Sense's 坂東太郎(利根川)(※)

きっとこう思うだろう。こんな素敵な王子様がいたのかと。最初は平民から。川を下るか登るか。鯉幟、桃太郎。

先祖:ルーツと生まれの備忘録。セキセイインコの守護霊?

2024-07-21 01:08:23 | 日記

備忘録。

―ハプスブルク家の悲劇から

ウィーンにいたマクシミリアン公を
シャルル公が気に入り、
シャルル公の3番目の奥様、ブルゴーニュ公となる娘との縁談を基本的に進めていたが、
シャルル公はあわよくばローマ公、ドイツ公に嫁がせるつもりであったが、次期皇帝を決めるのは七人の選択候であり、皇帝の一存で決められはしなかった。
シャルル公がナンシー近郊で陣没してしまい、遺言でマクシミリアン公と結婚するように残されており、
やがてウィーンのマクシミリアン公とブルゴーニュ公マリアは対面した。
そのマクシミリアン公の生気溌溂とした英雄像に結婚を予感した。
シャルル公が陣没されたので、
ブルゴーニュ公マリアは窮乏としている中シャルル公が残したマクシミリアン公しか助けてくれる者がいないと思い、来てくれる様頼んだ。
そしてマクシミリアン公はブルゴーニュ公の婿となる為にブルゴーニュまで旅をしたが、ケルンで路銀が底を付いてしまい、その知らせを受け取ったマリアの義祖母マルガレーテが資金を調達し、無事にブルゴーニュまで付くことが許された。
こうしてマクシミリアン公はブルゴーニュ公となった。すると息子をブルゴーニュ公にしよとしていたルイ11世は恋敵であるマクシミリアン公に策謀を抱いたがマクシミリアン公は真っ向勝負で彼らに勝った。マクシミリアン公とマリア公は仲睦まじきマリアテレジアに並ぶ鴛鴦夫婦と言われ、愛馬でフランドルの山野を駆けたり(ベルギー)、日夜踊りが好きな2人だったので踊り、猪猟や白鷺猟に夢中になり、夜は暖炉の側に座って英国の騎士物語やアーサー王物語を読んだ。
その後、美公フィリップや義祖母から取ったマルガレーテと命名されたマリアテレジアの才媛と呼ばれた聡明な王女でる子供たちを育てた。
そこまで読んでました。

―母方祖母旧姓斑目家の話〜織田信長の家紋について

母方の祖母の旧姓は斑目であって、
祖先は恐らく橘家から続く、
斑目惟基つまり斑目三郎から、
ルーツを歩み福島県の斑目家に繋がったと思われます。
織田信長の縁戚であり、織田信長の家紋を持っていたので、
斑目広基やその綿々たる家系の斑目家から福島県白川で生まれ育った祖母に繋がったのかもしれません。
いつか祖母のルーツの斑目家のお墓に皆と行こうと思うので、その時に織田信長の家紋の何れの家紋なのかがハッキリすると思います。

―康の一字に纏わる苦労話とこれからの話康康と蘭蘭&諸葛草の日中国交正常化の話

今日は日光東照宮の三猿、見猿聞か猿言わ猿、庚申信仰により庚申の年は中国で人々が冷たくなってしまう伝承があったので、猿田彦神社で申年が猿を宛てられる様になったこと、(私の生まれ干支は壬申です。月柱は甲辰今年の干支です。日柱は子年です。)それに拠ってか、楽しく賑やかな大通りの康の字が伏せられている事、(中国の殷家のルーツはクォーターとして持っていたのだけれど、3歳から今日に至るまで健康安楽安らかなどの康の意味と申年の見猿聞か猿言わ猿から中々開花しませんでした。)
加えて、徳川家康に拠って康が健康安楽安らかなどの意味にすっかり落ち着いてしまったことを嘆いていました。叔父様が求めていたのが楽しくて賑やかな元気な私であったのですから尚。やれ健康は百年時代、安楽は安楽死も話題がある安らかな出産は少子化だと、康の字を嘆いてました。その折に、日中国交正常化の記念のパンダ、康康と蘭蘭を知りました。
加えて私の隠されたもう一つの誕生花は日中国交正常化のピースフラワー紫花菜別の名諸葛草、これは諸葛孔明が戦争に赴く際、多くの者たちが食料に困らぬ為に紫花菜、つまりダイコンの花を地面に撒いた伝承から名付けられた。

