イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Benozzo Gozzoli(ベノッツォ・ゴッツォリ)の2枚のSan Sebastiano(聖セバスティアヌス)たぶん最終回

2020年06月19日 18時12分55秒 | イタリア・美術

長々続いてきたBenozzo Gozzoli(ベノッツォ・ゴッツォリ)のSan Gimignano(サン・ジミニャーノ)のSan Sebastiano(聖セバスティアヌス)のお話もこれでようやく最終回かな?
いやいや、今回はひょんなことから非常に集中して色々なことを知ることが出来て本当に良かった。
ここ数週間はずっぽりイタリア語漬けで、図書館の貸し出しが始まったのに全然借りて来た本読めてないし、そろそろ仕事探さないとなぁ。

え~、ではでは、前回前もって振っておいたSan GimignanoにBenozzoが描いた3作目のSan Sebastiano

矢がいっぱい突き刺さり、手にはアトリビュートの矢とヤシの枝。
腰巻ではなく、これはどう見てもパンツ、わぉ、ブリーフ⁉
髪の毛はくねくねで髭を生やした壮年の顔は、これまで見た2パターンと同じ。

このフレスコ画、実は「慈悲の聖母」スタイルのSan Sebastinoが描かれたSant'Agostino(サンタゴスティーノ)教会内に描かれている。
Benozzoは1464年この教会の内陣に「聖アゴスティヌス伝」を描く注文を聖アゴスティヌス修道会士Domenico Strambi(ドメニコ・ストランビ)から受けた。
この修道士が「慈悲の聖母」スタイルのSan Sebastianoの図像構造にも関与していたのでは、ということは既にお話したが、「聖アゴスティヌス伝」の図像プログラム及びそこに記された銘文は彼の考えに基づいていると考えるのは当然だろう。
彼はSan Gimignanoにやってくる前、当時いや現在も、ヨーロッパ随一と呼び声高い、パリのソルボンヌ大学の教授を務めていた。

「聖アウグスティヌス」が描かれた内陣



写真:Wikipedia
主祭壇はAntonio Piero del Pollaiolo(アントニオ・デル・ポッライオロ)の「L'Incoronazione della Vergine(聖母戴冠)」
追記:写真引用したWikipediaサイトにはAntonioになっていたが、正確にはPiero。
枠下にサイン有り。
ただし完全に誤りとは言い難い。
1480年、街の記録にはAntonioの名前が残っている(作品との契約書ではないが)
当時Pollaiolo家で一番重要な人物はAntonioだったため、重要な契約はAntonioの名で結んでいたようだが、この時期は他にも重要な注文があったので、制作は全てPieroに任せたのだろうと思われる。


内陣の天井(交差ヴォールト)には4人の福音書記者が描かれ、側面には、3層にわたってアウグスティヌス生涯が幼少期からその死に至るまで18場面に分かれて描かれている。

「RomaからMilanoに向かうアウグスティヌス」ではフィレンツェのメディチ家の礼拝堂の「マギの来訪」を髣髴とさせる。
一般受けする古典主義的なモティーフを使い、浮き彫り彫刻に見せかけたプット―(童子)と植物文様が描かれた付柱の装飾帯で画面を均等に区切っている。
中でもこの画面には、この壁画制作を記念する銘文が目立つように書き込まれ、まるで有翼の古代の女神が同じポーズで空を飛んでいるような天使に支えられている。
そこには”パリの偉大なる説教師 サン・ジミニャーノの唯一の名誉と栄光 かのわれらが主の聖堂は、この人の寄進により 高名なるベノッツォに描かせた”と記され、最後に1465年という年号が添えられている。
この礼拝堂の装飾にベノッツォは3年余りの年月をかけている。
この物語壁画は、アウグスティヌス伝としてはトスカーナ唯一の作品で、同図像はアウグスティヌス伝の傑作の1つと考えられている。
そしてその間に同じ教会にある「慈悲の聖母」スタイルのSan Sebastianoをたった16日間という速さで描き終えた。(1990年修復時に分かった。純粋なフレスコ画ではなく、技法は混ざっていたことも判明)

この内陣の入り口には1本の柱に付き4人の聖人、計8人が描かれている。
この8人は、アウグスティヌスの人生において重要な役割を負った聖人たちだった。
それぞれはまるでニッチに収まった彫刻のように描かれている。
北側の柱には、Santa Monica(聖モニカ)San Sebastiano(聖セバスティアヌス)とbeato Bartolo Buonpedoni da san Gimignano(サン・ジミニャーノの福者バルトロ)、San Gimignanoの守護聖人San Gimignano(聖ジミニャーノ)。
南の柱にはSan Nicola di Bari(バリの聖ニコラウス)、「スミレの聖女(Santa delle Violette)」とも呼ばれるSan Gimignanoの守護聖人Santa Fina(聖フィナ)、San Nicola di Tolentino(トレンティーノの聖ニコラウス)、Raffaello e Tobia(天使ラファエルとトビア)。

