Smiley days

2人の子供と共に楽しい日々でしたが、平成26年子宮がんに。
そして夫が急死しました。
たまに思いを綴ります。

合格発表

2019年06月14日 | 家族
次の日は息子の合格発表でした。

高校のランクを落としていたのもあり合格したと
勤務先にいた私に息子からラインがありました。

合格しても不合格でも一度学校に行って担任に報告しなくてはなりません。

息子を時間を勘違いして行っていませんでした。

担任から何回か私の携帯に電話があり、
そこで分かりました。

息子も混乱していたのだと思います。

担任に父親が亡くなったことを告げ
行かなかったことにお詫びを言いました。

そういえば
卒業式の日は私立校の合格発表の日でした。
それどころじゃなくて全然見ていませんでしたが
合格通知が郵便で届いたので、それで知りました。

ところが公立の方は郵便が届きません。
他の公立は届いたようですが息子の学校のは次の日でした。

さて
いつ夫の体が戻るか分かりません。
なので午後から休みをもらい制服を買いに行きました。

駐車場で警察から電話がきました。
車を引き下げてもらいたいとのことでした。

制服を買って、その足で警察署に行きました。

夫の車のカギを受け取ったとき
「あぁやっぱり夫のカギだ」
と、改めて実感しました。

実際、ラブホテルの場所なんて普段行かないから分かりません。
刑事さんに場所を教えてもらって出ました。

それから実家に行き、母に自宅→ホテルまで連れて行ってもらうように頼み
私は自分の車を置くために帰宅することにしました。

途中、ホテルに渡すお詫びの菓子折りを買いました。

ラブホテルに1人でお詫びをしに行き、車を引き取るというのはなかなかツライ行動です。
もちろん子供達はおいていくつもりでした。

ですが息子がどうしても行くと言い張ります。
未成年をラブホテルに連れて行くということがどうしてもできません。
でも、連れて行くことにしました。今更ですし、現実のことですから。

ホテルの人には大変お世話になりました。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

事務所でお詫びをして、車のあるところに行きました。
そこには数日前に確かに我が家の車庫にあった我が家の車でした。
だけど
なんか不思議な気持ちでした。

車に乗ると
運転席の横には飲みかけのペットボトル緑茶。
助手席にはカップタイプのミルクティーの飲みかけ。

これは夫と、その女性が途中まで飲んだものなのでしょう。

帰宅して、その飲みかけのものを処分して
壊れそうな心を私のプライドがなんとかなんとか踏ん張ってくれました。

仮免に行っていた娘に伝えたらちょっと不機嫌。
私も行きたかったと。。。。
ごめんね。

夫の急死 記憶があるうちに。。。⑨

2019年06月14日 | 
次の日は休みでしたが
何をしていたのかの記憶もあいまい。

たぶん、夫の服や持ち物をかたっぱしからゴミ袋に入れていたのだと思います。
夫の歯ブラシ、ドライヤー、靴、目につくところに置いてある夫の物は
次々と子供たちの前から消しました。
有料ゴミ袋が足りず、何回か買いに出かけました。

夜に両親がおにぎりとおかずを持ってきてくれて
おしゃべりできたのが気晴らしになりました。

次の日が辛い日でした。
いきなり夫の親族が14人くらい自宅にやってきて

「さぁ、どういうことなのか説明して」

と言われたのです。

亡くなったこと、今、警察にいるから死因含めてまだ分からないとは
電話で伝えてあります。

なのに、自宅にまで押しかけてくるその神経はなんなのでしょうか?

