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イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

夜のグラバー園

2018年07月13日 10時57分28秒 | 日本・史跡

今日も暑いですね。そして明日からもっと暑いみたいですが、皆さん熱中症などにはくれぐれもお気を付けください。

さて、夕食を済ませて、ホテルにチェックイン。
1泊目はANAクラウンプラザホテル長崎だったのですが、ここの駐車場はひどかった。
着いたのが遅かったのもあるけど、いや、これもし車が少なくても駐車スペースが狭いのなんの。
最後は縦列駐車の場所しかなかったよ。
縦列…免許を取った数十年前からほとんどやったことがないですよ…こわいこわい。
なんとか辛うじて空いてた場所に頭から突っ込んでしまいましたが、車がデカかったら要注意。

荷物を置いて急いで外へ。
この日グラバー園は21時まで開園していたので急いで向かいます。
途中

おお、ライトアップされた大浦天主堂。
掃除をしている人がいました。ご苦労様です。
世界遺産に登録されても、この時間は静かです。

大浦天主堂の前を過ぎ、グラバー園の入り口に。ホテルから10分もかからないかな。
この辺りは“東山手(ひがしやまて)”、“南山手”とよばれるかつての外国人居留地が広がっている。
1859年の開国後、日本にやってくる外国人のために造成された地区で、主に東山手には学校や領事館、南山手には住宅や教会などが建てられた。グラバー邸が有るのは南山手。

ここからはエスカレーターが有るのですが、先程の入り口からここまではちょっと急な階段が有ります。
この時間は足元も暗いので、うちの母のようにちょっと足が悪いお年寄りにはちょっと厳しいかも。
もし階段が厳しい方は、「グラバースカイロード」という斜行エレベーターがおすすめみたいです。
石橋電停近くからグラバー園の第2ゲートまで、一気に登ることができます。
ここまで一気に登ると園内はほぼ下りです。

グラバー園にある旧グラバー住宅は、文久3年…
っていつよ?
1863年でした。この年は薩英戦争が勃発しています。
2週間くらい前の大河ドラマ「西郷どん」で薩英戦争のことは出ていましたが、生麦事件が発端で始まった戦争は3日で終わってしまうんでしたよね。大敗を期すと思われていた薩摩は、アヘン戦争で中国おも破った大英帝国軍に勝った、とは言えないものの、なんとか逃げおおせました。「西郷どん」でも吉之助の弟がスイカ売りに化けてイギリス船に乗り込む計画を立てたけど、言葉が通じずうまくいかなかった、という話も出ていましたが、これ史実に沿った話だったんですね。

で、その1863年に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築がこの旧グラバー住宅。

ライトアップされています。
ここは世界遺産に登録されています。
「明治日本の産業革命遺産」というもので平成27年に登録された、全国8県11市の23の資産で構成されています。

参考:長崎市
通称「軍艦島」と呼ばれる端島炭坑がこの世界遺産登録がなされた時、一番話題になった場所ではないでしょうか?

写真:Wikipedia
この世界遺産は「西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを証明する遺産群」という意味付けで登録されました。
400年の間鎖国をしていた日本は開国後、わずか半世紀で急速な産業化を成しえました。
西洋から入って来た技術をそのまま受け入れたいた初期から、人材を育て、独自の技術によって産業化を進め、短い間に世界と渡り合える大国へ成長する過程で関係のあった施設がまとめて登録されたということです。

唯一外国と接点があった長崎は、西洋の知識と技術の導入の窓口でした。1859年の安政の開港(箱館・神奈川(横浜)・新潟・兵庫(神戸)・長崎の5港)と同時に長崎にやってきた、スコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーは、近代化に向かう日本に様々な形で尽力しました。

例えばグラバーは佐賀藩と共に高島炭抗を開設します。(こちらも同時に世界遺産登録)後にこの炭坑は三菱の創業者岩崎弥太郎に買収され、グラバーは所長になります。またほかにも現キリンビールの前身となる「ジャパン・ブルワリーカンパニー」の創業に携わり、社長を務めました。その後ここも三菱三代目社長の岩崎久弥らに売却され、「キリン麦酒株式会社」となりました。

これがグラバー邸の模型。建設当初はL字型の平屋の建物で、周囲がベランダで囲まれていました。

サロンでしょうか?

別の部屋

その壁には「お蝶夫人」とタイトルが付いた母子の肖像画。
なんでもグラバーの奥さん、この人がプッチーニのオペラ「蝶々夫人」のモデルとも言われているそうです。
なぜならグラバー・ツルさんは家紋に芸者がよく使っていた女紋「揚羽蝶」を使っていたそうです。
彼女、大阪の造船屋に生まれ、一度嫁いでいますが離縁され芸者をしていました。
グラバーとどのようないきさつで出会ったのかは明らかではないらしいが、グラバーの長男倉場富三郎の母は彼女である。(ではない、という説もある)
ただし彼女は入籍はしていない。
当時、外国人と結婚すると日本国籍を捨てなければいけなかったので、籍をいれなかったのではないか、と研究者は言っているが。

