山田雄次先生をお迎えしての特別集会が、祝福と恵みのうちに終わった。山田先生の語られる言葉のひとつひとつに、福音の神髄、根幹に関わる神の愛と私たちに対する神の期待が込められていたように感じた。
今回の特別集会は、ひとつの特徴があるように思えた。それは、案内のチラシを配っている時、例年に比べると遥かに多くの人たちがそのチラシを受け取って下さり、目を通して下さったということ。そしてもうひとつは、純粋に《新来者》が多かったということ。これまで久々の方や、教会員の友人・知人といった、何らかのつながりが多かった中で、今回の特徴は《新来者》の多さにあった。
これらの特徴の背後に、東日本震災があるのではないかと思わされている。あの3・11以降、人々は“生きる意味”や“神”について考え始めているのではないか。これまで宗教などとはまったく無関係に生きていた人たちが、あの津波に呑まれる状況を前にして「神はいったい何処にいるのか?」と問わざるを得なかった。そして、こうした思いが、「教会は一体、何を語るのだろうか?」という関心、もしくは興味といったものに繋がっているのだと思わされている。
もし、そうであるとするならば、今、教会は注目されている、期待されている、と言える。この時代の中で、教会はどこに立ち、何を考え、何を語るのか...。私たちのキリスト者としての在り方が、普段よりも一層問われているのである。
私たちの教会は、こうした地域の期待や関心にどれだけ応えることが出来るだろうか? 私たちは、にわか仕込みのクリスチャン、にわか教会であってはならない。地域の方々以上に、私たちは聖書に聴き、聖書に希望を見出し、聖書に依って立つ者でなければならない。