野球小僧

幻の東京オリンピック

4年に一度行われるオリンピックは世界一のアスリートが自国の代表として自分自身のために、国の名誉のためにメダルをかけて競い合います。

私たちは、その姿に共感し、感動し、夢を与えてくれるスポーツの祭典です。

2020年から半世紀以上前の56年前。1964年10月10日に東京で第18回夏季オリンピックが開幕しました。

日本はもちろんのこと、アジアで初めてのオリンピック開催という意味と、戦後日本の復興・発展を世界にアピールする絶好の機会でもあり、この東京オリンピックに合わせて東京を中心に新幹線や高速道路などの開発もあって、日本は急成長しました。

しかし、さかのぼること24年前の1940年9月にも東京(都ではなく市)オリンピックが開催される予定でした。

東京でのオリンピック開催を目指す動きが始まったのは、1929年の国際陸上競技連盟会長の来日がきっかけでした。その後、1931年に東京市議会でオリンピック招致活動が正式に決定され、招致予定年を1940年(日本での紀元2600年:日本書紀に書かれた神武天皇の即位から2600年目を記念)としました。

1932年夏に行われたロサンゼルス・オリンピックに際して行われた、IOC総会にて日本は正式に開催地への立候補を表明、1935年のIOC総会で1940年のオリンピック開催地候補が東京、ローマ(イタリア)、ヘルシンキ(フィンランド)に絞られ、1936年のベルリン・オリンピックの際のIOC総会で、1940年の第12回夏季オリンピックの開催地が東京に決定されました。

オリンピック開催が決まり、東京市内ではさまざまな整備工事が本格的に行われ、競技会場や宿泊施設も次々と建設されていきました。

しかし、これとほぼ同時に国内外では開催に反対する動きが起こっていきます。

東京オリンピックに対する反対の動きが起こることとなった大きなきっかけは、1937年7月7日に盧溝橋事件(日本軍と中国軍との間で起きた衝突事件)が発生し、1938年には日本と中国との戦争が長期化する見とおしだったことになります。また、国際的な緊張が高まっている状況で、日本国内ではオリンピックなどを開催するべきかどうかという議論が出ていました。

海外からは日本と中国との軍事衝突が問題視され、当然のように日本がオリンピックの開催地として適当かどうかの疑問が出てきます。特に、国際連盟を始め、国際社会での日本批判は大きくなり、IOCのには東京オリンピック開催に反対する声が多くなっていきます。

こうした事態を受け、日本に辞退を求めることを決めたIOCは1938年4月2日に、「東京オリンピックの招待状が発送される1939年1月までに日本が戦争をやめていなければ、英国、米国、スウェーデンはもちろんのこと、他の国々からも参加拒否の動きが出てくるだろう」と述べ、「そのような事態を迎えるよりは、自ら辞退を申し出る方が日本にとっても良いだろう」と勧めてきたということです。

結局、日本政府は1938年7月15日の閣議で、開催返上を正式に決定しました(これにかわってヘルシンキで第12回夏季オリンピックの開催が決定されましたが、こちらも第二次世界大戦の勃発によって実現しませんでした)。

実は、この開催返上は、もう一つ同じ1940年に開催される予定だった第5回冬季札幌オリンピックも同時に開催返上をしていました。この札幌オリンピックも開催されれば日本初・アジア初の冬季オリンピックとなる予定でしたが実現しませんでした。

この東京大会と札幌大会はオリンピックの長い歴史の中で、開催国が開催を返上を決定した唯一の事例でもあります。

そして日本は1941年に悲惨な太平洋戦争へと突入していきます。

数年前までは日本国内でオリンピックモードだったのが、今度は先の見えない戦争の中で、日常生活は厳しい管理下への社会へと変っていきます。さらに、1944年に米軍の本土空襲が始まると、オリンピックのために建築されていった施設などを消失していってしまいます。

施設などは、再び造ることは可能でしょうけど、オリンピック出場を目指して練習に励んできた選手がいます。最盛期を戦争で逃した選手だけでなく命そのものを失った選手もいます。

