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本と音楽とねこと

風俗依存症──私が本当の居場所を見つけるまで

大庭佳奈子,2011,風俗依存症──私が本当の居場所を見つけるまで,文芸社.(5.13.24)

 本棚の一角にセクシュアリティ関連の書物があって、はっきり言って苦手な領域なんだが、研究計画上、避けられないテーマであるからして、無理せず少しずつ読んでいくことにした。(軽躁状態のとき、この手の書物を集中して読んだときはそうとうヤバかった・・・。)

 大庭さんは、崩壊した家庭環境に耐えられず、そこから逃げ出すように、モデル業、そして性風俗の世界に足を踏み入れる。

 わたしの関心は、セックスワーカーの多くが、愛着資本を欠落させているという問題だ。

 愛着資本の欠落ゆえに、性風俗の場に身を置き、深入りしてしまうとすれば、自己決定、自己責任の論理でもって、セックスワークを肯定、正当化するわけにはいかなくなるだろう。

 そして、客がつき、金銭を稼ぐことにより充足される承認欲求と達成欲求という、厄介な問題がある。

「お前たちといつか一緒に暮らせるように、お父さんはがんばるから」
 父親が離婚前に最後に残したこの言葉を私は信じていた。
 でも、父はこの言葉の六ヵ月後に、どこかに失踪してしまった。今も父親がどこにいるかは、親戚も母親も誰も知らない・・・・・・。
 父が消えたときに、《血が繋がっている親でも、子どもを裏切り、捨てるのだ》と思った。それ以来、私は人に裏切られること、人に捨てられることが怖くなった。
 でも、その反面、裏切られたり、捨てられたりしない関係に憧れを持った。ソープランドはそんな考えを持つ私には居心地がよかった。店のルールを守り、ナンバーワンを取りつづければ、その間はいつまでも私を必要とし、私を裏切ることはない世界だった。だから、私はソープランドが自分の居場所だと思った。
(p.105)

 今まで生きてきたなかで、私がいちばんがんばれたり努力できたのは、風俗の仕事だった。体を売るうえで唯一のプライドは、「誰よりも稼ぎたい」ということだったし、お客さんから「誰より求められる自分でいたかった」し、店からも求められる人間でいたかった。そういう立場の自分でいられるのなら、どんな努力でもできた。努力をしたというより、誰かの努力に負けるのだけは嫌だった。
 そんなふうに思える仕事は風俗の仕事だけだった。そして、がんばる自分が好きだった。風俗の仕事が大好きで、天職だと思っていたときもあった。
(p.146)

 大庭さんは、性風俗を「アリ地獄」にたとえ、そこから抜け出すことの難しさを繰り返し述べているが、それは、性風俗の場で、「承認」と「達成」という報酬が約束されているからであろう。

 大庭さんは、ヒトパピローマウイルスに感染し、子宮頸がんを発症する。

 その経験もふまえて、セックスワークに従事することのリスクについて注意を促す。

 まったく知らない世界のことなので、こういう体験記は参考になる。


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