旅の支度は20分で。

2007-11-08 22:55:28 | いいくぼ日記
 明日は松山に出発。

1日目は夕日が凄く綺麗に見える場所に宿泊するので何だか楽しみだ。
とか言って全く夕日の見えない側の部屋だったら泣きたくなるかも。
こういう時、大体私の部屋は凄く眺めが良いのだけど
保坂さんの部屋は見えなかったりします。

以前全国ツアー中に私の部屋が凄く眺めが良くて
いいくぼ「部屋の眺め凄く良くないですかー!!?」と聞いたら
保「窓開けたら壁でした」って事があって。
可哀想でした。

でもなかなか明日の宿泊先がどこも満室でとれず
街づくり事業部の田中さんが探して下さった。ありがとうございます!!

ツアーに行く度、旅の支度が早くなる。
必要な物だけを20分位でちょちょいと詰め込めばOK◎
この必要な物も旅を重ねるごとに分かってくる。
それに仕度って時間をかけると意外と荷物増えたりするのは私だけ?

できるだけ荷物を少なくするために知恵を絞る。
だけど本や漫画は欠かせないので持ってく。
2日かけて1冊を読む位の漫画とかあったらいいのになぁって
いつも思う。
「ゴーマニズム宣言」位の文字数でもっと読みやすい物とか←注文の多い読者

あと1番あったらいいなぁって思うのは
気軽に持ってけるピアノとか開発されればいいのになぁって凄く思う。
旅先のホテルでも曲作りができるし◎

例えば使わない時はハーモニカ位小さいんだけど、
水をかけると膨張して大きくなるとか。
それか、ハーモニカ位のを空に投げるとエレピ位にドカンッてなるとか。
キテレツの世界だけど。

巻物のピアノ(ロールピアノ)とかは実際出てるけど本当に良い感じに弾けるのかなぁ。弾いてみた事ある方いますか?
ちょっと気になる。

約半年ぶりの松山ライブ。
松山で出会える皆さん、再会できる皆さんと一緒に
私自身も楽しんで行って参ります♪

走る

2007-11-08 01:23:58 | いいくぼ日記
 その街の住人は皆走っていた。

ジョギングが趣味のいいくぼです。

私にとって「走る」という事は
体力作り、健康維持、これ以上でもこれ以下でもない。

昨日ふと借りた「硫黄島からの手紙」と「ウェルカム・トゥ・サラエボ」を見た。
どちらも戦争をテーマにした映画だ。

今までも、いくつか戦争がテーマとなった映画を見てきた。
その度に「悲しくて耐えられない程痛くて、目を背けたくなる」
とありきたりな感想しか言えない自分がいた。

そんな感想を言っても、私に何かができるのかとか考えない自分もいたり、
結局、痛みだけ分かったようなフリをして半日後には忘れている感じ。
トップニュースで出ていた芸能人の離婚騒動の方が関心があったりもする。

「ウェルカム・トゥ・サラエボ」は本当の映像を交えてのドキュメントタッチな映画だった。
悲惨とかそんな感情を超えて見入ってしまった私がいた。
その映像には戦争を感じる決定的なものがあった。

その街の人々は、皆走ってるのだ。

普通に走っているのだ。

歩いている人などどこにもいない。
常に撃ち合いの中を、逃げているからだ。
銃声など聞こえなくとも、どこから殺されるか分からない。
だから太陽の下、光を浴びる時には常に走らなければならないのだ。

だけど、皆普通の顔して走ってた。
恐怖の顔じゃない。それが彼らにとっては日常のような光景で
真横の人が殺されても声もあげず、パニックも起こさず
銃声が鳴っても鳴らなくても当然のごとくまっすぐ走ってた。大人も子供も。
たった5秒位流れた映像だったんだけど、
衝撃だった。

私にとって走る事は運動でしかない。
信号が青から赤に変わる時、渡りきるための手段でしかない。
でも彼らは生きるために走っている。
逃げるために走ってる。

人間は何のために走り出すのか考えてみた。
きっと元々は生きるため、食料を捕るためだったりしたのだろうなぁ。
もしかしたら縄文時代位からオリンピック的な陸上競技もあったかもしれない。

今この平和な国でぬくぬくと暮らしている私は
街を歩いていても打たれる心配をしながら歩く事は無いに等しく
走るどころか、歩くことさえ面倒に感じる日すらある。
そんな自分が虚しく、日常小さい事でウジウジしてしまう心も乏しく、
でも安全な場所に生まれた事を幸福に感じた。
だから私は私のできる事で、誰かのために歌えればそれでいいのだと
シンプルながら感じた。
人が殺されていく映像の中で、そんな事を感じた自分に罪悪感もあるけど。

本当は人って、会いに行くために走るんだと私は思うんだよね。
その対象が人でも物でも
何かに向かうために、きっと走るという機能というか才能というか
人間が動き出したはず、のような気がするわけです。

私達は、逃げるために走るのではなく
会いに行くために走るのだ。

そういう世界であって欲しい。