今日は、高森顕徹先生から本願成就文についての講義を聞かせて頂きました。
今回、テーマとなった譬えについて、高森先生がどのように教えておられるか、確認してみたいと思います。
親鸞聖人の著述でとくに目立つのは、二度の弥陀の救済と、今の救いの強調だ。
原因なくして結果なし。平生の救い(因)に遇わずして、死後の救い(果)は望めない。足元の小川が渡れぬ者に、その先の大河がどうして渡れよう。今生救われた者だけが、浄土往生できるのである。
現在の苦悩を救い摂り(不体失往生)、未来永遠、幸福に生かし切る(体失往生)、二つの往生を誓われた弥陀の真意を明らかにされたのが、体失・不体失往生の論争だった(『なぜ生きる』第二部十章参照)。
現在の救いを抜きにして、死後の救いのみを弥陀の誓願とした、善慧房証空のあやまりを正されたのが親鸞聖人であったのだ。
永遠の浮沈は、平生に決するのである。
教えて頂いた通り、不体失往生を急がなければなりませんね(^^)原因なくして結果なし。平生の救い(因)に遇わずして、死後の救い(果)は望めない。足元の小川が渡れぬ者に、その先の大河がどうして渡れよう。今生救われた者だけが、浄土往生できるのである。
現在の苦悩を救い摂り(不体失往生)、未来永遠、幸福に生かし切る(体失往生)、二つの往生を誓われた弥陀の真意を明らかにされたのが、体失・不体失往生の論争だった(『なぜ生きる』第二部十章参照)。
現在の救いを抜きにして、死後の救いのみを弥陀の誓願とした、善慧房証空のあやまりを正されたのが親鸞聖人であったのだ。
永遠の浮沈は、平生に決するのである。