第101回全国高等学校野球選手権の大会第2日目は一回戦4試合が行われました。
■第1試合
履正社高は初回、桃谷選手と井上選手のソロホームランで先制。9回表には、桃谷選手がこの日2本目のホームランを放つなど、ホームラン5本を放ち、二回戦進出。なお、履正社高は選手権の1試合チーム最多ホームランタイ。敗れた霞ケ浦高は、甲子園初勝利とはなりませんでした。
履正社223011011|11
霞ケ浦001004010|6
■第2試合
津田学園高は2回表、前選手の2点タイムリー2ベースヒットで先制。3回には、2アウト一・二塁から石川選手がタイムリーヒットを放ち追加点。投げては、先発・前選手が9回1失点11奪三振の力投で津田学園高が1回戦突破。敗れた静岡高は、打線が1得点と振るわず、16年ぶりの白星とはなりませんでした。
津田学園021000000|3
静岡 000000010|1
■第3試合
星稜は2回表、1アウト二・三塁から大高選手がタイムリーヒットで先制。投げては、プロ注目の先発・奥川選手が9回を3安打、94球で完封。投手戦を制した星稜高が、2年連続の初戦突破。敗れた旭川大高は先発・能登選手が好投するも、26年ぶりの勝利とはなりませんでした。
星稜 010000000|1
旭川大000000000|0
■第4試合
立命館宇治は0-0で迎えた7回裏、相手エラーの間に1点を挙げ、待望の先取点。投げては先発・高木選手が9回3安打無失点の快投で、立命館宇治高が春夏通じて甲子園初勝利。敗れた秋田中央高は先発・松平選手が8回途中まで1失点と好投するも、打線が終盤の好機を生かせませんでした。
秋田中央 000000000|0
立命館宇治00000010x|1
静岡県勢で最多となる39回の甲子園出場を誇る静岡・静岡高。1878年に創立された静岡高は140年を超える歴史があり、「静高」(しずこう)の愛称で親しまれています。
静岡県と言えば、サッカー王国。静岡高はもちろんサッカー部は強豪チームなのですが、硬式野球部、バスケットボール部も全国優勝を果たしています。
静岡高が初めて甲子園に出場したのは、1924年夏の選手権大会。この年は、阪神甲子園球場が完成して、初めて阪神甲子園球場で選手権大会が行われた年でもあります。
初出場で一回戦敗退でしたが、翌年はベスト8進出。1926年には3回目の出場で初優勝を飾っています。以降、優勝はありませんが、1960年、1973年の選手権大会で2度の準優勝に輝いています。
その後、選抜大会、選手権大会にもコンスタントに出場し、2015年の選抜大会ではベスト8に進出。今回で春夏通算42回目、夏は2015年以来4年ぶりの出場です。
なお、1930年には昭和天皇が硬式野球部の視察に訪れており、静岡商業高との天覧試合が行われました。これをきっかけに、両校では定期戦を毎年開催。2019年現在も続いており歴史のある定期戦となっています。
また、静岡県内有数の進学校であり、毎年多くの東京大合格者を出している、文武両道を謳う県立校ながら、硬式野球部には推薦で入学する部員が少なくありません。「静高野球部は私立校と一緒」との声もあるくらいです。
硬式野球部を率いるのは栗林俊輔監督。2008年に静岡高に赴任し、監督就任後の11年間でチームを春夏7回の甲子園出場に導き、名門復活の礎を築いていますが、就任当初は思うような成績が残せませんでした。
就任2年目は春夏秋全ての県大会で初戦負け。特に夏は常葉大橘高に7回コールド負けをするなど、歴史的な大敗を喫し、翌年、高校野球の名門校で監督を務める大学の1年先輩のもとを訪ねました。
この先輩からのアドバイスは「結果は後からついてくる。まずは選手を大事にしなさい」というものでした。当時の心境について、「自分としてはとにかく勝ちたくて仕方がなかった」と、勝利にこだわり過ぎるあまり、選手の存在が二の次になっていたことに気づかされたそうです。
選手一人一人を丁寧に観察するようにした結果、「高校生には良い日と悪い日の差がある」ことにも気づきます。それ以来、「ミスをしてもへこたれない」「自分たちのできることをやれ」と選手たちの心の動きに配慮した、細い指導を行うことを心掛けるようにしました。
練習も特に斬新なトレーニングを行っているわけではなく、「勝負の8割は準備の段階で決まる。試合という本番で自分の持っているものを出せば結果は自ずとついてくる」というのが持論で、基本に忠実な練習を繰り返してきています。
ただ、その中で大事にしていることが、練習に向かう意識とのことです。
練習中、選手たちには「何をするのかより、どうやるかが大事」という言葉を何度も投げ掛けます。ただ、がむしゃらに体を鍛えるのではなく、この練習によって何をどう改善しようとしているのかを理解しながらトレーニングをすることで、自ら学び向上する姿勢を養ってもらいたいと願うからだそうです。
究極の目標は、「選手から『監督はもういらない』と言われるくらい自立したチームを作ること」。
静岡高の挑戦、栗林監督の挑戦は続いていきます。