―母方祖父の殷本家と随園別館の由来

母方の祖父の殷家はハルビンで生まれ中国国民党の蒋介石の側近の料理長でした。国共内戦でライフルを突きつけられ、私は殷の末裔だ!と雄叫びを上げ共産党から助かり、香港の政治家になったが香港人の暴力性に嫌気が起こり、田中角栄氏と電話会談で仲が良かった縁もあり、日本に秦さんのやぶにらみと言う新聞のコラムで人徳が優れ、経済的に日本にも利益を齎してくれると思う。亡命を認めていただきたい。と警視庁幹部の秦さんから融通を効かせて貰い、日本へ亡命し、その時節には大阪万博が開かれようとしていたので、芸術家の岡本太郎さんと仲が良かった縁もあり、隋園菜館を営業し、多大な利益を得たので、新宿区1丁目1番地に隋園別館を建てた。その後東京都内に限らず、国民党の残りの者を大勢助ける為に日本各地に系列店を建てていた。
別館となっているのは中国に隋園先生と言う袁枚と言う美食料理人がおり、非常に尊敬されていたので別館と名付けたそうだ。しかし亡くなってからは次期経営者が日本人であったこともあり、多くのお店が廃業した。

―父方祖父母の滝行談〜伊藤邸にて

父方の祖父の母、つまり祖父母は3度の結婚をしており、1人目は病弱で亡くなり、2人目は呉服店の店主だったがギャンブルに走り呉服を殆ど売り、逃げてしまった。3人目は時計店の店主で、あろうことか病気の際に看病してもらった看護師と仲睦まじくなっており、不幸なことに祖父母は看護師の家に3番目の夫がいるのを発見し、祖祖父はやがて逃げ、祖父母は次から次に人伝に特徴を聞いてもらい高尾山に着き、やがて高尾山にて自殺していた祖祖父を見つけた。不幸に暮れた祖父母は高尾山で7日間の断食を兼ねた滝行を行って慰霊をした。その際、お腹に子が出来たので、職業を探していた際、お世話になっていた内田先生の教導を受け、日本の偉い人の伊藤邸では今出来た子にお乳をやる女性がいなく、代わりに乳母を務めてもらえないかと言うことで伊藤邸にて乳母をしていた。博文から末という字は良くないと言われたのですゑとお墓には俗名が銘打たれている。その際に祖父が生まれたので、伊藤博文または伊藤文吉が楼飲歌という有名な伊藤博文の詩から名前を頂いた。祖父は若い時は喋りもし、自分勝手だったそうだが、私が生まれた時何かを確信したそうであり、日々テレビジョンの前で画面に電気を付けていてもいなくても、朝でも昼でも夕でも関係無く、背筋をたっと伸ばし、寡黙に祈る祖父の姿であった。
祖父は、私がそのような訳である事を知っていたので、まず慈母観音の仏像に私をお守りくださいと祈り、私が3歳の10日前に国共内から21間開かれていなかった浙江省紹興市公祭大禹陵祈念に参加し大禹治水の仏像と金メッキの銅コインを買い、大禹治水にも祈り日本と中国のクォーターとしての私のあらゆる守りと成功を祈っていただろうと思われる。1と4が朱点の大理石の骰子(サイコロ)は朱点が楊貴妃と玄宗による4の伝承による中国の骰子、黒点と2の黒点の並び方は日本の骰子を意図している。

―父方祖母のお悔やみ話

父方の祖母はその父が三峰山のある三峰神社の跡取りの筈であったが、その引き継ぎの儀式の前に父が他界してしまったので、自身が三峰神社の跡取りの娘だった筈なのと生涯悔やんでいたまま亡くなられてしまった。また、三峰神社から名を取られた筈なのに、名前を登録に行った男の発音のせいで誤って違う漢字になってしまったのを保険会社に働き始めた時に知り、それを悔やんでいた。また、自宅の丘の上の畑は自身の物にしたかった様で毎月お金を払って土地購入の取引を成立させられた筈が、残念な事に土地の管理者がその直前に他界してしまい、次期管理者がそれを理由に頓挫させてしまったので、欲しかった土地は買えないまま亡くなられてしまった。
であるから、私も埼玉県深谷市ではなく、五霞町の生まれだった筈、私自身も5/5に誕生した筈と成っている様だ。その上何らかの筈が今後私にも繋がっていたら良くないので、慰霊をしようと思う。

―誕生石によって助けられた話

私の誕生石は警告を知らせるファイブロライトキャッツアイ通称虎目石が誕生日の石で、誕生石の石はダイアモンドである。取り立ててどうと取り上げることは無いが、何らかの良い影響を齎していると思う。危険を知らされ助かった事は何度もある。胸にバラを差した3人からは祖父の黒漆塗りの瓢箪で助けられ、稲敷の利根川に誤って沈んでしまったが脱出出来なくなった時に舟に乗る釣り船に電話で助けられ、相手によれば手と足も出ない相手がいる事を極道の子から教わり、目を理由に名を明かしたが腕や脚でボコボコにされペンキを持つ脚が細く手摺も柵も無いマンションの屋上で落ちそうな時は確り脚元を保証してくれた。
剣道、サッカーが役に立っただろうとも思われる。幸運により生き延びている事を思うと、我が命無駄では無い事を思わされる。聖書を真剣に学び切った事もある。他にも違う種類の本を何冊か読んだ。

