現在、私の生まれた家があった空き地に新しい家が1軒建とうとしています。3階建てでソーラーハウスのようです。若い夫婦が入るようです。この土地には2軒建つ予定で、その南側にあります。北側もすでに買い手がいるようですが着工の様子はありません。
この空き地には父が医業をし、私が生まれた家は百坪ほどあった大きな家がありました。大正時代、父が買い取る前にはS農林高校の前身があったといいます。その頃この地はT村でしたが、明治22年の市町村制施行以前は県の行政管区になるH村といったようです。この屋敷は最初平井村の役場として建てられたもののようです。長兄が大事に保全していたら遺跡にでもな指定されていたかもしれません。
さて、我々母子が住み込んだ倉庫は生まれた家の東北側、井戸屋の裏にありました。西北には病室がありました。病室はその頃すでに長兄の友人夫婦が借りていました。その明るい灯を暗い倉庫の入り口からねたましく見ていたような記憶があります。我々母子は七輪みたいなもので薩摩芋を焼いて飢えをしのいました。
1年ほど倉庫にいたでしょうか、病室を借りていた方たちは我々のこの様子に心を痛めて、我々に住ませるようにいって、よそに移ってくれました。長兄夫婦がおもしろくない気持ちが目に見えるようですこうして。彼らと母の戦いは本格化していったのでした。
自分史を違法建築問題から始めたのは、私が生まれ育った、そして現在も居住する集落、なかんづく近隣との関係は私の精神形成に欠かせないと思うからです。
2項道路は昭和25年に施工されたということで、ずいぶん前からあったのだなと驚かされました。一般に周知させる努力がされなかったために多くの違反が行われ、現在多くのトラブルを抱えているようです。昔の役人は知りたければ自分で調べろという態度でした。親切になったのは最近のことでしょう。
昭和21年11月14日、私が5歳の時、医者であった父が往診途中で急死、家を出ていた腹違いの長男が家族を連れて家に入り込みました。長男相続の明治憲法による権利の主張でした。新憲法は11月3日に交付されていましたが、施行され長男相続が廃止されたのは昭和22年5月でした。たった半年の差で母子4人の運命は過酷なものになりました。
翌年我々母子は家を追い出されたのでした。母の在所で1年暮らし、私の小学校入学に合わせて家に戻ったのですが、家の中に入れてくれるわけもなく、電気も通じていない4畳半ほどの物置に住み込みました。そこから15年ほど、財産相続を巡る母の苦しい戦いが始まったのでした。長男相続の伝統に生きる集落はすべて兄の味方だったようです。
父は日露戦争の軍医でしたから愛国者でした。おそらく敗戦は相当のショックだったでしょう。死ぬ前はアルコール中毒者になっていたようです。
このブログから長らく遠ざかっていたのは自分のホームページで忙しかったのと、 近辺些事で忙しかったからということもあります。
「魂の風景」 二項道路の無許可建築、里道の私物化と我が家の近所は無法者がそろっています。 役所も驚いていたのですが、役所から直接行動を起こすことがないとのこと。 この件で悪戦苦闘して自分の魂が進化したような気がしています。
これからはその顛末も含め、自分を振り返ってみようと思っています。
上図のように、我が家の出入り口は里道に面しているのですが、 その里道は60mくらいの長さで、中は4,5mの広さですが、 公道に出るには北側1.5m、東南に2mちょっとのウナギの寝床です。 その里道が二項道路ということになっています。 二項道路については知らない人が多いでしょう。 建築基準法によって4m幅の道路と見なされる道路のことで、 幅1.8mの道であってもその中心から2mは、 土地の所有者でもそこに通行の障害となる建造物を建ててはいけない道路です。Aの倉庫はこれに違反しています。
