明日と明後日は大学入学共通テストなんですね。
先日初詣に行ったら合格祈願の絵馬がたくさんあって、
自分が受験生だった頃を思い出しました。
受験、ほんとうに苦痛だった~~~。辛さしかなかった。
夏に部活を引退してから、もう当然のごとく受験戦争がはじまり、
一応進学校だったのでみんなの顔が一気に変わった気がします。
私は当時やりたいことも勉強したい学問も無かったので、
適当にまあそこそこの偏差値の大学を志望校にして勉強していました。
今思えば、まずこのモチベーションの低さが苦痛の原因だったと思います。
だって頑張っている目的がいまいち自分の中ではっきりしていないから。
確か夏休みにオープンキャンパスとかに行ったりして、
ふうん、大学ってこんなとこか~、大学生って大人だなあかっこいいなあとか
思ったりしたけど、まずオープンキャンパスを選ぶ時も選択肢ってほとんどなくて、
夏休みに実家からいける距離で、みんなもとりあえず行ってそうなところ、
みたいな感じで選んだので、志望校選びとしては全然足りていなかった。
でもそんなもんじゃないですか?17歳とかのまだまだ子どもが、
下手したら人生左右するかもしれないぐらいの重要な決断を迫られて
その後一切後悔しないような決断を出せるなんて、本当に奇跡だと私は思う。
まあそんなわけで皆もやってるし自分もやらなきゃという義務感で
毎日毎日勉強して、塾にも通ったのですが、結局受験って何だったのでしょうね(笑)
当時は本当に必死で、やってるはずなのに全然上がらない成績とか
ちょっとしかやってなさそうな友達の成績がぐんぐん伸びたりとか
これ何の役に立つんだみたいな内容の勉強とか
もう鬱。(笑)
今では冗談も交えながら、赤点とった話とか、
模試会場に行く途中ストレスでおなか壊して途中下車して試験に間に合わなかった話とか、
F判定でも公立一本で入試に挑んだ話とかできるけど(笑)、
受験生だった時はもう些細なことで朝から晩まで一喜一憂して、
自分が向かっている方向もよくわからず、暗闇でした。
結局、私は現役の時不合格で、一浪して、それでもまた落ちて
滑り止めで受けた大学に入学しました。(笑)
しかも滑り止めに選んだ理由は、模試の時に志望校を書かなきゃいけなくて、
自分の当時の偏差値と塾作成の偏差値リストを見比べてここなら受けれそうみたいな感じで選んで、
それをそのまま願書出したんですよね。我ながら適当すぎる(笑)
でも今、自分でもびっくりするぐらい全然後悔してない!!
寧ろ今の自分にとても満足してる。
なぜかっていうと、大学に入って世界が広がって、
自分の得意なことと不得意なことがより分かってきたから。
高校の時は、自分の通っている高校や塾が世界のすべてで、
そこで見聞きすることが自分の価値観になっていたわけです。
でも今、受験でコツコツ頑張って結果を出せることも、能力の一つで、
それが出来なかった(志望校にいけなかった)からといって
別にそれが人生の終わりでもなんでもないということに気づいた。
たとえば料理が苦手だったり掃除が好きだったりサッカーに熱中していたり
だれでもありますよね、それと同じなんじゃないかなと思う。
私は大学で留学する機会に恵まれて、またさらに広い世界を知って、
新たに自分の得意なこと、不得意なことも分かった。
何かに挑戦するってそういうことなんじゃないかなと20代の私は思います。
挑戦して、成功すれば嬉しいし、
失敗して悔しくても、またやりたければ再チャレンジもあり、
はたまた違う方向にすすんでみるのもあり。
そしてまたちょっと進みたい方向が見えて、とりあえずやってみる。
未来の私、どうですか?
