパーク街に似合いそうな珍しい異国風のカップルが突然入ってきたので、いささか面食らったことだろう。女は真っ赤なシルクの襟がついた黒いベルベットのロングコートにくるまっていた。男のほうはトップハットをかぶり、映画で見るような白いスカーフを巻いていた。ただし一番街は五番街やパーク街よりも行儀がいいので、ぶしつけにじろじろ見たり、ひそひそ声で話したりはしない。度量の大きいことが一番街の取り柄なのだ。自分たちと毛色のちがう金持ちがやってきても、おとなしくしている分には寛容に扱う。l

「最初からここにすればよかったね」ベイジルはそう言って、長い年月と煙草の煙と都会の埃によって黒ずんだ壁を懐かしげに眺めた。「全然変わってないなあ」

「ジュークボックスは新品よ」ギゼラが言った。

照明でぎらぎたした怪物が、漂う紫煙の向こうからこっちをにらんでいる。二人はそれを忌まわしそうに見た。

「深海に棲む発光魚みたいね」ギゼラはつぶやいたあと、店の雰囲気になじもうと決めた。「小銭をちょうだい」

「あのトナカイみたいな機械にじゃれついたりしないでくれよ」

ベイジルはいつもどおりチーズトーストサンドイッチとビールを注文した。ビールはいつもだいたいピルスナーだ。

引用部分は、ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」(1950)駒月雅子訳 創元推理文庫 2011年6月24日の発刊です。


ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」 バンド

2014-11-05 17:24:36 | その他

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2014年1月3日(2803回)から、2014年7月19日(3000回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「家蠅とカナリア(Cue for Murder)」(1942)を読みました。

2014年7月20日(3001回)から、2014年8月10日(3022回)まで、ヘレン・マクロイの、ベイジル・ウィリングものの長篇「小鬼の市(The Goblin Market)」(1943)を読みました。

2014年8月11日(3023回)から、2014年8月27日(3039回)まで、ヘレン・マクロイの長篇「ひとりで歩く女(She Walks Alone)」(1948)を読みました。

2014年8月28日(3040回)から、2014年9月6日(3049回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「歌うダイアモンド(The Singing Diamonds)」(1949)を読みました。

2014年9月7日(3050回)から、2014年9月14日(3057回)まで、lヘレン・マクロイのエッセイ「削除─外科医それとも肉屋?(Cutting:Surgery or Butchery?)─」(「ミステリーの書き方(The Mystery Writer's Hand Book)─ローレンス・ストリート編 アメリカ探偵作家クラブ著─第23章)(1976)を読みました。

2014年9月15日(3058回)から、2014年9月23日(3066回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「殺人即興曲(Murder Ad Lib)─」(1964)を読みました。

2014年9月24日(3067回)から、2014年10月1日(3074回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「死者と機転(The Quick and the Dead)─」(1964)を読みました。「殺人即興曲(Murder Ad Lib)」の別訳です。

2014年10月2日(3075回)から、2014年10月4日(3077回)は、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの短篇「鏡もて見るごとく(Through a Glass,Darkly)」(1948)を読みました。

2014年10月5日(3077回)から、2014年11月4日(3094回)まで、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」(1950)を、早川文庫版で、読みました。短篇「鏡もて見るごとく」の長篇版です。

2014年11月5日(3095回)は、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリングものの長篇「暗い鏡の中に(Through a Glass,Darkly)」を、創元推理文庫版で、読みたいと思います。

テーブルに子牛のの膵臓(すいぞう)の料理が運ばれてきた。ウェイターがいなくなると、ベイジルは身を乗りだして言った。「きみの手紙はおおまかにしか書いてなかっただろう?ミス・クレイルが奇妙だと感じたきっかけについて、詳しく聞きたいんだ」

「フォスティーナ本人は少しも奇妙じゃないわ。奇妙なのはまわりの人たちの態度よ」

「同じことじゃないか。いつ頃からだい?」

「彼女が学校に来て間もなくよ」ギゼラはベイジルがこのことを真剣にとらえているので驚いた。

「変だと思った理由は?」

「それが、よく覚えていないの」ギゼラは残念そうに答えた。「新しい職場に入ったばかりだと、やることがたくさんあるでしょう?わたしも彼女と同じく今学期からの勤務だもの。そうね、彼女がみんなから避けられていると感じ始めたのは、たぶん二週間くらい経った頃だと思うわ。最初はメイドたちで、そのうちに生徒や同僚の教師にまで広がって、完全にのけ者になってしまったの。それでとうとう解雇されるはめに」

「それで全部?」

「あなたに手紙を出したあとにも、ちょっとした騒ぎがいくつか」

「どんな?」

ギゼラは詳しく話した。

「なぜかほかの教師たちはミス・クレイルを避けたんだろう」ベイジルは尋ねた。「思いあたる節はないかな?」

ギゼラはためらいがちに答えた。「どういうわけか、彼女を怖がっている感じだったわ。誰でも怖いものは避けたいわよね」

「なぜ怖かったんだろう?」

「さあ、さっぱりわからないわ!なんだか薄気味悪いことばかり。群集心理かしらね。それにしても、なんだか不思議な気分だわ。わたしね、こんなような話を前に聞いた覚えがあるのよ。なにかの本で読んだのかしら」

「たぶんそうだろう。きみの手紙を読み終えてすぐ、マダム・カルロヴィッツが訳した『詩と真実』のフランス語版をブレンターノ書店に電話で注文したよ」

「わたしもフォスティーナから返ってきたあとで第一巻を読み直してみたの。でも彼女の状況を連想させる箇所はどこにも見つからなかったわ」

「それは自分がなにを探しているかわからなかったからだろう。きみはフォスティーナの置かれている状況をつかみきれていないんだ」

バンドの演奏が始まって、今流行の騒々しい曲が店内いっぱいに鳴り響いた。ギゼラはため息をついた。

引用部分は、ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」(1950)駒月雅子訳 創元推理文庫 2011年6月24日の発刊です。