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福 風

心にとまった物や想いを集めて。穏やかな風が吹きますように。

2011-10-29 | 想い



今週月曜失恋した。
とても辛くあっけない終わり。

私が想像していたからなのか、
拭えきれなかった予感が的中しただけなのかはわからんけど、
信頼していたものすべてが崩れた。

女丸出しで見苦しい醜態をさらした自分が情けなくてカッコ悪かった。
あの日転んでできたひざの傷。
このまま痕になって残れば、寂しさに負けないための戒めになるだろうか。

もう傷つきたくないよ。



 







芽吹けるものなら

2011-06-10 | 想い




心のどこかで、ひょっとして糠よろこびになるんじゃないかという一抹の不安を持ちつつも、
就活に光明を見出せそうな(見出したと断言するには、まだ怖々でして…)知らせを受け取りました。

履歴書というものは、本来自分の歩んできた道程な訳ですが、
それに嘘偽りはないものの、
字面を見て想像する仕事の能力は、受け取る人それぞれに異なる訳で、
その辺のギャップが、働き始めてから期待にこたえられるのだろうかというプレッシャーにもなっております。

正直、なにかにつけて自信がない人間なので、
できないことに対する言い訳を探してしまいそうなところですが、
今回は、

身の丈で出たとこ勝負!
できることは自信をもってやってみる、
できんことは出来るようになるためのチャンスと思って、何事も経験。
そこから学び、必要な努力をする。
謙虚になって、できないことは人の力を借りる、そして感謝する。
できることでお返しをする。

こんな感じかなぁと思っています。

また、カッコつけたこと書いていますが、
素直になっていいですか。

今まで何度か履歴書を書き、職を探すことがありました。
その中で、この歳になっての就活が、一番自分に素直になって面接に臨むことができるようになったと思います。
選ぶ人も選ばれる私も対等で、
無理したところでどちらの利益にもならない。
それなら、最初っから飾らずに、質問には正直に答えようと、
というか、そんなことすら前もって考えることなく、出たとこ勝負でバッターボックスに立てました。

選んでいただいたからには役に立てるようにありたいと思っていますが、
それも身の丈に合った頑張りでいいよね、と、やや自分に甘めの声かけをしています。
それくらいでいるほうが、力が入らない性分だということがやっとわかってきました。

昨年の春社会福祉士の資格を取ってから今まで、
あっちに行っては行き止まり、こっちに行っては水たまりにこけてしまい、
ベソかきながらの道程でした。
やっと、資格の種を植える土地にたどり着けたような、そんな感じです。

植物も、植えればすべてが芽吹くわけではなくて、
いろんな環境や条件の影響を受けて、芽吹くものあればそうでないものもある。
自分もおんなじかなと思います。
今は、芽吹く力があると信じて、
芽吹けるものなら大地を割って双葉を広げ、
本葉をつけ、茎をのばして繁りたい。

例えるならそんな感じです。

なんせ、こっからやっとやっとの始まりです。






つぶやけばつぶやくほど

2011-05-14 | 想い




つぶやけばつぶやくほど、
誰か答えてーって叫んでいるようで、
それに気がついたときの虚しさ。

自分の言動を客観的にみることができたとき、
つぶやきが多ければ多いほど寂しいんだなと思う。

面倒な生き物。

こんなことつぶやいちゃえばいいじゃん。
ってくらいの内容だけど、
書けなかったこと。



SEAMOが好きなわけ。

2011-05-14 | 想い




きっかけは一昨年のa-nationだと思う。
その時初めてSEAMOのステージを観た。
観客にふって引き込むことが上手だった。

それからだな。

ちょっと下ネタチックな歌詞もあったり、
上品じゃないんだけど、
無理して気取って暮らしている自分を素にしてくれるというか。

うん。
そうだ。
それだ。

とにかく騒げ~!って感じもあるし、
哲学的なことで考えさせられたりもするし、
全部ひっくるめて人間らしいんかなぁ。

理屈じゃなく好きやなぁ。
ハマったなぁ。
SEAMOはカンフルです。


0505

2011-05-05 | 想い




自分は子を産める体なのだろうか。

数年前から気になってはいたが、調べてもらうには至っていない。
病院を調べ検査を受けること自体を面倒に感じていたし、そこまで必要には思っていなかった。
しかし、世代がひとつ上がってから、この問題はいつも心のどこかを圧迫している。
今となっては、調べることが面倒くさい以上に、
否と出た結果をありのまま受け入れ、今後の自分の生き方に腹をくくることへの不安が大きくなっている。

好きになった人と恋に落ち、愛し愛され、授かり身籠る命。
そんな自然なものだと思っていた。

今日はこんなことを思いつめるような不安材料があったのでどっぷり否定的思考になってしまった。
元来思い立ったら即行動派なのだが、
この大型連休では明日にでも動き出すことができない。
もたもたしているうちに熱が引き、不安を見て見ぬ振りをしてしまいそうなので困ったもんだ。

10歳若ければ、きっとこんなことが頭の中をかすめることもなかったと思う。
女なら子はいつか必ず産めるものだろうと安気に思っていた。
今の不安は、出産するその時、相当痛いんだろうな、怖いなぁなどど思い怖がっていた弱虫へのお仕置きなのかもしれんな。

神様が、この人間なら育てられる、親にさせてやろうと思った人に授けるのが子ならば、
自分にはその能力がないと謙虚に受け入れなければならないんだろうが。
産める産めないのボーダーラインに立つまで、この問題から目を逸らし続けてきたつけが回ってきている。

良妻賢母。

こんな言葉は流行らないんだろうが、
心のどこかで捨てきれずにいる言葉。