今日の俳句
アカシアは咲けり全身薄みどり
梢までアカシアの花咲き登る
アカシアのあんなに高くまで咲けり
76 ふるさと・季語・思い出- アカシアの花
近くの公園にアカシアの木があり、今日でがけに見たら天辺まで花が咲いていた。
花そのもは純白であるが、咲いているところを遠くから見ると、木全体が薄緑に見えて美しい。
車から見たので香りはなかったが、独特の香りがある。
花の数が多いので、蜂蜜を取るのにはいいようだ。
愛用している蜂蜜はアカシアから採ったものである(と書いてある)
蜂蜜になってもはなお香りが残っている。
東へ行ったところにもアカシアの林があったが、高速道路が通ることになり
今年の花が咲く前にすべて伐採されてしまった。
ここを通ると、花の香りが強くしたものだった。これからはアカシアの代わりに香るのは排気ガス化と思うとぞっとする。
アカシアは咲けり全身薄みどり
梢までアカシアの花咲き登る
アカシアのあんなに高くまで咲けり
76 ふるさと・季語・思い出- アカシアの花
近くの公園にアカシアの木があり、今日でがけに見たら天辺まで花が咲いていた。
花そのもは純白であるが、咲いているところを遠くから見ると、木全体が薄緑に見えて美しい。
車から見たので香りはなかったが、独特の香りがある。
花の数が多いので、蜂蜜を取るのにはいいようだ。
愛用している蜂蜜はアカシアから採ったものである(と書いてある)
蜂蜜になってもはなお香りが残っている。
東へ行ったところにもアカシアの林があったが、高速道路が通ることになり
今年の花が咲く前にすべて伐採されてしまった。
ここを通ると、花の香りが強くしたものだった。これからはアカシアの代わりに香るのは排気ガス化と思うとぞっとする。
松山でも今、この花が真っ盛りで、既にちりかかったものもあります。「全身薄みどり」は実に良い表現ですね。この白い花が咲くと夏の到来を感じます。好きな句です。
以上は「ザ・歳時記」のアカシアに準拠しての感想です。一つ、お伺いしたいのは、貴句のアカシアが俗に言う「ニセアカシア」なのか、真実のアカシアなのかという点です。樹木学者の言う「ニセアカシア」と「アカシア」の違いを歴然と言う人がいますが、私はアカシアとは「ザ・歳時記」のとおり解釈しようと決めています。間違いでしょうか。
アカシアは繁殖の強い樹として知られる。寒地の多く北国には馴染みの花、藤に似た白い花房を枝先に垂らす。遠くからも目立つ、「花咲き登る」の表現が合うと思う、作者の賢眼に敬服します。
日本で言うアカシアはニセアカシアとあり、ニセアカシアと認識しています。
「アカシアはエンジュ(槐)とも呼ばれるので,ニセアカシアはハリエンジュ(針槐)と呼ばれます。ニセアカシアは刺を持つことを表しているのです。(「植物園へようこそ」から)
アカシア=ニセアカシアの俗称(講談社版 日本語大辞典から)
オーストラリアやアフリカ産。日本のものはニセアカシアで、本来のアカシアではない。俗称については上と同じ(広辞苑)
たいじさん、ありがとうございます。久しぶりに見上げたら、天辺まで咲いていて、驚いた次第です。
「アカシア」について早速お答え戴き、有難う御座います。以前,今井徹郎氏の「花木歳時記」を詠んでいましたので、曖昧なまま、現在に至っておりました。すっきりいたしました。
大樹で高い天辺近くまで花一杯のアカシアが目に浮かんできます。、
大樹で高い天辺近くまで花一杯のアカシアが目に浮かんできます。、
天辺まで咲ききると、とても美しく、今年の発見です。