家族の悲しみ苦しみを推し量ることなど出来ない人たちなのだと
心の底から思いましたし、心の底から軽蔑しました。

帰ったあと、疲れ果てている心身が更に追い込まれて
もう立ち上がる気力も何も残っていませんでした。

怖いのは幽霊よりも、何よりも
生きている人間なのだと思いました。

夕方、娘はバイトに出かけました。

息子はやっぱり家がつらいとのことだったので
徒歩で行けるバイト先なのに車で迎えに行くことにしました。
しかも2時間前から笑

駐車場でエンジンかけたままテレビをつけて
ぼーっとしたり、寝たりして娘を待ちました。

夫の急死 記憶があるうちに。。。⑧

2019年06月14日 | 
寝たんだか起きていたんだか分からない精神状態のまま朝がきました。
というか横になった時点で朝でしたけど。

息子の卒業式です。

本当は夫と出るはずだった卒業式です。

この数時間でものすごくいろいろとありました。
いつもなら、夕食を食べてのんびり過ごし、寝て起きる、
そんな時間なのに
我が家はものすごいことが起きました。

夢の中(いい意味ではない)にいるようでした。

息子を学校に行かせ
私と娘も行くことにしました。

だけどなかなか身体が動きません。

頑張って頑張ってスーツに着替え
保護者受付時間終了の数分前に到着しました。
最後の2人前でした笑

息子が前もって書いた手紙を渡されました。
夫の名前、私の名前、娘の名前が書いてありました。

それから、体育館に行き、後ろの方に座りました。

卒業式がはじまりました。

途中で何回も呼吸ができなくなったり
過呼吸になったりしました。

ただ座っていることが大変でした。

だけど、
卒業式は祝いの席だから絶対笑顔でいようね、って三人で約束してました。
だからいっぱい笑っていました。

誰にも言わないで、お祝いしようって決めていたので
誰にも言いませんでした。

だけど、心が壊れそうでした。

人生で一番頑張った時間でした。

それから、終わって三人で歩いて帰りました。

それまで泣いてなかった息子が帰り道、突然泣き出しました。
ずっとこらえていたのです。
心が痛くなりました。

それから、私は仕事に行きました。
なぜならこの日は卒業式のため、午前中しか休み依頼をしていなかったからです。
娘はバイトだったかな?
そして息子は一人留守番となりました。

会社に行き
上司に「今日、夫が亡くなりました」と伝えました。
とても驚いていました。そして、現在夫の体が警察なので
戻ってくるまで何もできないこと。
戻り許可がおりたらすぐ迎えにいったり火葬をしたりするので
そのときに時間をもらいたいと話をしました。
そして、いつ警察から連絡がきてもいいように前倒しできる仕事は
めいっぱい前倒しして仕事をしました。

そして残業までして帰宅したら
家の前に人がいる。。。。

近寄ってみると息子だ。
3月でまだとても寒く、コートだって必要なこの時期に
半袖Tシャツで外に立っていました。

びっくりして
「どうしたの?」と聞いたら

「一人で家にいられない・・・」

「寒いでしょ」
と言ったら

もう寒さも分からない、と。

私は子供たちに真実を伝えることにしました。

夜、娘と息子に話し
娘は一言
「きも」とだけ言い放ちました。

夫の急死 記憶があるうちに。。。⑦

2019年06月14日 | 
自宅に向かっていても頭がボーッとしてしまいます。
運転するのが精いっぱいでした。

自宅に着いたら、ワゴン車が停まっていて警察が待っていました。
三人の警察の人が降りてきました。

家に入ると
子供達が身を寄せ合って座っていました。
とても不安な顔をしていました。

「お父さんは亡くなりました。お外で亡くなったので警察が調べることになったんだよ。
そういう決まりなんだ。だから警察がお家に入っているけど悪いことをしたわけじゃないから
心配しなくていいからね」と言いました。

