7月、ロンドンのChristie's(クリスティーズ)でレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の素描の「子熊の頭」がオークションに出品される。
イギリスとダ・ヴィンチは縁が深い。
エリザベス女王所有の英国王宮コレクションにはルネサンスの天才の作品の素描コレクションがある。
参考:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/051600583/
しかし、この作品は王宮コレクションのものではない。
この7㎝×7㎝の小さな素描の持ち主は、誰だか名を明かしていない。
この小さなクマの絵は7月8日、ロンドンのクリスティーズで売りに出される。
落札予想価格は800万ー1,200万ポンド(およそ12億円から18億円)、記録更新になるか?
レオナルドの馬の素描では20年前に同じくクリスティーズで800万ポンドで売れた「馬と騎手(Cavallo e cavaliere)がある。
今回の子熊の素描はレオナルドが師匠アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio)から教わった艶のない赤い紙に銀筆で描かれている。(銀筆:Wikipedia)
今回の作品はロンドンのブリッティッシュ・ミュージアム(British Museum) 所蔵の「2匹の猫と1匹の犬」
写真:https://www.britishmuseum.org
エンジンバラのスコットランドナショナル・ギャラリー(National Galleries of Scotland)の両面に描かれた「犬の足」
写真:https://www.nationalgalleries.org
NYのメトロポリタン・ミュージアム(Metropolitan Museum of Art、Lehmanコレクション)の「歩く熊」
写真:https://www.metmuseum.org
の3作と関係が深い。
これらは全て1480年から1485年くらいの作品。
更に「子熊」の鼻はポーランドのクラクフにある「白貂を抱く貴婦人」の白貂の鼻にも似ている。
写真:https://ja.wikipedia.org/
「子熊」はレオナルドが500年も前に描いてから様々なロンドン人の手に渡ってきた。
記録が残る最初の人は、sir Thomas Lawrence、イギリス人画家で、巨匠の素描の大コレクションを所有していた人の1人。
1830年彼が死ぬと素描は債権者のボスSamuel Woodburnの手に渡り、30年後に競売にかけられるが、その時に価格は2.5ポンドだった。(現在の貨幣価値で4万8000円ほど)
1900年代半ばには別のイギリス人コレクターNorman Robert Colvilleの手に渡る。
この人はラファエロ(Raffaello)が描いた「ミューズ(Musa)の頭」の素描も所有していたが、これは2009年クリスティーズで売りに出され、2900万ポンド(約41億9100万円)の値が付いた。
写真・参考:http://www.shikoku-np.co.jp/
「子熊」が最初に展覧会に登場したのは1937年、その後も2011年ロンドン・ナショナル・ギャラリーで開催されたレオナルド展やアブダビのルーブル美術館、モスクワのプーシキン美術館やサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館 など世界の重要な美術館で展示されてことがある。
そしてNYロックフェラー・センター(Rockefeller Center)のクリスティーズに展示されたあと、5月20日から25日は香港、そしてロンドンでは6月1日から6日まで公開される。
さて、この後はどうなるのかなぁ…
参考:https://www.repubblica.it/cultura/
日本語で読める記事:https://www.cnn.co.jp/style/arts/35170546.html
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私も同感です。私が買うなら断然こちらを!
