うちに関しても勝手に面白いカンチガイしてくれてる人が居るけど、いちいち正しい情報教えてあげるほどお人よしになれない。
教育の受益者は教育を受ける本人ではなく、共同体全体です。この理路がわからない人がいる。いま「教育問題」と呼ばれるものは、政治家や教育評論家や文科省や保護者による「教育問題解決のための営々たる努力」の成果です。問題じゃなくて、これが答えなんです。
爆釣ですなあ→ Twitterのrealtime検索: twitter.com/search/realtim… / “いつまで働くの、みんな・・・? - Chikirinの日記” htn.to/6oGfE3
@fuka_fuka_mfmf 60前後の労働者がみんなちきりんと同じ考えだったら、別に65歳(まで義務化はまだ先だけど)まで「働かされる」制度じゃないんだから勝手に辞めればいいだけのこと。受給開始年齢まで無給でいいか、他で働きたいという人を縛る制度じゃない。何言ってんだか。
息子の、何か困ったことが起きたらまず外部に原因を求める思考回路を何とかしたい。今日、プールの時間までに宿題が終わらなかったからといって、「ママ、時間縮めないで!」はないでしょう…( ̄◇ ̄;)
若かりし頃、たいへんお世話になりました、、、 "コンサート運営のユアソング、自己破産申請 負債6800万円(北海道新聞) hokkaido-np.co.jp/news/economic/…
あの人のここが問題という時、社会的に問題なのか、自分が気に食わないのか。自分の個人的な好き嫌いを礼儀や常識という言葉で相手に押し付けている事は案外多い。多様性とはつまり相手の常識をそのままにしておく事。もうみんなが同じだという時代じゃない。
障害者だって、いろんな人がいる。性格悪いのも、ひねくれたのも、腹黒いのもだらしないのもいる。障害を理由にいじめや差別を受け、「辛い思いをした分、人に優しくなれる」という人もいれば、辛い思いをしただけひねくれる人も、あいつら絶対許さん、と思う人もいる。人間だから当たり前。
基本的に子育ての責任はその家庭が持つべきだと思ってるけど、子供を保育園に預けて働きたいと主張することによって、その責任を放棄しているとなじられなきゃいけない理由がまったくわからないっすなー
思春期になると、親に何かを禁止されると酷くキレるようになって、手がつけられなくなり、全面的な言いなり状態になって好き放題させることになり、規則的な生活とどんどん遠ざかって行ったり。
何人か見て来たけど、彼女らに共通するのは、思春期になる前に子どもについて腹を括ることができない。どんだけ勉強会に出てもどんだけ同じような立場の親たちの話を聞いても、「うちは違う」。人の話は人の話。自分ちの子は違う。そう思ってる人の子は皆、程度の差こそあれ「喋れる」子。
そして何故かピコポー夫婦の水入れに卵の中身、巣箱の中に穴のあいた殻と、その中に少しだけ残った黄身。なにがどうしてこうなった。
とりあえず夫妻の巣には偽卵放り込んで、ここんちのカゴは20wのヒヨコ電球だけが頼りなので念のために厚手の布をかけ、ゴマハナ宅(小さいカゴ2つ並び)には背面にシート型ヒーターがあるのでフリースをかけた。クーさんちは上面にシートヒーター、何もかけないが壷巣の上で寝るので大丈夫だろう。
そしてうちで唯一の備え付け以外の空間暖房器具であるところの、20年ぐらい前のセラミックヒーターを引っ張り出して、文鳥たちの居る居間で全力で頑張ってもらう。でもこれたぶん8畳ぐらいで精一杯の奴だったはず…おこぼれで部屋の戸開けっ放しの息子のほうは凍えるほどにはならないはず。