そして、警察は
夫の部屋を捜索しました。

ゴミ箱とか押入れとかタンスとか。
布団の下とか、もう全て。

ゴミ箱の中から
今回行ったのとは違うラブホテルのサービス券とか
他都市の風俗店のカードとか出てきました。

一緒に住んでいても寝る部屋が違うので夫の部屋はプライベートということもあり
普段はほとんど入りませんでした。

それは信用しているからでもありました。

それを根底から覆されました。

警察の人は夫の部屋や、カード等の写真を撮っていました。

それから居間や夫の飲んでいた薬なども調べていました。

それから、帰りました。

5時頃、とりあえず寝ようということになりました。
三人で並んで寝ることにしました。
寝て起きたら全部夢であってほしいと心から思いました。

夫の急死 記憶があるうちに。。。⑥

2019年06月14日 | 
それから、どのくらい待ったか分かりません。
実家の親は遺体安置所に置かれた夫を一瞬だけみて戻ってきました。
見てられないですよね。

しばらくして警察の人がきました。

夫の状況を話してくれました。

夫が倒れた場所は市内ラブホテルの駐車場でした。

夫は温泉に行くと言って家を出て
市内のローソンの駐車場で出会い系サイトで知り合った女性と待ち合わせ
ホテルで過ごし
終わって出てきたところで胸が苦しくなりうずくまったそうです。
フロントの人が一度「救急車を呼びますか?」と聞いてくれたそうですが
そのときは断ったそうです。
しかし、苦しく動けなくなったそうです。
いつまで経っても駐車場から車が出てこないので心配になったホテルの方が
苦しんでいる夫を見て救急車を呼んでくれたそうです。

一緒にいた女性は、ホテルの人にタクシーを呼ぶように頼み、
そのタクシーに乗って、どこかへ行ってしまったそうです。(つまりは消えた)

天と地がひっくり返るほど驚きました。

正直、尋常じゃないくらい太っているし、見た目もイケメンとは到底言い難いオジサンです。
でも、そんなことをしていたなんて。

私は、仕事をしながら家事、育児、夫の世話、PTAなど目がまわるような毎日を過ごし
そんな中でそんなことをしていたとは。

警察の人は、
夫の最近のスケジュール、今日食べたもの、どんな会話をしたか、金銭関係のこと
そして、夫の所持品を見ながら
車は高級輸入車(BMW)、時計はロレックス、かなり金回りがいい感じしますけど?
と言いました。
それは、ローンで頑張って買いましたと答えました。
つまり、夫のそういうぜいたく品は私が働いているからこそ買えるものでした。

アホらしかったです。

それから
これから、自宅を見せてください。
と言われました。

そのとき、時間は夜中3時。

病院で手続きの残りをして、親と別れ、自宅に戻りました。

夫の急死 記憶があるうちに。。。⑤

2019年06月07日 | 
それから、もう一度家族室に戻りました。

日が変わって翌日になっています。

実家の親に再度電話しました。
親ははじめの電話のあと、心配していて眠れなかったそうで
起きていました。
そして驚き、すぐ来てくれると言いました。

親友にラインしました。
親友の旦那さんは今、がんと闘っています。
こんなときに「死」というワードを使っていいものか悩みましたが
親友なので、伝えるべきと思いました。

お医者さんからMRIの結果を教えてもらいました。
一緒に画面を見ると
以前起こした脳梗塞の関係かなと思った脳の部分は特に何もなく
胸あたりに画像が移動したときに
ん?と思う部分がありました。
心筋梗塞?と聞いたら
断言できないけど、その可能性は高いですね。
と言われました。

倒れたときに一緒にいた人?が救急車を呼んでくれたと。
温泉に1人でいったよね?連れ?

