SSM(Social Stratification and Mobility)調査等で得られたデータを駆使した、計量研究の労作。
中心となる操作的概念は、もちろん、SES(Socioeconomic Status=社会経済的地位)だ。親子間SES移動、家庭SES、学校SES、地域SES等々、不平等の指標となる変数の相関関係が、多数のクロス集計表とグラフとで、明瞭に示されている。
ピエール・ブルデューのいう「文化資本」と、これらSESとの連関も深く究明されている。(もっとも、SES指標の一つ、「学歴」は「制度化された形態の文化資本」そのものであるが。)
わたしは、階層研究には、学生時代にSSM調査のタダ働きをしたことがある(KO大のK又が謝金を支払わなかった)ものの、どうしてもなじめなかった。地位の高低を「職業威信スコア」で数量化する、でも、それって職業差別を再生産することだわな、反発してた理由はそういうことだ。
松岡さんは、階層研究が、不平等における「予言の自己成就」につながるリスクをしっかりわきまえたうえで、教育格差の現状をつぶさに明らかにしている。「学(校)歴」じゃない、「実力」だよ、そう思いはするが、だれしも、「学(校)歴」の下駄をはかせてもらってはじめて地位達成を実現できた、あるいはできなかったのだ。この重みは大きい。
「だれをも落ちこぼらせない」という思いを基底にした結論部分は、とても読みごたえがあった。ぜひ一読することをおすすめしたい。
目次
第1章 終わらない教育格差
第2章 幼児教育―目に見えにくい格差のはじまり
第3章 小学校―不十分な格差縮小機能
第4章 中学校―「選抜」前夜の教育格差
第5章 高校―間接的に「生まれ」で隔離する制度
第6章 凡庸な教育格差社会―国際比較で浮かび上がる日本の特徴
第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか
出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件によって子供の最終学歴は異なり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり日本は、「生まれ」で人生の選択肢・可能性が大きく制限される「緩やかな身分社会」なのだ。本書は、戦後から現在までの動向、就学前~高校までの各教育段階、国際比較と、教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証。その上で、すべての人が自分の可能性を活かせる社会をつくるために、採るべき現実的な対策を提案する。
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