日本に来ていたんですね、知らなかったです。私はポーランドで見ましたが、びっくりするほど人がいませんでした。
また、この図録には他の出品作として、カルロ・クリヴェッリの「聖アントニウスと聖ルチア」の絵が出ていました。私は白貂の絵については、かなり長時間眺めていた記憶がありますが、他の絵は全く覚えていません。20年前なら当然、トレヴィㇽから出た吉澤京子の「クリヴェッリ」は持っていたし、アムステルダムへ行って「マグダラのマリア」が展示されていなかったことにがっかりした後なので、クリヴェッリについてもそれなりに関心はあったはずですが、覚えていないのは我ながら恥ずかしい気がします。なお、この絵はポルト・サンジョルジョ多翼祭壇画の一部として、ボストンのISガードナー美術館にある「龍と戦う聖ゲオルギウス」と一緒だったものです(同美術館の図録「Ornament & Illusion」のP156に全体復元図が出ています。確かこの図録はお持ちですよね)。
ついでですが、ランドウッチの日記のことで情報を少し。ダヴィデのコメントの続きで書こうと思っていたのですが、少々時間がかかりそうなので、この件だけここに書きます。
既にご存じかもしれませんが、ランドウッチの日記の原文が読めるサイトがありました。1ページ目のガイドラインは英語ですが、それ以降はイタリア語の本(Sansoni Editore 1883)をそのまま収録したものです。下記URLはミケランジェロのダヴィデ移動の日(1504.5.14)のページです。日本語訳が手に入りましたら、該当部分を比較してみてください(この部分でもしも日本語版の訳語に不適切と思われる部分があったら教えてください)。
https://archive.org/details/diariofiorentin00landgoog/page/n291/mode/2up
なお、これも以前書いたことだと思いますが、ランドウッチの日記については、高階秀爾「ルネッサンス夜話」(平凡社1979)の第2章「一市民の日記」の項に、この日記の歴史的意義について書かれています。また、新潮社の広報雑誌「波」1977年5月号に辻邦生・高階秀爾対談「激しく美しく滅びた歴史」として、春の戴冠執筆に際してランドウッチの日記がそのストーリーの基になっていることが書かれています。「波」は古いものであり、広報誌なので、大きな図書館でないとなかなか見つけにくいと思いますが、私が初期ルネサンスに強く引かれるようになった文章でもあり、まだご覧になっていないなら、是非お勧めしたいものの一つです。
コメントありがとうございます。
これですかね…
https://www.museum.or.jp/event/9
(横浜美術館の「これまでの展覧会」のURLもここには貼れませんでした。)
全く記憶にありませんでした。2002年と言えばワールドカップの年ですから、私はすでにどっぷりイタリアにはまっていたのですが、思い出せませんし、2006年にポーランドで見たのが初めてだったのか、2度目だったのかも思い出せません。困ったものです。
1999年から2000年にかけて品川で行われた「ポンペイ展」なら覚えているのですが。
ランドウッチの日記の原本、私が見つけたのもこれでした。ありがとうございます。少しずつ読んでみます。高階秀爾「ルネッサンス夜話」も読んでみたいと思います。
ここからは愚痴なので流して下さい。
最近なんのためにイタリアまで勉強しに行ったのか、全然それを生かせないということに落ち込んでいました。普段なら友人に愚痴を聞いてもらってお酒でも飲んだらすっきりするのですが、今はそれも出来ず…4月で短期の仕事が終わってから、次の仕事も全然見つからず不安にもなっていて。
でも仕事がないから色々調べようと、ミケランジェロ伝などかなり厚い本を取り寄せて読み始めた矢先に仕事が入りました。イタリアでの経験を活かせる仕事ではないのですが、仕事があるだけありがたいということで頑張ります。
ということで、またなかなか先に進まないとは思いますが、首を長くしてお待ちいただければ幸いです。
そしてこの5年後、2007年3月には上野東博で「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」という展覧会が開催され、ウフィッツイの受胎告知が初来日。ということで、この頃はレオナルドの真筆を国内で相次いで見ることができました。また、同じ頃新宿でプラート美術、ペルジーノ、ジョットという小規模ながらマニア受けする展覧会もありました(東大小佐野先生の功績です)。なお、受胎告知展の美術部門監修者は池上英洋氏(科学技術部門は別の人)で、この頃から池上氏は国内レオナルド研究の第一人者とみなされていたことが分かります(白貂の時の監修者は京都の岡田氏でしたから)。
私も以前に行ったかどうかを忘れてしまい、後になって同じ図録を神保町でまた買った、なんていうこともありました。年を取ってくると物の名前が思い出せずに、あれとかこれという言葉が多くなったと家族からもよく言われています。