夫の車はどこにあるのだろう。温泉の駐車場?
夫はいったいどこで倒れたのだろう。

車を他人様の土地に置きっぱなしは申し訳ないので
取りに行かなくちゃ。

だけどお医者さんは、そこらあたりは分からないと、それしか言いませんでした。

そして
病院で看取られなかった場合は、警察に連絡する決まりがあるとのことで
また家族室で警察を待つことになりました。

実家の親も到着し、夫を見てもらい
一緒に家族室で待ちました。

夫の急死 記憶があるうちに。。。④

2019年06月07日 | 
そこに横たわっている夫は、当たり前だけど夫でした。

ほんの3時間くらい前まで会っていて、おしゃべりしていた夫でした。

服装だってそのときのまま。

だけど明らかに違うのは、ひとめ見て「生きていない」と分かったことです。

目はつぶっています。

だから眠っているように見えるのかも、なんて妄想したくなりますが
どう見ても生きていない人でした。
つまり、死体でした。

その夫に救命隊の方々がずっと心臓マッサージを続けていてくれました。
私のような素人がどう見ても生きていないと分かる夫に
一生懸命マッサージをしてくれていました。

彼らは、夫はすでに亡くなっているのに
私が病院に到着するまで死亡認定をしないで
待ってていてくれたのでした。
心から申し訳ないと思いました。

お医者さんが
同じ説明をもう一度します。
つまりは「もう戻らない」ということを。

そして
救急隊の方は手を止め、後ろに下がります。
お医者さんは、私にモニターを見せます。
心臓は全く動いていませんね。と確認させます。

そして、聴診器で彼の胸を改めて聴きます。

そして、胸ポケットからライトを出して彼の両目を診ます。
その時の目をみたとき、「本当に亡くなっている」と思いました。

お医者さんは処置室の時計を指さし
OO時OO分です。
と告げ、
お医者さん、救急隊の方々、そして周りの看護師さんが一斉に頭を下げました。
長い時間下げてくれました。

私の後ろでは、まだ看護師さんがいつ倒れても支えられるようにスタンバイしてくれています。

その優しさが嬉しかったです。

ただ。。。。。。
現実だと、受け入れるにはまだ混乱しています。

悲しいとか取り乱すとかじゃなくて

え?

どうしよう?

母子家庭?

どうしよう?

これ現実?

みたいな感じで、フワフワした感じ。

やっと出た言葉が
「夫に触ってもいいですか?」

「どうぞどうぞ」と言われ
お腹を触ったら
まだちょっとだけ温かかった。


夫の急死 記憶があるうちに。。。③

2019年06月07日 | 
病院に着きました。

緊急救命センターに行きました。

すぐ夫のところに行くかと思いきや
まず家族室(小さなソファとテーブルがある部屋)につれて行かれます。

そして
夫がつけていたジャンパー、腕時計、そして車の車検証を見せられ
間違いないかと聞かれました。

あぁ、やっぱり。

間違いないと返事をしました。

それからお医者さんのところへ行きます。

お医者さんからも一通り、と言っても
心肺停止で運ばれていて今、救命措置をしている、ということを説明されて
そのあと

もうその心臓が動くことは無い。

ということを言われました。

それが何を意味しているのかは分かりました。

もう既に亡くなっているということです。

これからMRIとか一通り検査はしますみたいなことを言われました。

それから、夫がいる処置室?みたいなところへ連れていかれました。


夫の急死 記憶があるうちに。。。②

2019年06月07日 | 
留守番メッセージなんてはいると思っていないから
布団の中でぼーッとしている頭の中で聞いている。

「OOさんのお宅ですか。OOさんと思われる人が心肺停止で緊急搬送されてきています。
もしご自宅にご本人がいらっしゃらなければご本人確認の為にきていただきたいのですが。
ご連絡ください」

というような内容でした。

寝ぼけた頭が急に現実には戻らない。

意味がわかんない。

家の電話は既に切られている。折り返しかける。
交換係経由で救急へ繋いでもらう。
同じ内容の話を聞く。

「わかりました。今から行きます。」
「何時に来れますか?」
「今から行きますが20分くらいかかるかもです」

だって、コンタクトは外してるし、パジャマだし。

取り急ぎ、着替えながら子供達を起こし
「パパね、心臓が止まって救急車で病院に運ばれたんだって。
だから病院に行ってくる。
もしお母さんが明日帰って来れなかったら、1人で卒業式出席するように。
OO(娘の名)、OO(息子の名)を頼むね」
と言って、車に乗り込みました。