■戦争で亡くなった方々(一部)
西竹一さん(陸軍大佐):第10回ロサンゼルス大会馬術障害金メダル
内田正練さん(海軍司令官):第7回アントワープ 競泳100・400m
相沢巌夫さん(陸軍司令官):第9回アルステルダム 陸上100・200m
木谷徳雄さん(不明):第3回冬季レークブラシッド スケート
落合正義さん(陸軍上等兵):第10回ロサンゼルス 陸上ハンマー
長尾三郎さん(陸軍伍長):第10回ロサンゼルス 陸上やり投げ
阿武巌夫さん(陸軍上等兵):第10回ロサンゼルス 陸上100・400m
武村寅雄さん(陸軍兵長):第10回ロサンゼルス 競泳1500m自由
石田英勝さん(陸軍特殊 飛行部隊):第10回ロサンゼルス 水泳高飛び込み
河石健吾さん(陸軍大尉):第10回ロサンゼルス 競泳(銀)100m自由
横山隆志さん(陸軍二等兵):第10回ロサンゼルス 競泳(金)400・800m
中村英一さん(陸軍准尉):第10回ロサンゼルス ホッケー銀メダル
柴田勝巳さん(陸軍兵長):第10回ロサンゼルス ホッケー銀メダル

確認できるだけでも35人にも上るそうです。

日本が再びオリンピックを開催できるようになったのは、1945年に敗戦を迎えてからになります。そして、その夢が実現できたのは1964年になってからになります。

新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、2020年3月24日、日本の安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が電話会談を行い、1年程度日程を延期して2021年夏までに開催することを合意し、直後に実施されたIOC理事会で正式に決定しました。開催時期については酷暑を避けて春に開催する案も出ていましたが、感染症終息までの期間や予選日程などを考慮し、2021年7月23日~8月8日の日程で開催することで合意ししました。

新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。

どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。

私のブログにお越しいただいてありがとうございます。また、明日、ここで、お会いしましょう。

コメント一覧

まっくろくろすけ
watanabe_marchさん、こんばんは。

オリンピック自体の開催は1年後ですが、選手選考などをスケジュールを考えますと、それほど時間は残されていなさそうですね。しかも、オリンピック開催に影響力のある米国の状況を考えますと、さらに難しさを覚えます。

追記
先日の「鉄腕DASH」では「手賀沼」が舞台でしたね。思わず、TVの前で「おおっ」となりました。
watanabe_march
来年のことは鬼が笑うと言いますが、世界中でコロナ絶滅が条件となりそうで、どうも実現は難しようですね。実現しなかった場合どうするか、今から考えておく必要がありそうです。
まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。

いやいや、何しろ「大化の改新」を観ていましたからね・・・。

1年後はわかりませんね。でも、明日のブログは100年後のことを書いていますので・・・。

正気、練習もままならない競技、国、地域、そして選手の方がは多いと思います。これらの一つでも欠けた場合には開催はできません。

本気で東京オリンピック・パラリンピックを開催したいと思っているのならば、日本政府は日本国民のみならず、世界に向けてもっとリーダーシップを発揮してほしいですよね。日本国民だって頑張っているのですから。
eco坊主
おはようございます。

流石に明治維新をその眼で見てこられたまっくろくろすけさん。
太平洋戦争前後もしっかりと覚えておられるんですね。感服仕り候!

2021年7月23日~8月8日どうなっているんでしょうか?
私の愚脳では新型コロナのその頃の状況を正しく読むことはできません。
ただ、今は開催に疑問符が付きます。
それを目指して鍛錬されておられるアスリートの方には申し訳ないですけど。
勿論希望は終息し開催されることではありますが、利権や忖度やお友達のために無理やりの開催だけは避けて欲しいものです。この声届くかな・・?


多くの方に感謝しつつ自らの行動を考えたいと思います。
ここにお越しの皆様もどうかお気をつけください。
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