たとえ明日 地球が滅びるとも
私は今日 リンゴの木を植える
私は今日 リンゴの木を植える
16世紀に宗教改革で主役となったマルチン・ルターさんの言葉です。
このブログでも以前に紹介していますが、私はこの言葉が好きです。
長野県は青森県に次いでリンゴの産地。私の家の近くにもリンゴ畑がたくさんあり、実を付ける季節になってきました。
リンゴの木は一般的に苗木を植えてから実がなり始めるまでに4~5年かかります。
もしも、明日に世界が滅びるのであれば、今日リンゴの木を植えたとしても、リンゴを収穫することはできません。
そんなことをしても意味のないことだと考えるのがふつうなのでしょう。
でも、リンゴが収穫できるかどうか、なんていう損得勘定だけではないということなのでしょうね。
リンゴは大事に育てますと、その後数十年間、実をならせ続けることができます。
つまり、リンゴを植えるという生産的な行動をすることによって、「いま」を生きているという何かしらの充実感をもたらせてくれるということだと思います。
マルチン・ルターさんは16世紀に人間と神さまとの関係を再発見しようとするルター派プロテスタントを新しく興し宗教改革をした方です。
信念を持って宗教改革を始めたと思いますが、改革できるかどうか確証なんかはなかったと思います。
それがいま結果として成功しなくても、自分がなきあとの何年、何十年あとに、自分がやったこと(植えた木)に意味があればいい(実がなる)ということを思っていたのかも知れません。
それがいま結果として成功しなくても、自分がなきあとの何年、何十年あとに、自分がやったこと(植えた木)に意味があればいい(実がなる)ということを思っていたのかも知れません。
明日地球が滅びるかどうか、そのときになってみなければわかりません。
もし、わかっていたとして、わからなくても、私は以前書いたとおりに、たぶん、いつものように過ごしていたいと思います。
もし、わかっていたとして、わからなくても、私は以前書いたとおりに、たぶん、いつものように過ごしていたいと思います。
TV観て、本読んで、好きなもの食べて、ブログネタ書いて、寝て・・・と、ただ、お世話になって連絡がつく方と、息子たちには電話しておきたいですね。
まったく生産的ではありませんけど。
もちろん、やり残したことはたくさんあると思いますが、それは充実している人生の証なんじゃないかって。やりたいことが残っているということは、いまが充実しているからだと思います。
いつでも今日一日を一生懸命やって、今日が元気ならいいというふうに思って、これからも生きています。
いつでも今日一日を一生懸命やって、今日が元気ならいいというふうに思って、これからも生きています。
ちなみに、リンゴ作りはほとんどが手作業です。一つひとつ、生産者が手塩にかけて、愛情をこめて育てています。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。