子供たちを連れて行くかどうするか。
一瞬迷ったけど、明日は卒業式。

家にいてもらおうと思いました。

運転していても手が震えます。

数日前に買ったラッツ&スターのCDから陽気なナンバーがかかります。
何年も欲しくて欲しくてやっとアマゾンで買ったCD。

混乱する頭と震える手をなんとか抑え
夫は疲れているのに、温泉なんかに行かせなきゃ良かった。
きっと大丈夫。
不安で潰れそうな心をそんな根拠のない思いに置き換えながら
ひたすら車を走らせました。

それにしても、チューハイ飲まなくて良かった。
ジュースくれた息子に感謝。

夫の急死 記憶があるうちに。。。①

2019年06月07日 | 
今年の3月に夫が急死しました。
やっと向かい合えるようになってきたような気がするので
残しておこうと思います。

多少時系列が狂うかもしれませんが備忘録なので笑

3月15日は息子の卒業式の日でした。

いつもは出席しない夫も、今回は出席すると言い出し
出張から14日に帰ってきました。

この日はホワイトデーというのもあり
私も友達と毎年交換してるお菓子を持って行ったり久しぶりの会話をしたり。

それが終わり、夫からお土産(ホワイトデーのお返し)をもらって
出張土産話を聞きながら夜ご飯を食べ
明日の卒業式は何時集合だっけみたいな会話をしながら
夫は疲れたから温泉にでも行ってくると言って
21時15分頃に出かけていきました。

温泉にはサウナがあるので
彼はいつもゆっくりしてきます。

私は3/20から子供たちと旅行に行こうとしていて、
その日旅行会社から急便で届いた新幹線チケットやホテルクーポンを確認しながら
最終プランを確認しつつ楽しい時間を過ごしていました。

普段、家族が外出しているときには絶対お酒は飲まないのですが
冷蔵庫を開けると缶チューハイしかない。
んー、飲もうかな、と一度手にして居間に戻ったところ
珍しく息子がお小遣いで買ったというジュースをくれたので
チューハイを戻し、また大好きな旅行プランを見ていました。

それから
パパ帰ってこないな~と思いながら
もう寝よっか、と布団に入って、やっと眠った頃
滅多に鳴らない家の電話がなりました。

家の電話は普段は留守電にしてあります。
だいたい夜中の電話は間違い電話か、ワンギリ電話なので
放置です。

でも今回は放置していたら留守電に変わり
メッセージが入りました。

地元の総合病院からでした。

受験シーズン本番

2019年02月13日 | 家族
2月も中旬となり
現在中3の息子の受験シーズンもいよいよ本番。
明日は私立高の入試の日です。
今日は友達と無事に下見に行ってきたようで、とりあえず一安心。

本当は下見行かなくてもいいかな~って言ってたんだけど
娘が
「私のとき、下見に行ったら自分の席がなかったんだよね。絶対行って自分の席をきちんと確認した方がいいよ」
と。

そんなバカな話があるのかと思ったけど娘がそう言うんだから、起こり得るのだろう。
普通、受験番号順に机に紙?を張り付けていくと思うんだけどね。

私立高の受験が終わったら翌日は面接。

その後、3月のはじめに公立高の入試。

今回、息子はずっとずっとずっと希望していた高校から変えることになりました。
行きたいと希望していなかった学校で、見学会すら行かなかった学校。
塾の摸試では、志望校の合格範囲内には入っていたけれど何があるか分からないし。
しかも、3年になってから定期テストの点数は下がりっぱなしで、内申ランクも一つ落ちてしまい。
そんなんだから塾の成績別クラスも下がってしまい。