その中でも下の段に描かれているSebastiano,Bartolo,Nicala di Tolentino,Tobiaの下には、それぞれ彼らの人生に関する物語がプレデッラのように描かれている。

San Sebastianoは今まで嫌ってほど書いてきたので、今回は「大天使ラファエルとトビア」の図像。
旧約聖書の続編「トビト記」による、捕囚の地に生きたトビトの物語。
トビトは北イスラエルの王国がアッシリアに滅ぼされたとき、捕囚としてニネベに連れて行かれた一人だった。捕囚とは言え、監視の目はあれど、一応普通に生活はおくれていた。
しかし国王の命令を無視し、暗殺された仲間のユダヤ人たちを墓に葬った罪でトビトは、財産を全て没収されてしまう。
死者を埋葬したことで、穢れを嫌って庭で寝ていたトビトはすずめの糞が目におちて失明してしまう。
さらにささいなことで妻をも疑ったことを恥じ、トビトは死を願う。

その頃トビトの兄弟ラグエルの娘サラは悪魔アスモダイに取りつかれ、彼女と結婚した男は次々と7人も初夜に死んでしまい、悩んだサラも死を望んでいた。

そこで神はこの不幸な家族を救うために、大天使ラファエルを送る。
ラファエルはトビトの息子トビアを連れ立ちラグエルの元へ向かう。
その旅の途中、チグリス川で、トビアは巨大な魚に襲われた。
そのシーンがこの図の下の図。
お供の犬も一緒。
犬はユダヤ人にとっては不潔なものとみなされていたようだが、キリスト教の寓意では犬は「忠誠・忠義」の象徴で、好んで描き込まれる。

大天使が岸にいて、魚が跳ね上がっている。トビアは?もしかして出ているのは足???

大天使ラファエルはトビアに、その魚を捕まえて、内臓の胆嚢、心臓、肝臓を取るよう言う。
魚をぶらぶら持ちながら歩く2人が上の図。典型的な大天使ラファルとトビアの図像。

ラグエルのところに着いたとき、大天使ラファエルはトビアに悪魔につかれたサラを嫁にするよう言う。
そして結婚式で巨大な魚から取った肝臓を焼くと、その匂いで悪魔はサラから離れ出て行った。
その後彼らはトビトの待つ家に帰り、巨大魚の胆嚢で、今度はトビトの目を治した。

14人の「救難聖人(santi ausiliatori)」の1人とも言われるSan Sebastianoについてアゴスティヌスはミラノ出身だとし、3世紀末ローマで殉教したことを言及している。

しまった…
もう少し書きたいことがあるので、今回最終回ではなかったみたい。

参考:ベノッツォ・ゴッツォリ Benozzo Gozzoli, Scala/東京書籍
参考・写真:http://www.travelingintuscany.com/art/benozzogozzoli/saintsebastian.htm



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4 コメント

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ポライウォーロの聖母戴冠 (むろさん)
2020-06-20 22:11:50
今回の2枚目、3枚目の写真を見て驚いたのですが、今まで見ていたサンタゴスティーノ教会内陣の写真では、この聖母戴冠の絵がない状態(ゴッツォリのフレスコ画がよく見える状態)でした(Marion Opitz著Gozzoli,MASTERS OF ITALIAN ART,Könemann,1998年)。同書の写真には台の上に金属製の支えのような枠があり、ここに聖母戴冠を据え付けたのだと思います。

手持ち資料で確認したところ、この聖母戴冠は1990年までの本ではSant AgostinoではなくCollegiataにある、となっていて(Ettlinger著Pollaiuoloのカタログ,Phaidon,1978年、 ウフィツィ発行Botticelli聖母戴冠のrestauro e ricerche,1990年)、一方、それ以降の本ではSant Agostinoとなっていました(イタリア旅行協会公式ガイド3フィレンツェ/イタリア中部,NTT出版,1995年、 ウフィツィ発行Studi e Ricerche16,La stanza dei Pollaiolo,2007年)。

現在サンタゴスティーノ教会主祭壇の中央にこのような設置の仕方をしているのだとしたら、額縁の外枠があり裏側に金属の支えがあるとはいっても、平板状の板絵をこのような形で(壁面に貼り付けずに)設置するのはあまり見たことがありません。上記EttlingerのカタログではS. Agostinoにあったものが後世Collegiataに移されたとあるので、本来の位置に戻ったということのようですが、現状があまり良い置き方とは思えません。