貿易を目的に、各国から来航した外国人たちは、当初、古寺などに仮住まいしていたですが、後に借地権を取得した外国人たちは、半永久的にその土地を借り受けることができる「永代借地権」を日本政府から与えられ、毎年末に借地料を支払うことが義務づけられていました。南山手3番地に建てられた「グラバー邸」の最初の永代借地者はもちろん、グラバー。明治9年(1876)、東京に移転してからも、たびたび長崎に戻りここに滞在するほど気に入っていたようです。
グラバーの死後、「永代借地権」は最終的に長男の倉場富三郎に移り、彼は昭和14年(1939)、三菱長崎造船所へ売却するまで、妻のワカとここに居住しました。

富三郎は日本に初めて蒸気トロール船を導入し、長崎の漁業に大変貢献したと共に、長崎大学水産学部に寄贈されたのち中央図書館に所蔵され日本四代魚譜のひとつ『日本西部および南部魚類図譜』(通称、「グラバー図譜」)の製作した。
これは明治から昭和初期までの20年間あまりの間長崎の魚市場に水揚げされた約600種類の魚類を、6人の地元の画家に肉筆写生させた全32集806図(801枚)の色付きの魚図鑑で、博物学的な価値だけでなく、中村三郎などの精密な描写は非常に美しく、美術的にも評価の高い作品に仕上がっています。

(写真:http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/gloveratlas/)
戦中ハーフとし非常に厳しい立場にあり、スパイ容疑をかけられたことなどでグラバー住宅を手放さなければいけなくなった富三郎ですが、最後まで日本人として生き、戦後まで生き延びたましたが、終戦後17日で自ら命を絶つという、その最期は悲劇的でした。

時間が有ればもっとゆっくりじっくり見ることもできたのに、残念です。
園内には

プッチーニ…暗っ!
そしてそのそばには、これまた暗くてよくわからないでしょうが

三浦環の像がありました。
三浦環は日本人で初めて国際的なオペラ歌手として認められた人で、彼女の十八番は「蝶々夫人」
長崎が舞台になっている「蝶々夫人」。ストーリーは日本人的にいただけないものが有りますが、彼女は30年に渡って「蝶々夫人」を通して日本女性の精神や文化を世界に紹介、貢献したことを称えてここに置かれているらしい。
現在でもなかなかアジア人が欧米のオペラの舞台に立つことは難しいながら、この作品に関しては日本人の歌手が起用されることが多いです。見ている方も、歌はさておき、立ち居振る舞いは断然日本人の方が良い、と思ってしまいます。

戦後旧グラバー住宅で暮らした進駐軍の大佐夫人は住宅から見える景色とオペラの場面がよく似ていることから「マダム・バタフライ・ハウス」という愛称をグラバー住宅に付けたそうです。

食堂には

150年前の西洋料理が再現された部屋。中華っぽいですけどね。
実は園内にこんな看板発見。

この碑は園内の「旧自由亭」という喫茶室のそばにあります。
この「自由亭」はもともと草野丈吉が作った日本最初の西洋料理店。草野は 長崎・出島のオランダ人屋敷で料理人として修行、その後 1863(文久3)年に“良林亭”という小さなレストランを開業し、店は大繁盛。店名を“自遊亭”,“自由亭”に改め, やがて 馬町に新しい店を出します。当時はこの店は国内外の貴賓や地元高官の社交場として使われていたそうですが、丈吉の死後閉店。店は日本政府が購入し、太平洋戦争後には検察庁官舎として使用されていたのを1973(昭和48)年長崎市が譲り受け、グラバー園内に移築復元したそうです。


園内には他にも明治時代の水道共用栓など珍しいものがありました。
難点は暗いことですが…

旧グラバー住宅以外にも旧三菱第2ドックハウス


ここのライトアップはきれいでしたが、ここから見える夜景もすごかった。

本当は「日本三大夜景」と言われる稲佐山から望む夜景も見に行きたかったのですが、時間&体力切れだったので、これで我慢。でも十分すばらしかったですけどね。



”グラバー園では9棟の伝統的建造物を見ることができます。
そのうち、旧グラバー住宅、旧オルト住宅、旧リンガー住宅は居留地時代に建築され、150年以上この地に建ち続けいる貴重な建物で、これら3棟は国指定重要文化財に指定され、旧グラバー住宅は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されています。
一方、6棟は明治中期ごろに長崎市内に建てられた洋風建築をグラバー園へ移築復元したものです。各建物に当時を思わせる特徴があり、明治時代の長崎を知る上で貴重な建物です。”(引用:グラバー園オフィシャルサイト

現在は旧グラバー住宅を使ってプロジェクションマッピングが行われています。(4月1日以降は金・土・祝前日)
動画を撮ったので貼っておきますが、ちょっと暗いので良さがあまり分からないかも…

20180630 長崎グラバー園の3Dプロジェクションマッピング

正直それほど期待はしていなかったのですが、結構良かったです。
プロジェクションマッピングのスケジュールはこちら
たしかハウステンボスでは大掛かりなプロジェクションマッピングやってますよね。そちらに行ってみたくなりました。
そんなこんなで最終的には係の人に追い立てられるように園を出ました。


この辺りの石畳にハート型の石があったようですが、それも見つけられず…
でも日中とは違ったグラバー園が楽しめました。
こうして長い1日は終わったのです…こんなに書いてるのにまだ1日分でした。



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