本当ならここで気合いいれて勝負に出てみるって手もあったけど
一つ下げることにしました。

一昨日やった塾の摸試では第一志望者90名中、7位。
2週間後の摸試でもっと上げていって、当日は1位を取ってほしいな~

でも学力よりも何よりも、元気で生きていてくれる、そんな日々がこれからも続きますように。

術後4年

2019年02月13日 | 子宮がん
1日過ぎてしまいましたが
昨日、2/12で術後、丸4年となりました。
検診は主治医が冬を避けてくれたので4月になります。
病院施設が昨年新築移転したので、婦人科がどのようになっているのか迷子にならないのか
心配です。。。

昨日は競泳の池江選手が白血病を公表した日でもあります。

自分が癌と分かったとき、その日を境に見るもの全ての景色から色がなくなり
食欲も、生きていく欲も無くなっていったことを思い出しました。
だけど、家族がいる、負けられないと思いながらも
何度も一人きりで泣いていました。

池江選手は、私の娘と同学年です。
今年は東京オリンピックに向けてとても重要な試合がたくさんあります。
それを見据えてトレーニングに励んでいたことでしょう。

私も、そして子供達も競泳をしていましたので
彼女の活躍はとても注目していました。

彼女の心中を思うと言葉がありません。
今はただただ、治療の成功を祈るばかりです。


仲間の死

2018年04月26日 | 日記
昨日のお昼頃、何気なく見ていたネットでのニュース。

「妻が夫を殺害、自首」

そのようなタイトルのニュースは悲しいけれどよく目にする。
だけどあまり内容まで見ることは正直無かった。

たまたま知り合いと同じ苗字だったことから、なんとなく読み進めていると・・

殺害されたのは知り合いご本人でした。

というか、この時点ではまだ「同じ地元に住む同姓同名で似たような年齢の人かもしれない」
という疑惑を捨てきれず。いや、思い込み?願い?

夕方の地元紙を見て。。。やっぱりご本人でした。

ニュースや新聞には
奥様が夫婦関係のことで過去2回ほど警察に相談していたと。

ただ読んでいるだけだと夫のほうに原因がありそうな内容の進め方。

女性関係か金銭トラブル。
そんなバカな。
憶測や、過去の事件からの予想で書いて欲しくない。

夫婦間のことは何も知りません。

だけど。
私の知る限り、
彼はとても穏やかで、いつも笑顔で、どんなに忙しくても周りの人をいつも気遣っていました。
私が2つの某団体の役員を推薦し、お願いしたときも
「名前ばかりで全然お役に立てず申し訳ない」と言いながら快くOKしてくれました。
彼の穏やかな口調の解説や説明はとても分かりやすくて、
名前ばかりなんかではなく、私たちにとってなくてはならない方でした。
いや、私だけではなく、皆が彼を尊敬し、慕っていました。
人望が厚く、なのに、決して高飛車な態度や高慢なことを言うなんてことは一切なく
いつも謙虚で、みんなの憧れの方でした。

先日もメールをしたばかり。

神様、どうかどうか、彼ではありませんように。
私たちから彼を奪っていかないでください。

人間って、あっけないですね。
積み上げた日々は、いとも簡単になくなってしまうんですね。

どうして?どうして?
と何度も問いかけては、いつも優しい言葉で綴られているメールを読み返していました。

生きること。

平凡な毎日を送ること。

それが、どれだけありがたいことか。
改めて骨身に沁みました。

私の生き方は彼に見せられるか?

私は、またいつか彼にあの世で会えたときに笑顔で話せるように
精一杯生きて頑張ろう。


術後、三年目の検診

2018年04月16日 | 子宮がん
4月12日(金)の午前中は1年ぶりの検診でした。
久しぶりの病院。久しぶりの待合室。
いろんな思い出のある病院です。

今回は卵巣の腫れもなく、術後の検診は無事に終わりました。

次回は来年です。

私が通っている病院は現在、新しい施設を建設中です。
帰りに受付の人に「次回からは新しい病院となりますので」と言われました。

この思い出深い病院も今日で最後なのか。。。
と妙にしみじみしました。

ここに来ると
自分が以前犯した過ち(きちんと検診を受けなかったばかりに癌となってしまったこと)を
振り返り、自分を顧みる機会になっていたのですが
それは私の都合ですから、仕方ないですね(笑)

