たとえば『三四郎』。新聞に掲載された本文の、科学的な事柄に関する記述について、夏目漱石は単行本にする際に手を入れた。ふつうならば、最後に活字になったその単行本が『三四郎』の本文となるべきだろう。これほどはっきりした例ではなくとも、他の小説でも事情は同じである。
最後に活字になったものよりはじめて活字になったものの方が漱石の意図に近く。はじめて活字になったものより原稿の方が夏目漱石の意図に近いという判断は、ずいぶん奇妙だ。ところが、漱石全集編集部はこうした編集方針に従って、天理大学附属天理図書館に所蔵されている『三四郎』の原稿を活字化した
さまざまな異同 (本文の違い)はすべて「校異表」 (本文ごとの違いを記した一覧表)に回した。したがって、いちいち巻末の「校異表」を見なければ本文を確定できなくなってしまったのである。この『漱石全集』は、研究者にとっても取り扱いが実にやっかいなものだろう。
評論や書簡や手帳などについては、この『漱石全集』にしか収録されていないのでこれをつかうしかないが (ただし研究者が付けた「注」はどの巻のものも有益だ)、小説については次善の策として、伊藤整・荒正人が編集した集英社版の『漱石文学全集』の普及版を使う手もある。
CiNii 図書 - 漱石文学全集 ci.nii.ac.jp/ncid/BN09819407
集英社 ― SHUEISHA ― shueisha.co.jp
この本の趣旨は、これまで研究という営みに閉じこめられていた漱石文学の pic.twitter.com/gnOlOq8wRI
読みを開放することにある。だとすれば、一般の読者がよく読む本文を用いるのが方法の一つかもしれない。もちろん文庫だ。それは、最もよく読まれた夏目漱石文学でもある。
そこで、漱石のテクストを多く読むことができる文庫の中から、漢字の平仮名への開き方が比較的少なく、元の味わいをよく残しているのが新潮文庫だ。繰り返すが、この選択には研究という営みを一般読者に解放したいという願いが込められている。
夏目漱石 新潮社 shinchosha.co.jp/writer/2374/
同時代評については以下の文献が個人的に薦めたい。
平岡敏雄『夏目漱石研究資料集成』全10巻+別巻、日本図書センター。
平野清介編『雑誌集成 夏目漱石像』全20巻、明治大正昭和新聞研究会。
平野清介編『新聞集成 夏目漱石像』全6巻、明治大正昭和新聞研究会。