もうすぐ社会人になってまた新しい世界に足を踏み入れます。
数年後はもしかしたらまた更に違う考えになっているかもしれない。
とても楽しみです。
受験生だった闇の2年間、そして失敗した経験は、間違いなく今の私を形作っています。
でも訳のわからない数学の公式も、古典の助動詞の活用も、受験という大きな挑戦の一部としては
無駄なことなんて無かった。(と思いたい。)
良い経験でした。
ただ、もう二度とやりたくはないです。(笑)
受験生の皆さん、もし読んでくれている人がいたら、
どうかくれぐれも体調には気を付けて、
応援してくれている大切な人への感謝を忘れずに、
緊張してもしなくても結局できることは自分のやってきたことだけだから落ち着いて、
この受験シーズンを乗り越えてください。
私も常に新しい挑戦はしていきたいです。
今日はこれで。
苺のレアチーズタルトを作りました。
今日はお姉ちゃんの誕生日で、
リクエストにおこたえ。
喜んでもらえて何よりでした。
姉と私は全然性格も趣味も違います。
幼いときはずっとその背中を追いかけていました。
幼稚園入園も小学校入学も習いごとをはじめるのも、いつも姉が先。
お手伝いでちょっと難しめのものはいつも姉。
近所の公園の2つしかないブランコの、背の高い方はいつも姉。
小学校ぐらいからはお互いライバルのようになって、
先に中学に入って部活を始めた姉のコンクールは鳥肌が立つほどかっこよくて憧れて、
高校では姉が大人になりつつあって私達家族から少し離れていって分からなくなって、反抗して親を悲しませる姉が大嫌いになったりもして、
泣きながら大喧嘩もしました。
大人になって、
結婚式の姉は、
なんだかどっかの知らないお姉さんのようにも見えて、
あーまた今回も私より先で、
今度はついに旅立っていくのねと少ししんみりして、でも姉はとても幸せそうで、私も嬉しかった。
だけど、姉は私が生まれた瞬間からずっと、何があっても親の次に私の一番近くにいてくれた存在です。それはこれからも変わらない。
色んな感情が湧いてきます。
でもとりあえず何より、お姉ちゃんにとって1年で一番大切な今日をお祝いできてよかった。
いつもありがとう。
時々ごめんね。
これからもよろしくね、って
思いながら作ったケーキ。
美味しい美味しい、また作ってねと言ってくれた。
だけどしばらくはいいかな、
タルト生地から作るのはちょっと
面倒でした。(笑)
お姉ちゃんおめでとう!
今日の晩ごはんはたこ焼きでした。
たこ焼きって、すごいんですよ。
その凄さに改めて気づいたという話。
まず1つめに、美味しいでしょ。(笑)
丸くて一口で食べれるし、
(私は大食いです←)
具もソースも味変できるし、
そして前もって取り分けないから自分がどれだけ食べたか見えなくて、
永遠にいける気がする。(笑)
(…よね?笑)
そして今日、たこやき良いなと思ったのが、
コミュニケーションがとても自然に生まれる
ということ。
私は今実家で家族と住んでいます。
喧嘩が多いわけでもなく、
かといって何でもかんでも話すわけでもなく、まぁ普通の家庭かなと思います。
中学生の時ぐらいまでは、
嬉しかったことも愚痴も成績も何でもかんでも親に話して、聞いてもらってアドバイスもらったり、
反抗期には些細なことでも毎日のようにぶつかってみたり、
まだ子どもだからお金のこととか自分ひとりで判断できないことも多くて、そういった意味でもよく相談したり話したりして、親は私のことを結構知っていたし、
私も知られていると思っていました。
だけど高校生になって、
大学生になって、
留学もして、
海外で働いたりもして、
親の知らない私が増えていったように思います。
バイトをしたり、友達と遊んだり、
自分のコミュニティが増えて、
親と共有しない時間が増えて、
物理的に離れる期間もあって、
隠していた訳ではないけれど、
(いや恋愛とかはそうかもしれない。)
自然と、親があっての自分という存在から、自分と親が人間として、それぞれ立っているみたいなイメージになっていました。
だから親とは普通に話すけど、
全てをさらけ出すということは無くなっていました。
親の方からも、私が大人になったと信頼して、いちいち詮索や干渉をしなくなったのだと思います。
それでたこ焼きの話に戻るんですが、
たこ焼きって、一回で終わらないじゃないですか。
一回おわったら、また生地を入れて、焼いて丸めて、あつッ火傷した、とか言いながらひたすら食べる。
また無くなったら、次のターン。
生地に火が通るのを待って、
ちょっとずつ転がして、
自分の子どもみたいに愛着湧きながら
じっくり待つ。
この間に、会話が生まれるんですよね。
別に大した内容ではなく、
「知らないうちに足をつったみたいに膝の裏が痛いんだけど」
「マッサージしとけば?」
とか、
「え、この青のり美味しい」
「だっていつもの『青さ』じゃなくて100円高いやつだもん」
「へー。青のりと青さって何が違うの?」
「…さあ?」
とか、
「やっぱ鉄板のそっち側はよく火通るよね」
「そっち側まだ白いもんね」
「トレードしよ」
「よし、こっちこい、面倒みてやる」
みたいな(笑)、
しょーーーーーもない会話なんですけど、
そういう時間って
意外と貴重。
そのうちお酒も進んできて、
食卓についている2時間ぐらいの
最後の30分ぐらいは、
昔の思い出話だったり、
親の若い頃の話だったり、
私がいま抱えている悩みだったり、
そういうことを話したりもする。
改めて、そういう時間っていいなーと思いました。
なかなか改めて、
座って、最近どうなのよ、さぁ話して、
っていう展開にはならないけど、
なぜかたこ焼きを介すことで、
とてもこのやりとりが自然で心地よくてあったかいものになるなぁと思ったのでした。
タコとか粉とか買いにいったり、
鉄板出してきてまた片付けたり、
さすがにしょっちゅうは面倒くさいけれど、
たまにならその手間も全然惜しくない。
将来私も家庭をもったりして
会話足りてないなぁとか思ったら
無理に話しかけてみるより、
その日の晩ごはんをたこ焼きにしてみるっていうのも
意外と良い作戦なのかも、
って思ったりしました。
あとたこ焼き以外にもありそうだから、
話したいこととお料理とか、
ベストな組み合わせ考えてみると面白いかも知れないですね。
キャンプファイヤー×マシュマロで恋バナとかロマンチック(笑)
さて、明日は朝からバイトなのでそろそろ寝ます。
おやすみなさい。
映画『新感染』を観ました。
2016年に公開された韓国の映画。
続編が今月から上映中で、4年前にその1作目を観た母におすすめされて、一緒に観ました。
うん、面白かった!