ところで二項道路というものの存在を知ったのは、この問題が起こった3年前が初めてでした。そういう場所に家でも建てようか、建て替えしようかと言うときでない限り一般の人が知ることはないようです。建築業者はもちろん知っていなければならないことですから、業者に建築を依頼すれば教えてくれるはずです。Aと業者は結託して二項道路違反を犯したことは間違いないところでしょう。しかしAは業者がかってにやったことでしらなかった言っています。
役所に訴えれば是正に動いてくれますが、事情の調査などで何年もかかるだろうということでした。この問題で私が学んだことは、自分の所有物について、その周辺について、法律問題も含めて、しっかりした知識、情報を持たないものは容易にその権利を奪われものだということ、その権利の回復は容易ではないということです。
この問題の解決のために里道に隣接する6軒で話し合いが行われたのですが、Bは里道の買い取りを強硬に主張しました。我が家の道を3m確保できるならと提案したが、Aは絶対に売らないと強情に拒否したので、物別れになりました。
実はこの話し合いにはこの集落の有力者が調停役として出ていたのですが、Bの本家であり、5軒とは裏取引ができていたようで、2m幅道路をで我慢させようと集団で説得にかかってきたのでした。公道から私の土地までは16mほどあり建築基準法では2.5m幅必要とあります。 そう反論すると「Aに足りない1mを売ってもらえ」ということでした。里道を正しく使えば2m幅以上の道がすでにあるのにそれをなくして、小さな道を買えなどとはばかばかしい話です。
この顛末において山口県で起こった「付け火して殺人事件」を思い出しました。ある意味で皆殺しの殺意を抱いたといっていいでしょう。しかし怒りで殺意を抱き、その妄想にとらわれるのは身を滅ぼすことです。とはいえこのまま放置するのはおかしいので、これからじっくりと対策を練っていこうと思っています。
青年期の社会的自己追求は、精神主義的な魂にいわせれば、真の自己から逃げ出す、自由からの逃走という局面です。生命論的立場でいえば、真の自己に向かわないのは逃走でも抑圧でもなく、ただの未成熟・無知なのです。国家や仕事に自己同一化するのは、誤った自己同一化というより、自己探求の試行錯誤なのです。別に彼らは逃げ出しているわけではなく、まだそれに気づく段階にいないだけなのです。
抑圧とか逃走という精神分析的概念はフロイト以来のものですが、社会的自己の探求の段階において、膿があふれるほど(肥大した憎悪からくる)心身の病に対する精神分析の場に限るべきでしょう。抑圧が病の原因といいますが、抑圧はまた生きる意欲の原因にもなります。通常の状態にあってはあくまで愛の重視からくることであって、憎悪を抑圧するのは自然です。
成長は必ずしも良い人間になるとか、幸福になるということを意味しないものです。ライオンもハイエナも幼児は天使のようにかわいいものです。成長とはむしろ汚れていくと考えた方がいいでしょう。幼少期はそれなりに問題はあっても汚れのないものであると思われ、大人になると、ほとんどの人はそれを懐かしむものです。大人になるとは他者・対人関係で心が汚れ、苦しみを増すものです。そこに様々な自我の幻想・妄想が生まれ、心はゆがんでいくのです。
最後にこれからの人類の成長を簡単に予想しておきます。
人類はその思春期も終わりに近づくと「世界とは何であるか、人間とは何であるか」と「道」を訪ねアイデンティティを求め、「学に志す」ようになるでしょう。青年期は「これが道である」という立脚点、アイデンティティの試行錯誤を繰り返すことでしょう。中年期とはアイデンティティを確信することかもしれません。私はそれを生命的世界観だろうと予想します。そしてやがて高年期にいたり、その世界観に「惑わず」になるのでしょう。さらに熟年すれば「世界」の「宇宙」の生と死の運命を見定め、人類の「天命」を悟ることでしょう。それは必然的に老年期の「耳従う」の境地、そして最終的には、心のままに生きて「矩を超えず」に世界を楽しむ解脱期、「悟達」の境地に至ることでしょう。私は人類の未来はこのようなものだろうと信じますが、あるいは人類の絶滅という展開もあるかもしれません。しかし、「永遠」の自我として、人類の魂は他の生命体の形をとって再生し、結局はこの魂の発達史を完成することでしょう。『魂』は不滅なのですから。
