昔々「吉」と「𠮷」は同じなのか違うのかという議論があった。
広島県なので、毛利元就と云えば誰もが知る武将。
その出身地が安芸国「吉田」。
しかし小学校の漢字テストでは、
「𠮷田」と書かなくてはいけなかった。
一方で毛利元就の次男は「吉川元春」(きっかわもとはる)。
「𠮷」(よし)と「吉」(きち)は書き分ける事とされていた。
ところが、ある時からそれが間違いだという事になり、
「吉」に統一された。
今明治期に編修された「藝藩志」を読んでいると、
幕末の岩國領主である
「𠮷川監物」と
「吉川監物」の両方が表記されていて、
特に区別されていない事が判る。
つまり、思い込みの産物が恰も真相であるかの如く存在する例。
「䏻」という字の読み方について調べる機会があった。
この字、一般的に
京都の「本能寺」が度々火事に見舞われた事で、火事を避ける意味で
「つくりの部分のヒ」を「去」に変えて使ったとされる。
実は「藝藩志」に浅野の殿様が入京時の宿にした記述があり、
それが「本䏻寺」であった。
「藝藩志」の中では「能」はほぼ「䏻」と記述されている。
私が調べたのは、「䏻」の読み方の問題であった。
例えば「䏻ハス」とあれば「あたわず」と読むわけだが、
今回は「䏻ク」を何と読むのか調べようと検索したのだ。
検索はYahoo!検索かGoogle検索を使用するのだけれど、
その際、Yahoo!知恵袋の記載がリストにあった。
何云ってんの?と思ってビックリック!
どうも話の趣旨では「去」の部分の字が違っていて、
「䏻」だと「ドウ」と読む別の字だと主張している様子。
それも皆それに賛同している様で本当にビックリ!
本能寺で見つかった瓦の写真で、
ノウは「去」の字が若干斜に構えた様な字体になって別の字なんだと。
しかし、私はこの字に心当たりがあった。
基本的に書籍に使うフォントに「正楷書体」を用いる。
単純に美しい字だからという理由だけれど、
このフォントだけでは表現しきれない字が有る為、
補助的に「IPAmj明朝体」を使う。
そうすると斜に構えた様なフォントになる。
ただ、それでも表現しきれない字も存在する為、
もうひとつ「MS明朝体」を使っている。
そうすると「去」になる。
䏻
一寸見れば単にフォントの違いではないかと思うのが常識なんだけれど、
そうでない人がある程度の人数居るらしい。
「本䏻寺」だと「ホンドウジ」だという直接的意見もあった。
しかし、よく調べて欲しい。
「能」という字の読みは「ノウ」だけではない。
当に私が調べていたのは「ノウ」以外の読み方。
「䏻ク」の読みだった!
Yahoo!知恵袋ってゴミみたいな情報が多いので気をつけなければならない。