―叔父との再会

今は叔父によって運命が転換する真っ最中にいた。
それによって前述の猿と康の力の変更、
中国による楽しく賑やかな大通り繁栄を表す康と三猿ではない、中国の申と言う神様の電信を告げる稲妻を得る必要性が急遽勢いを増して生じたのである。
念願のそれは顔から汗が出るほど祈り叶う事が分かった。
ベートーヴェンにあるように人は運命に逆らえない。それが良くも悪くも血も裏切れない事を身を通じて私は知っている。
これが独善的な名であったら、どうしてこれが言えよう。
健康で英雄であれと言う言葉に免じ、
これらの発言をお許し頂きたい。

―利根川下りの桃太郎〜申酉戌

私は明治時代の桃太郎伝説の川を下った桃太郎のようだと祖母も言っていた。生まれた深谷市から本籍地かつての香取市は利根川を下った所にあるからだ。
そして鬼門の虎に対する裏鬼門の申酉戌、
それは桃太郎にお付きの動物である。申は黍、戌は桃。申は智、戌は神。妹は戌年の桃であり、私は申年の黍である。黍団子。子供の頃は桃太郎飴が大好きだった。
世の人々冷たくなる庚申信仰の庚申生まれ干支ではなく、顔が美男美女が多く心が美しい壬申ですこぶる良かった。
こどもの日の期間と言う鯉幟も、黄河伝説の大禹治水と同じ黄河の鯉幟、大禹治水の治めた龍と舞い降りた鳳凰は、殷祖父の戒名龍鳳院が因果として自然に成立している。
康康と蘭蘭により、また桃太郎伝説により、
蘭や桃はいい名前だなと思っている。
先程から窓に鳥かカブトムシの当たる音や羽音がしている。稲妻に怯えて人の家に入りたいのか。私の部屋に。入れてやりたいが、飼っているペット以外あまり好きではないものである。
おかしいことに、窓ガラスに寄っても音は静まり返り鳥やカブトムシの様な大きな羽音のする生き物はいない。あれほど頻りに入りたがっていたのにだ。何やら神の使いスピリチュアルだろうか。
祖母の何らかの筈が人生であったことを語った時に大きな音を立て始めていた。
不思議なものだ。

―金鶏鳥の話〜龍鳳院
殷祖父は、日本に来て花見川区幕張の大型マンションに引っ越した日、マンションの外に綺麗な金鶏鳥が居たのを見つけた。中国にしかいなかった鳥である。
街中に飼い主を探したが、一向に見つからないので、飼って育てた。
その金鶏鳥は殷祖父が亡くなったその日に亡くなった。それから剥製にし、今は私は知らないお寺に祀られているそうだ。その祖母は昔を懐かしみ何度も返してもらえるように頼んだが、剥製を受け取った者が何の言伝も無いまま亡くなられたので引き継いだ者が渡すことが出来ないと言うことでそれが死ぬまで心残りであった。金鶏鳥は鳳凰の頭が金鶏である。それに拠って殷時代の龍と金鶏鳥の鳳凰の字に肖って龍鳳院との戒名を授かったのだと思われる。金鶏鳥とは角も美しい一族の伝説の鳥である。 

―セキセイインコの守護霊がいるとしたら〜

先程の稲妻の最中私の部屋の窓ガラスから部屋にしきりに入ろうとする少しセキセイインコよりは大きそうな羽音の当たる音や羽ばたく音が、どうやらセキセイインコの様だったので調べてみたが、世の中にも飼っていた鳥の霊が鳴き声がするなど良くあるそうだ。
そのセキセイインコの霊とも思われる羽音や当たる音は私が祖母のお悔やみ話を書いている際に突然聞こえだしたのだ。
途中でこの備忘録を書き留めるのを留め、窓ガラスに近寄っても生物の気配は無い。増してや大きな羽音のする生き物はいない。そしてまた備忘録をしばらくの間書いている際にもすぐに羽音は入りたがっていた。それであまりにも飼っている鳥が静かなのに窓ガラスが騒がしいから書き終わった後、窓ガラスに寄って見てみた。ずっと見ても何の生物もいないのは相変わらずだ。そこで祖母の何らかの筈だったというお悔やみを私の方には来ないようにして欲しいとお願いをしてみた。神の使いだと思って。そしたら、その後はベッドに十分二十分と横になっても何の音沙汰も無いのである。
これはと思い、調べてみたら案の定であった。
そのセキセイインコはレインボーカラーで変わった色。雛から飼って育てていた。あえなく亡くなってしまったが、特別な区画の土に埋めて、そこには後に聖書の奉仕で行っていた地面に落ちていた魅力的な果実を埋めた。
それだからなのか、セキセイインコの飼っていた霊だったのだろうか。
どうやら、セキセイインコは鳥達の中でも守護霊になりやすい鳥の様だ。


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