現実に現れている人間の差異は「魂」の発達段階や経験によるだけではないでしょう。生命にはバイオリズムがあるといわれますが、魂にもバイオリズムが考えられます。魂のバイオリズムは、中国思想でいう「気」というものを考えるとわかりやすいでしょう。気が盛んだとか気が弱っているというのがそれです。「気」には宇宙的な気もあります。この気のバイオリズムの研究の一つが占星術や干支などの研究、易学や陰陽学といってもいいでしょう。
とはいえ、バイオリズムについては科学的証明は不可能です。知性、感情、身体はお互いに影響を与えるだけでなく、気候や生活環境、あるいは無意識の記憶などの影響を受け、測定することができないのです。世界は様々な存在のバイオリズムがお互いに影響し合い、複雑に絡み合って、とうてい読み取れるものではないようです。すべての占いと同じように確率的にしか判断できないでしょう。それが量子論的世界ということではないかと思います。
さて、思春期の人類は青年期に向けて退行と進歩の間を揺れ動くことでしょう。青年期から人類の人口増加も終わり、減少方向に向かうでしょう。世界経済の成長も終わります。必然的に精神世界へ目が向けられるようになることでしょう。青年が最初に目指すのはきれいな整った社会生活というところでしょうか。それ故に厳しい監視社会になるかとも思われます。しかしやがて人口減少とともに経済的余力が生まれ、もっと自由な生活態度が求められるでしょう。青年とは現実に夢を追うものですから、おそらく、人類の青年期の精神の基調も唯物的世界観でしょう。
過ぎ去ってしまえば人生も世界も幻のようなものでしょう。そして年老いると肉体は苦痛なものになるし、生きることに飽きもするでしょう。悟りを開いたものたちがリアリティを不変不滅なるものと定義するのはこの心からだろうと思います。そして苦しみの原因である意識を絶って、無意識の安樂のなかに「私が私自身であり、永遠であるという」感覚、この内的充実感を愛するようになるのでしょう。
老いたものが肉体的喜びを感じなくなるのは仕方がないことです。しかし、変化するものとしての肉体性も永遠のものです。視覚・嗅覚・触覚、これら感覚、若い魂はこの変化相を愛するものです。この変化相にはそれを生み出す永遠の源、変化相因とでもいうべきものがあるはずです。この点においてアリストテレスのエイドス・形相因という考え方が参考になるだろうと思います。仏教的にいえば「諸法も仏法も法のうちにある」のです。「自我」は『永遠』の変化相と自己との関わりであるということもできるでしょう。
人類はこれから、青春を通して親離れすなわち国家や宗教からの「三十にして立つ」自立を目指していくということになるでしょうが、それは生命論的立場に立って自己を考え世界を考えるということになるでしょう。その考えに立って自己と世界の調和をはかっていくことでしょう。そしてやがて変化相の世界における己の役割を知るということになっていくことでしょう。人類は青年期の終わりにはまだそのことを知るには至らないと思いますが、自立へ向かって行動を起こし、壮年期には、少なくとも神や物質に依存しない自分を持つだろうと思います。