また来年も元気に検診に通えますように。


新年度スタートしました。

2018年04月10日 | 日記
今年の冬は雪が多かった。。。
私の住む町はもともと雪が少ない。そして気温が低い。
だけど、この数年でそれがだいぶ変わったと思う。
ドカ雪だって降るし、積雪もそれなり。
3月1日の大雪では視界がなく、道路も「これ道路?」という状態になり
本気で引越しを考えた。
しかも今年は、3月に大雨が降って、道路が冠水した。
出勤したけど途中でダメになり何とか引き返して自宅に戻れたけど
結局、車は故障した。

そんなこんなだったけど
気が付けば4月(*^。^*)
春の空気がやってきました。
北国はまだまだ雪も降るけど、でも春の空気は少しずつやってきました。

嬉しいです。

病気になる前は、こんなに季節で一喜一憂することなんて無かったと思う。
ただ毎日を生きていて、気が付けば年末。
仕事と家事と育児に追われ、ただそれだけの毎日。
春のあたたかな空気や芽吹く草木たち。
夏の陽射しの中、青々とした木々。
秋の落ち着く空気の中の紅葉と鮮やかさ。
そして厳しい冬の中の雪の音。

全てが生きているからこそ
心が活きているからこそ
感じるものだと。
そして
感じることが出来る今、この状況に感謝する毎日です。
(さっき、大雪で引越したいと言ったばかりなのに(笑))

そんな中、
引き受けてしまっている役員の数々。。。。
中学校PTA三役と
高校PTA三役。
そして、NPO法人の副支部長。
まだある(笑)
高校吹奏楽部の幹事と
中学校少年団の副会長。

これらの年度初めの役員会、総会が一斉にやってきます。
ほとんど自宅にいることが出来ません。
特に学校役員は「本末転倒だな」と思うわけであります。

でも引き受けた以上は今年もなんとか乗り越えたいと思います。


新年度と言えば、ちょっとしたことがありました。
全ては記載しませんが、備忘録代わりに残しておきます。

息子は市内大手?(大きな)塾に通っています。
そこは自宅からは徒歩圏内にあり、私や夫が会議や仕事で送迎できなくても
比較的明るく広い歩道があるので自力で行けるのと
何より息子自身が「通いたい」と申し出たからです。

息子は通っていることは確かなのですが
授業についていけていないようで、テストで基準点に追いつかず選抜基準から落ちること数回。。。
3月に選抜クラスに入るためのテストがあったのですが全て残念な結果に。
今まで息子の勉強に親が関わらない方がいいと思って、放置していましたが
改めてテキストを見てみると全然ついていけてない様子(泣)

夫は「やる気がないんだから、辞めさせろ」と怒るし
息子は「通いたい、頑張って選抜クラスに行きたい」っていうし

3月末の統一摸試で基準点クリアすることを最終目標に頑張ろう!と息子と全教科の
問題の解き直しを二人三脚で開始しました。

私も働いているし、とても大変。
統一摸試前に受験した選抜テストと診断テストは落ちることは分かっていた。
この二つのテストで一喜一憂する必要はない。
最終の統一摸試に向けて結果を出そう!とやった。

あまりに落ち続けたせいで心配してくれた塾の先生から電話も来ていた。
とても親身になってくれたので、娘の時にひどい対応があったので
あまり信用していなかった塾だったけど、「この先生なら信用できるかも。信頼してもいいかも」と思って
今、息子が置かれている状況。夫がやる気がないなら辞めされると怒っている状況。でも息子は頑張りたいと言っていて
最後のテストで絶対合格すると頑張っているという状況、4月からも続けたいと頑張っている状況を相談した。
そして、出来は悪いけれど、今、心を入れ替えて、苦しみながら頑張っている息子のことを知ってほしいと思った。
先生は、息子には簡単なうっかりミスが多いこと、集中力が欠けていることなど
私が普段から息子に指摘していることと同じことをおっしゃり、注意して配慮してくださるといってくれた。
そして息子に「心がける事」を箇条書きにした紙を書いてくれた。


