BLOGを始めたのはいいものの、何を書こうかなぁ、と早速2日目にして悩んだ。
ということで、まずは「BLOGって何ができるんだ?」「トラックバックってなによ?」ってことで、実は明日のゼミの課題で必死なはずが、ついついBLOGの仕様や歴史についていろいろと調べてみた。
つか、このgooブログ、1日に利用者が500人ずつ増加している模様(俺もその1人か)。すごいなー。
さて、『
はじめてのウェブログ』っていうサイトが面白い。ここの『
3分でわかるトラックバック』も分かりやすくシュールな感じ。
しかし、このサイトの作者(松永氏)のバックグラウンドが面白い。
日本のウェブログの歴史(詳細版)
http://kotonoha.main.jp/weblog/000844_history.html
このページを読むと、きちんと「ぁゃιぃわーるど」の記述から始まってて「おっ」と驚く。
どうやら、元あめざー系の方らしい。あめぞう2000あたりで実はすれ違ってたかもしれない。
「ネットワーカー」なんていう言葉は久しぶりに聞いた(見た)ので、なんだか懐かしくなって記憶を頼りに過去のネットワーカー達の歴史を編纂したページを探してみた。
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ
http://web.archive.org/web/20021204222537/http://blogdex.tripod.co.jp/encyclopedia/
あげ掲示板進化論
http://strangeworld.cc/~bbsnews/log/011101.html
ネットバカ一代
http://piza.2ch.net/yume/kako/955/955467895.html
懐かしいなぁ。
ちなみに、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」は
書籍化されたとのこと。そういえば以前、知人がそんなことを書いてたのを思い出した。
さて、ここで2chカルチャーについて論じたいところだが、それは後日のネタにするとして、BLOGの歴史的経緯について。
松永氏が書いているように、BLOG自体は伝来モノだが、BLOGを受け入れる土台となったBLOG的なカルチャーはもともと日本のネット文化に根付いていた。例えばニュースサイトや「侍魂」のヒットを受けて雨後のタケノコのように量産されたテキストサイトなど。その他、あめぞうや2chのマルチスレッドフロート型の掲示板やその亜種である三河版の1行レス機能などもそうだろう。
また、俺も一時期からんでいた「あめぞう2000」のinfohands氏によるヘッドラインスクリプトも、日記やテキストサイトの巡回を手助けするユーティリティーになっていた。この辺もBLOGに似ている。
また、厳密なBLOGの定義はさておき、日記とそれに付随するコメント欄のついたサービスはかなり早い段階から存在していた。しかし、そうしたコミュニティーは非常に閉鎖的なシステムであり(コミュニティーに登録しないとコメント書けなかったり)、BLOGのトラックバック機能のようなプロトコルが未整備であった。
そういうわけで、俺は自分の借りてたレンタルサーバーにて日記のCGIスクリプトの設置して、そこにテキストをアップしていった。まぁ、2000年前後はレンタル日記サービス(えんぴつ、さるさる日記など)を使う人や(俺みたいに)自前のサーバでやる人が大半だったんじゃないかなぁ。
BLOGもそうしたウェブ上の日記の延長線上にあるものだと理解している。機能的にはいろいろと便利になってる。カテゴリ分けやトラックバックの仕組みは素晴らしいと思う。
トラックバックを駆使することによって、別々のサイト(BLOG)で行われている議論を共有化し、一種のネット上の「論壇」を構築することが可能になる。これは面白そうだな。
さて、このBLOGの冒頭で「SNS(注:GREEとかMIXIとか)は嫌いだけど」と書いたが、それも上記のことと関係しているように思える。だって、従来の日本のネット文化とはまったく関係なく出てきたでしょ、SNSは。
少なくともネットワーカーのやることじゃないよなぁ、と俺は思う。
と、ここまで書いてきて、俺をGREEに招待したのは古参の固定あめざーだったことに気づく。笑い。
まぁ、ダラダラと書いてきたけど、要は「BLOG面白そうね」ってことです。
SNSの悪口と2chカルチャーについては明日以降に書きたいと思います。
#欄外(ヒトリゴト)
てか、2000年あたりにテキストをぶち込むとCSSでフォーマット&レイアウトを整えてHTML文書を吐き出すCGIプログラムを組んでて、カテゴリ分けとかまで考えてたんだけど、あれをキチンと作っておけば、今頃ビジネスになってたかなー。笑い。
まぁ、今じゃBLOGその他便利なツールが多いから問題ないけど、当時はHTML文書をたくさん作るウェブマスターにとっては、けっこう死活問題でした。