人類の歴史とは『永遠』の自我の発達史なのです。壮年期以降の人類は自然や世界との融和・一体化に向かって努力することになるでしょうが、それがどのような成り行きになるかを想像するのに孔子の一生を思い出すのがいいかもしれません。有名な「我十ゆう五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところにしたがいて矩を超えず」です。――モデルにするといっても、これは孔子個人の一生の精神的成長で、人類の発達とは様相が違います。孔子には老子や釈迦のような現実を幻のように見る「世界否定」の精神はありませんから、その社会的な情熱のあり方からいっても青年的で、ウイルバー的にいえば「心理的自我」の段階の、青年期の終わりから壮年期くらいの発展段階にあると考えて良さそうです。「三十にして立ち」とは自分自身の思想、儒教的思想に到達したということでしょう。その後の精神史はこの思想を生きる上での精神状態を表しているものと思います。試みに彼の次の人生を想像してみましょう。次の人生の青春期には、おそらく自分の樹立した儒教的な)社会的信念を抱き、その発展に尽くし、青年期の終わり頃にはその努力の徒労とむなしさに絶望するという状況が考えられます。そして釈迦的否定思想に傾くでしょう。全的な現世否定です。いや、ウイルバーの意識進化論に忠実な言い方をすれば、「サトル段階」の釈迦に至る前に「霊的段階」という超常的精神状態に至るかもしれません。――ただ霊的能力を持つ人物の魂が必ずしも高度の発展段階にいるとはいえないようです。まだ幼児期の魂の場合が多いのではないかと思います。また、ウイルバーのいう心理的自我の次の霊的段階とは身心の異常、病的な状態から来る幻覚・幻想かと思われます。それは自我の疲労倦怠から来る病、あるいは幾多の生の体験で魂にたまった毒素がもたらすものともいえるでしょう。それは青春期にも壮年期にも、発達段階の変わり目にはいつでも起こりうることでしょう。しかし、その幻覚的エクスタシーにおいて癒しを求め、一時的に癒されることでしょう。――
ここではウイルバーの考え方を離れて人類の精神的発達段階を見てみたいと思います。人類が老年期にさしかかるころ、精神は霊的救いを必要とするような危機的状況を迎えるかも知れません。霊的世界も現世否定ですが、まだ自我は夢を追っている状態です。やがて霊的エクスタシーも悪夢と化す日が来るに違いありません。ドラッグの中毒症状のように、これも自我の実存的快楽の毒というものでしょう。ここに至っては、自我はもはや自分自身を放棄するしかありません。それが全的現世否定、自我否定に至る「悟りの段階」、ウイルバーの「サトル段階」に他ならないでしょう。しかし自我の役割はこれで終わりではありません。「否定の否定」すべてを否定し、自分さえ否定し尽くしたとき、その悟りさえ否定しなければならないのが自我の宿命です。全否定の後に待っているのは全肯定しかありません。ここで初めて自我は自らの「天命」を知るでしょう。人類にとっての「天命を知る」とは、「心理的自我段階」の究極、すなわち人間・自我の世界における役割を知ることでしょう。言い換えると人類を「永遠の自我」と知ることでもあります。「耳順う」とは「サトル段階」がさらに進化し、人間のこと、自然のこと、世界のこと、あらゆることが「一を聞いて十を知る」ように分るということでしょう。「心の欲するところにしたがいて矩を超えず」とはその究極といえるでしょう。
その後の終局について、ウイルバーは意識の進化の究極に神と人の魂が融合して無分別の世界に入る「コーザル(元因体)段階」を想定しているようですが、地上の天国を夢見るキリスト教徒らしい考えですが、地上は絶対的に差違分別の世界ですからあり得ないことです。終局は、人類の消滅に他ならないと思います。
問題は「平均的意識」に対して「突出した意識」がなぜ生まれるのか?彼はこの疑問に答えていないようです。彼だけではなく、すべての西洋思想はこのこと、魂の優劣に疑問さえ提出していないようです。