エンターテイメント!
テーマパークのアトラクション!(笑)
って感じ。
とても個人的には、
アクション★★★★☆
スリル★★★★☆
ドラマ★★★☆☆
笑い☆☆☆☆☆
泣き★☆☆☆☆
考えさせられる度★☆☆☆☆
みたいな。
ストーリーはシンプルで、
感情だったり親子や大切な人との関係というドラマの描写もあるけど、ゾンビとのアクションシーンや展開のスピード感が楽しかった。
ラブストーリー要素も本当にちょっと。
ただ一方で、感染が抑えられず誰も信じられなくなる状況みたいなのは、今のコロナ禍に通ずるところが垣間見えて、人間の弱さとか生への執着心がリアルに感じられた。
実は私は、大学で映画や小説に現れる表象みたいなものを専攻しているんです。
それは作り手の意図的だったり意図的じゃなかったりするんですが、映画などといったメディアの表現方法には、一般的に共有されている「印象や固定観念」みたいなものが影響してるんじゃないか、それは時に差別や偏見を生むんじゃないか、と分析していく学問です。
例えば、よくアメリカのドラマで、学校で頭良いヤツはアジア人が演じていたり、ちょっと上流階級的な若干嫌味っぽいやつはブリティッシュイングリッシュを話していたりします。
一般的にアジア人は頭が良くてイギリス人はプライドが高い、みたいな印象って、なんとなくスッと入ってきますよね。
そういうことを考えてしまうから、普通に映画を見に行ってもアメリカ映画とかだといろんな雑念が湧きすぎて、純粋に作品にのめりこめなくなったりすることがあるんですが、
この『新感染』は全員が韓国人のキャストさんで、そういう意味では本当に映画をエンターテイメントとして楽しめて私的に良かった。
そしてお昼にはじめて赤から鍋を食べたという話。(笑)
ここ1年ぐらい、辛い物を食べたい欲がすごくて、
キムチ鍋とかグリーンカレーとか、かす汁にも七味、寄せ鍋にももみじおろし。
辛いものたべるとすっきりするのと、何か自分がパワーアップしている気がする。(笑)
そういえば朝もキムチ食べてました。(笑)
赤から鍋は思っていたほど辛くなかった!お味噌の味や甘みもあって美味しかった!
結局チリパウダーをセルフで追加して食べました。今日は普通の辛さのやつだったから、次は辛いほうにチャレンジしたいな~
さて、期末テストが近いので勉強に戻ります。。
(ビール飲もうかな。いいよね?(笑))
こんにちは。
ずっとずっとやってみたいと思っては実現していなかったブログを、新年になって中途半端に2週間ぐらい経った今日、そして朝でも深夜でもなく夕方の18時半という今、突然に始めてみます。
思い立った時が始めどき。
あんまり深く考えないでとりあえずやってみる。
書く内容はとくに決めていません。
ブログ名も(仮)です。笑
ただ、コーヒー飲みながら、
お菓子もちょっとたべながら、
ぼーっと考えるような、
深いようで浅いような、
浅いようで深いような、
20代の今ならではのひとり言みたいなものを備忘録として残していけたらと思っています。
自己紹介を少しします。
今、同い年の人は社会人数年目になるところですが、私はまだ大学4年です。
一年前まで休学しており2年ほど海外にいました。今は復学して、春には社会人になります。
好きなものは唐揚げとビール(笑)。
新しく挑戦したいジャンルはマンガやアニメ。(あまのじゃくなので鬼滅の刃を今さら見始めています。)
とりあえず、今回はこれで。
今日の晩ごはん、何かな〜