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読む人への配慮

2007-02-02 | 金・コトバの力
「ペンで人を殺す」という表現があるとおり、コトバは使い方を誤れば人を深く傷つけてしまうことがある。とくに書き言葉は、話し言葉以上に公式なものとして読者に受け止められるから、じゅうぶんな配慮が必要になる。

書き言葉は、文字に記すにあたってその内容や表現を推敲する時間が確保できるから、話し言葉以上に練られたものであるはず、という印象を受け手に与える。また、文字に固着された情報は時間・空間を越えて想定外の多くの人の目に触れる可能性があるから、不特定多数の目を意識する必要がある。その文章で伝えたい内容や述べたい意見の本筋でない枝葉の部分が、意図せずだれかを傷つけてしまったり、不愉快にさせてしまったり、悲しませてしまうとしたら、本筋の部分への信頼も傷つくことになる。その内容や意見を伝えるために、見知らぬだれかを傷つけてもいいのか、それは避けられないことなのか。大抵の場合、そんなはずはないからだ。

政治家が失言ひとつでその地位を失うのも、これと似たような論理だ。権力を司る者ともなれば、たとえ話し言葉の枝葉であっても、それが大樹の信頼を失墜させるのだ。

こうして書き連ねているブログの記事もそうだろう。しかし、もっともそうした可能性に配慮を求められるのが、新聞に代表される報道の文章であろう。報道の文章は、不特定多数の人に伝えることが使命であり基本だからだ。しかし、報道文の中にも失礼なものが散見される。スポーツ新聞に文句を言っても始まらないのかもしれないが、とくにこれらには、想定される読者…新聞を買って読む一次の読者…のみを配慮の範囲として、可能性としてのその他の潜在読者への配慮に欠けるものがある。その距離感でいいのか、と疑問を投げかけたくなるものがある。

具体例はまた来週に。


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