おそらく彼ら西洋精神にとって個々の魂の優劣差異は神のさじ加減、自然の摂理、運命的なものなのでしょう。あるいは単に個人の努力に帰しているのかも知れませんが、努力する精神的能力の差異はどこから来るのでしょう。天賦の才なら運命と同じ事ではないでしょうか。しかし彼らはそこに魂の主体的自由、選択の自由を見るというかも知れません。あらゆる人間的行為に対して、彼らは自由な魂の選択としての自己責任を見るのでしょう。神がそのように魂の自由を与えたのだということでしょう。もしそうだとすれば、人が悪を選らんだならその責任で罰を受けるのは当然です。また極端な場合、そのDNAは排除される必要があると考えるでしょう。生命の進化が自然淘汰、適者生存であるという考え方に通じています。 こういう考え方は西洋化した今日の日本人にも一般的でしょう。とはいえ、もちろんキリスト教の中には選択の過ちを犯したものにも神の救いの手を伸ばすという考え方もあるようでしょうが、ごく少数派のようです。
現代は生まれつきとしか言いようのない人格障害をよく目にするとき、上述のような主体的自由で人間の生き様を批判することはもはやできないのす。実存の自由の原動力として魂の自由はありますが、それは運命の歯車を回す力でもあるというべきでしょう。つまり人間の一生は運命に他なりませんが、自分自身であろうとする欲望の葛藤が運命を作っているのではないでしょうか。
いるのではないでしょうか。
ウイルバーの場合、その心理学はカウンセリングの現場にある人々を対象としているという限界があるようです。人間的現実の多様性を意味づけようという意志は古来の精神的伝統に則ったもので、それ以上ではないようです。つまり、修行などにより精神的高みに達するという精神主義です。
現代が発見したのは精神にも生まれつきの差異があるということの重要性です。そして運命はひとえに人間の精神に責任を負わせるにはあまりに過酷な場合が少なくないということです。昔の仏教はそれを過去生の罪業に帰していました。しかし、元々の最初の魂に何の罪業もないではないでしょうか。彼はなぜ過ちを犯したのでしょうか。無知からだとして、その無知は彼の罪でしょうか。つまり、生まれ落ちたとき魂はすべて無知無明なのです。それは罪ではありません。それはそのようにしてあるのです。――このことについてはゲンコウノート・魂論にもう少し追求してあります。
ちょっと脇道にそれますが、無明を解き放つには知が必要です。知識の知ではありません。知識、は現実を概念化し、概念の間の論理的つながりを構築しただけですから、素直にそれを信頼し覚えれば、分かった気になれる、割り切れた気になる、それだけのことです。目の前にあるものをパソコンといわれてパソコンかと納得してしまえるということです。しかし、心は運命に破壊されたとき不気味な、割り切ることのできない奇妙な様相を呈します。パソコンって何なのだ<コンピューターとは<電子回路とは?<電子とは<原子とは?<素粒子とは?<根源物質とは<量子とは?<確率とは?<実在は認識できないとは?と概念的知識は、最後には答えのない世界に行き着くしかないのです。
さて、話を元に戻しますと、人間の運命の差異を罪悪に持って行くことの不当性を語りましたが、それでは何が運命の差異をもたらすのかといえば、実在を生命的原理とみることによって疑問を解決できると考えます。自然科学には物理学と生物学がありますが、生命科学ということに注目したいと思います。
ウイルバーはギリシャから始まる西洋的理性や論理的精神・主観を自我と見ているようですが、それは自我の西洋的環境でのあり方ではないかと疑う必要があるのではないでしょうか。釈迦や、老子、孔子にとっても自我が本質的な問題だったはずです。ただ、人間の自我(私・エゴ)を肯定的に尊厳性としてとらえるか否定的に劣性としてとらえるかの違いではないでしょうか。東洋の精神は論理的理性を否定する方向に向かったと考えた方がいいのではないでしょうか。
自我と理性を同一視、あるいは自我に理性を付属させて肯定的であった西洋にとっても、実はこの「自我」(自我 - Wikipedia参照のこと)なるものを何ととらえるかは人・立場によって様々で、現代では非常に難しいことのようです。
自我に否定的な東洋でも唐代、華厳哲学の頃にも自我の理性的な働きについて考えることがあったようですが、あくまで自我に否定的で、天の法・理や気(理気説)に属するものととらえているようです。
