福岡西部バプテスト教会

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『教会が注目されている』(20110626週報巻頭言)

2011-06-26 | 巻頭言
『教会が注目されている』

 山田雄次先生をお迎えしての特別集会が、祝福と恵みのうちに終わった。山田先生の語られる言葉のひとつひとつに、福音の神髄、根幹に関わる神の愛と私たちに対する神の期待が込められていたように感じた。
 今回の特別集会は、ひとつの特徴があるように思えた。それは、案内のチラシを配っている時、例年に比べると遥かに多くの人たちがそのチラシを受け取って下さり、目を通して下さったということ。そしてもうひとつは、純粋に《新来者》が多かったということ。これまで久々の方や、教会員の友人・知人といった、何らかのつながりが多かった中で、今回の特徴は《新来者》の多さにあった。
 これらの特徴の背後に、東日本震災があるのではないかと思わされている。あの3・11以降、人々は“生きる意味”や“神”について考え始めているのではないか。これまで宗教などとはまったく無関係に生きていた人たちが、あの津波に呑まれる状況を前にして「神はいったい何処にいるのか?」と問わざるを得なかった。そして、こうした思いが、「教会は一体、何を語るのだろうか?」という関心、もしくは興味といったものに繋がっているのだと思わされている。
 もし、そうであるとするならば、今、教会は注目されている、期待されている、と言える。この時代の中で、教会はどこに立ち、何を考え、何を語るのか...。私たちのキリスト者としての在り方が、普段よりも一層問われているのである。
 私たちの教会は、こうした地域の期待や関心にどれだけ応えることが出来るだろうか? 私たちは、にわか仕込みのクリスチャン、にわか教会であってはならない。地域の方々以上に、私たちは聖書に聴き、聖書に希望を見出し、聖書に依って立つ者でなければならない。
松藤一作

2011年6月26日 主日礼拝プログラム

2011-06-26 | 礼拝プログラム

 

前  奏
奏楽者
招  詞 Ⅰコリント12章27節 司会者
頌  栄 新生讃美歌667(聖なるかな聖なるかな) 会衆一同
主の祈り   会衆一同
讃  美 新生讃美歌104(雨を降り注ぎ) 会衆一同
祈  祷   司会者
転入会式 転入会の信仰告白
聖  書 マルコ福音書6章6b~13節 司会者
讃  美 新生讃美歌293(神の国と神の義) 会衆一同
説  教 『献身への招き』  松藤一作牧師
祈  祷
松藤一作牧師
讃  美 新生讃美歌507(主の手に委ねて) 会衆一同
献  金    
頌  栄 新生讃美歌674(父 み子 聖霊の) 会衆一同
祝  祷   松藤一作牧師
後  奏   奏楽者

【聖書 マルコ福音書6章6b~13節】

それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。そして彼らに言われた、「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい」。そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。

 


キリスト教特別礼拝へのお誘い

2011-06-19 | HOME

来る6月18日(土)と19日(日)の二日間、北九州の山田雄次牧師をお迎えして、特別礼拝を行います。

日頃から、キリスト教や教会の礼拝に興味を持っておられる方、「教会ってどんなところなんだろう?」と関心を持っておられる方など、この機会に教会の門をくぐってみませんか?

東日本大震災では、15000人もの方々が亡くなり、未だに8千人もの人たちが行方が分かっていません。

また8万5千人もの方々が、避難生活を余儀なくされています。

「神さまはどこにいるのか?」「人はなぜ生かされているのか?」といった疑問を抱かざるを得ません。

ご一緒に、聖書の言葉に耳を傾けながら、共に考えて生きませんか?

教会は、どなたでも自由に参加できます。

ぜひこの機会に、一度お越し下さい。


山田先生は、北九州市若松区の高須キリスト教会をたてあげ、25年にわたって宣教の働きに携わってこられました。

また同時に、重症心身障害児者施設「久山療育園」を支えるために、バプテストコロニー友の会の世話役としての働きも長年続けて来られました。

現在は、「久山療育園」の理事長としての働きを担っておられ、「重症児者と共に生きる社会」づくりのために、日々励んでおられます。

ぜひお出かけ下さい。




「人として深く生きる」


 ◆「愛される喜び」
  6月18日(土) 午後7時30分~9時
   ※集会後、茶菓の準備がありますので、時間の許す限りお残り下さり、歓談の時をお過ごし下さい。

 ◆「愛する喜び」
   6月19日(日) 午前10時30分~12時
   ※礼拝後、昼食の準備があります。ぜひそちらにもお残り下さり、歓談の時をお過ごし下さい。

教会員一同、心からお待ちしています。


『真正面』(20110619週報巻頭言)

2011-06-19 | 巻頭言

『真正面』  

 今日は特別礼拝で、山田雄次先生をお迎えしている。昨年度の特別礼拝もそうであったが、今日は同時に「父の日」でもある。

 一昨日、幼稚園から帰ってきた娘が、手を後ろにやって何かを隠しながらニコニコと近付いてきて「お父さん、いつも有り難う!」と、その隠しているものを手渡してくれた。お父さんの似顔絵であった。ちゃんと、眼鏡をかけ、髭も生えている。毎年のこととはいえ、嬉しいものだ。

 ディック・ブルーナという人が、ウサギのキャラクターで絵本を書いている。この絵本を「うさこちゃん」と呼ぶか、「ミッフィー」と呼ぶかで、世代が分かってしまうほど、日本でも長く親しまれている本である。この絵本には、横顔がない。どのキャラクターも、真っ正面を向いている。作者ブルーナの「子どもに正面から向き合いたい」という姿勢がそこに現れていると言われている。

 子どもはの描くお父さんやお母さんの絵は、真正面を向いて笑っているものが多い。それは、自分と向き合って笑ってくれている時のお父さんやお母さんの印象が強いからなのだと思う。ところが一週間ほど前だろうか、娘が「今日ね、幼稚園でね、お父さんの横から見た顔を書いたの」と言ってきた。僕はドキッとした。そういえば最近、忙しさのあまり子どもたちと向き合っておらず、いつもコンピューターで仕事をしたり、本を読みながら、子どもの問いかけに応えていたからだ。その印象が彼女に刻み込まれてしまっているのではないかと、戦々恐々としながら過ごしてきた。ところが一昨日、恐る恐るその子が渡してくれた絵を見ると、そこには真正面を向いて大きな口を開けて笑っている僕の顔があった。正直ホッとした。

 神は、いつも私たちに真正面から向き合って下さっている。では、私たちは神に対して、どう向き合っているのだろうか?