そして、この状態ではベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画がとても見にくいように思えるのですが、上記写真の聖母戴冠の基台部分両側の細い所を通って、聖母戴冠の後ろにあるフレスコ画の部分を見ることができるのでしょうか?(一般の観光客がそこまで入れるのでしょうか)

数年後かもしれませんが、次のイタリア旅行としては、まだ行ったことがないボローニャ、トリノ、ベルガモ、サン・ジミニャーノなどが訪問予定の第一候補であり、ポライウォーロ、ギルランダイオ、ペルジーノ、フィリッピーノ・リッピなどBotticelli周辺の画家の作品を見ることが目的の一つです。そのための参考として、サンタゴスティーノ教会内陣の状況が知りたいと思っています。

なお、この聖母戴冠の作者ですが、画面に書かれた銘文(下方の教皇冠と赤いヒエロニムスの帽子の間に書かれた文字)では兄アントニオではなく、ピエロとなっています(PIERO DEL POLLAIVOLO FIORENTINO 1483 :上記Ettlingerのカタログより)。写真でも額縁の下の黒い部分に説明用としてOPVS以下の文字が大きく書かれているのが見えます。(WIKIはなぜ銘文を無視してPiero ではなくAntonioのことを書いているのでしょうね。WIKIの 執筆者が銘文を知らなかっただけ?)
また、この絵にはバリの聖ニコラスとトレンティーノの聖ニコラスも描かれていますが、聖セバスティアヌスは出てきません。ベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画の20年後に主祭壇画としてここに設置されたのだとしたら、ペストのことはゴッツォリの絵で十分と考えたのかもしれません。

(私はゴッツォリよりもポライウォーロやギルランダイオの方に興味があるので、このようなコメントとなりましたことをお許しください。)

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Pollaiolo (fontana)
2020-06-22 16:14:04
むろさん
いつも的確なコメントありがとうございます。
Pollaioloの「聖母戴冠」についてですが、確かにその通りです。
1483年この祭壇画もDomenico Strambiが注文したもので,確かにPieroの作品です、失礼しました。
Wikipediaを鵜呑みにしたのは(特に写真ページしか見なかったのも)良くなかったですね。
ただし、完全な間違えとも言えないようです。1480年の記録にはにはAntonioの名前が残っているそうです。(作品との契約書ではありませんが。)
Pollaiolo家で一番重要な人物はAntonioだったため、重要な契約はAntonioの名で結んでいたようです。しかしこの時期は他にも重要な注文があったので、制作は全てPieroに任せたのでしょう。手元にPollaioloの資料はGiuntiのArtedossierシリーズしかないのでそれに書かれていたことしか分かりませんが。

Sant'Agostino教会が1782年Pietro LeopordoによってPisaの教会と一緒にされ、1809年ナポレオンによって祭壇画は持ち去られてしまいました。後に戻された時にCollegiataのCoro(内陣席)に置かれ、長いことそのままになっていました。Sant'Agostino修道院に戻ったのは1937年です。
枠の件ですが、私の理解力が足りなかったら申し訳ありませんが、このような壁に接しない置き方は、至って普通です。
というのも祭壇画を使って、内陣を聖職者だけが入れるスペースとして分けていたのは良くあることなので、本来の姿に戻したのでしょう。まぁ、地震がない国ではないので、安全面を考えても決して良い置き方とは思えませんが。

私も実際Sant'Agostino教会には行ったことがないので、現在裏側に周れるかは不明ですが、写真から見た感じだと、多分ダメではないですかねぇ…私も次回イタリアに行く時は訪れようと思っています。

ペストの件ですが、この時期にはアウグスティヌス派はトレンティーノの聖ニコラウスを対ペストの聖人として一番推していたと思われます。その辺については次回書こうと思っています。
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コンサート始まる (カンサン)
2020-06-23 20:33:48
fontanaさんへ、展覧会も始まり、ついにクラシック音楽コンサートも始まりました。土曜日に日本センチュリー交響楽団のコンサートに行ってきました。ハイドンの交響曲3曲です。オーケストラのコンサートでは緊急事態宣言解除後、初のコンサートなので、テレビ局のカメラが10台くらい入っていました。土曜の夕方、6時と7時のニュースでは全国放送されました。
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ニュース見ました。 (fontana)
2020-06-24 14:09:20
カンサンさん
私もニュースを見ました。
久しぶりの生演奏なので、これまで以上に良かったでしょうね。
少しずつでも再開できるようになったのはうれしいことです。音楽も美術も、「不急」でなくても「不要」ではないですからね。
東京でも様々な展覧会が始まりました。以前のようにあれもこれもというわけにはいきませんし、予約も必要になったので、思い立って今日!というわけにはいきませんが、7月くらいからぼちぼちでかけようと思っています。
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