このように東西の自我のあり方の違いは自我の方向性と考えることができると考えます。神話的段階の「突出した意識」、唯一の絶対的存在は「神」だけではなく「天」や「仏法」、あるいは「混沌」ということも考えるべきではないかと思います。それ故にウイルバーのいう「各時代のなかでももっとも進化し、その時代から突出した意識」のあり方、考え方は、この頃からから大きく分離多様化していったと見るべきではないでしょうか。特に東西では大きく違った見方をする必要があると思います。
現代を人類が心理的自我の段階にあるとしても、心理的自我の段階にある人間はまだ少ないのではないでしょうか。指導的人間の多くは心理的段階にあるでしょうが、大衆の多くは宗教的神話的段階にいるようです。もちろん前自我的なテュボーンやウロボロス段階のものも少なくありません。特に人口増加の激しいインドや中国には前自我段階の魂も多いでしょう。
現代が人類=「世界自我」の思春期だとして、いったん過去を、ケン・ウイルバー的に振り返ってみましょう。――ウイルバーの意識の進化論を引用しますが、必ずしも全面的に容認しているわけではありません。また彼の著作を直接読んだこともありませんので、あくまで一つの考え方としてのものと思ってください。 ――
人類の赤ん坊時代・乳児期は「ウロボロス的段階」(人類誕生から原人の出現まで頃)に相当します。「意識の地図」的に言えば「前自我的段階」でしょう。幼児期は「魔術的テュボーン段階」(原人が出現し、アニミズム・トーテミズム的な精神状態。シャーマン的指導者が出現した時代)に相当すると思われます。小学生時代は「神話的段階」、「神話ー共同体段階」(シャーマンが神王へ進化し、巨大な神殿などが造られた時代)に相当するでしょう。ただ、ウイルバーの考えかたでこの時期の「突出した意識」を「唯一の絶対的存在、神との出会い」と言っているところが気にかかりますが、キリスト教徒として育ったからでしょう。彼には仏やブラフマンと神を同一視しようという傾向があるようです。
「永遠」の肉体としての「大自然」の進化過程(人間でいえば基本的機能の完成する乳児期までかも)は遙か昔に終わっていますが、成長は持続されてきました。そしていまや、発達心理学的にいえば、少年期から青年期(13歳頃から25歳くらいまで、最近は30歳頃までという考えもある)の入り口、いわゆる思春期にあるのではないかと見られます。そこから、これからの「世界」を予想するのは難しいことではありません。ただし、昔の青年像を思い描くことは無用です。昔の青年は、人類的な少年期(おおよそ学童期)で、親がかり(つまり神仏への依存)で自分の生き方、アイデンティティを決めていました。人類の青年は親離れ(宗教的価値観への否定、反抗など)に向かうと考えられます。
(人間は対等な他者、異性などを持っていますが、人類という個体には相対的な他者がいないということも重要でしょう。この人類という唯我者には内的葛藤しかありません。そこには自然と精神の、「世界」の自己運動・オートポイエシス運動があります。精神や自然の自己運動としての弁証法というものがありますが、もっと複雑な、相対性理論や量子論などを含んだ、多元的なものだと考えられます。)
いまや人類は思春期という波乱の時代、天才と狂気、疾風怒濤の時代に入っているわけですが、それを卒業するのにどれくらいの時間が必要かは分りませんが、後何十年も続くのではないかという気がします。2/27日の中日新聞朝刊の3面に掲載されていましたが、アメリカ商務省の発表では現在世界の人口は65億で、人口の増加率は年々下がっているが、50年は増加し続けると予想されています。人口増加の止まるときが 人類の、ひいては「世界」の肉体的成長の頂点とすれば、思春期の終わりはその何年か前(10年か20年か分りませんが)と考えられます。「世界」の人口増加についてのサイト