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『考えないヒト』正高信男

2005-09-27 08:30:06 | Weblog
最近読んだ本(時間、労働、食)

『考えないヒト』正高信男

『ケータイを持ったサル』の続編に相当する。ただ前著で興味深かった実験はない。関連するデータや記事をもとに、著者の主張を書いた本になっていて少し残念だ。著者の主張は
ケータイが普及し、IT化が進むことは、人間のサル化を促す
というものだ。

著者はサルの専門家であり、その視点から現代社会を見るのが、他にない特徴だ。前著ほどの面白さはないが、さらに一歩考察が進められている。かなり乱暴に要約すると以下のようになる。

ケータイはコミュニケーションに必要な「時間の共有」や「場所の共有」を不要にする画期的な道具である。しかし人間がおおよそ顔を覚えて付き合える集団(認知的集団)のサイズは、大昔から変わらず150人程度であり、たとえ新しいツールを使っても、その認知的集団のサイズをこえることはできない。そのためケータイによってコミュニケーションの質が薄められることになる。つまり時間や場所を共有して、密接なフィードバックを伴うコミュニケーションをとる機会が極端に減ってしまう。密接なフィードバックを伴うコミュニケーションは、自分と他人の違いや共通性、他人もその人にとっては自分なのだ、といった自他の区分の明確化を促す。自他の区分の明確化が言語の発達をもたらした。結果としてケータイは、自他の区分を曖昧にし、言語を不要のものとする方向に進める。

この考察は興味深く、特に認知的集団のサイズと、ITツールとの関係に着目している点が面白い。ただ全体を通じて、もう一歩考察が弱く、世にはびこる通念にしばられている印象を持ってしまった。比較行動学を専攻する著者ならではの常識にしばられない考察になりきれていない。まだ考え中ということなのだろう。さらなる考察の進化を期待したい。ただ、この私の不満は、森氏の『日本はなぜ諍いの多い国になったのか』で、かなり解消されることになった。似たような題材をあつかって、実際『ケータイを持ったサル』を引用までしながら議論がなされている。


『日本はなぜ諍いの多い国になったのか』森真一
『成功術 時間の戦略』鎌田浩毅
『散歩写真のすすめ』樋口聡
『労働政治』久米郁男
『働くということ』ロアルド・ドーア
『自然にかえる子育て』真弓定夫
『伝統食の復権』島田彰夫

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