そして、統一摸試。
やっぱり抜けている息子は開始時間を30分遅く勘違いして遅刻した。。。
先生から自宅に電話があり、息子は家を飛び出して行ったらしい。
もう何の申し開きも言い訳も何もできない。
これが受験本番だったら、どうするのか。遅刻なんて言語道断。
私も開始時間は息子から聞いてはいたけど、自分の目でも確かめるべきだったと深く反省している。

そんな中、
4月分、つまり、新年度の授業料の引き落としが3月27日にあった。
もちろん前もってお金を入れてある。
もちろん新年度継続の用紙も提出してある。
だけど、息子の授業料は引かれなかった。

なぜ?

息子に聞いてみた。

息子は「わからない」と。

塾に電話してみた。
「お母さんから”辞めるかも”って聞いていたので引き落とし止めました。」とのこと。

じゃあ何のために息子は頑張っていたのか?
息子は先生を信頼し、この塾でずっと頑張りたくて一生懸命やっていた。

辞めるかも?じゃなくて、辞めたくないから一生懸命やっていた。
辞めたくないから、恥を忍んで相談した。
辞めたくないから継続の道を一生懸命模索していた。

それは全て息子が希望していたから。

夫は「やる気がないなら辞めろ」とは言った。
それは家庭の中での話であり、決定事項ではない。

私は塾が全てだと思っていないし、通っても通わなくてもいいと思っている。
だけど
息子が頑張りたいと言うから、その気持ちを応援していた。
なんとか最後のテストに向けて頑張ろう。
そして、合格して、支えてくれた先生にお礼を言おう。

だけど
塾では4月からの継続塾生に息子はカウントしていなかった。

私は退会届も出していないし
退会の意思は伝えていない。

だけど退会扱いの上、
「続けるんだったら、4月分の授業料を12日までに振り込んで」とのこと。

なぜ、退会届も出していないのに一方的に止められて
挙句、自分で4月分の授業料を支払いに銀行かコンビニに行かなくてはならないのでしょう。

ウチが「辞めるかもしれないから引き落とし止めておいてもらえますか」と依頼したのなら分かります。
でも、退会届も退会意思も出していない状態で、一生懸命頑張っている生徒を目の前ににして
よく引き落としを止めるなんてことが出来るなと違う意味で感心します。

私たち親の足元をみてバカにしても構わない。
だけど、息子は4月からも、この塾で、この先生と勉強したいと思って努力してきた。
だけど、塾にとって息子は必要ない生徒だった。
一言も親に説明もなく
一方的に引き落としを止められた側がどんな思いをするのか、わからないのでしょうか。


息子は止められた理由を聞いてとてもショックを受けていた。
統一摸試の結果は自己ベストだった。だけど喜びなんて何もなかった。

怒っている私に対し
「先生に言わないで。僕が我慢すればいいから。」と。


2年前、娘が受験するときにもひどいことを言った塾だった。
娘の進路に際し行った三者面談。
将来なりたい職業を言った娘に対し、講師が言った言葉は

「そんな職業、食っていけないでしょ」

子どもが夢見ている職業に対していう言葉でしょうか。

そして、娘が志望校を受験し、合格を塾に伝えたところ
「奇跡だ」
「宝くじに当たったようなものだ」
「信じられない」
と言われました。一言も「おめでとう」は無かったそうです。

娘は努力したのです。私は娘の成績が上がってきたのを知っています。
まぐれでも宝くじでも奇跡でもありません。

4月分の授業料の振込み用紙が郵送されてきました。
翌日、すぐコンビニに支払いに行きました。
いろんな意味で勉強になりました。