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本と音楽とねこと

ケアの絆

マーサ・A・ファインマン(穐田信子・速水葉子訳),2009,ケアの絆──自律神話を超えて,岩波書店.(8.28.2022)

 わたしたちは、かりに、健康で、40年以上にわたって自らの能力を生かして働くことができるとしても、(とりあえずその仕事がどれほど他者のサブシスタンスに貢献するものであるのかは問わないとして)子ども期、青年期と老年期においては、脆弱な個人として、親も含めた他者のケアを受けて生きていくほかない。いや、壮年期においても、自らの衣食住全般におけるケア、家事労働を必要とする。
 ファインマンが糾弾するアメリカ社会においては、そうしたケアが、もっぱら家族の私的責任においてなされている。国家は勤労者の税負担によって、企業は働き手兼消費者の需要があってはじめてその運営が可能になるにもかかわらず、である。
 国家と企業がケアの負担を免れていることは、ちょうど、工場が汚染者負担の原則を踏みにじり、グローバル企業、たとえば、アマゾンが、タックスヘブンのペーパーカンパニーに利益を計上して節税し配送に利用する道路の維持費用を負担しないこと等になぞられることができる。
 ケアなしでの労働力の調達も、需要の創出も不可能である。であるならば、その費用を国家と市場(企業)が負担するのは当然であろう。
 やや冗長ながら、ファインマンの主張は正鵠をえている。ただ、なぜ家族のプライバシーを重視するのかがよくわからなかった。人間の自由を国家権力から守るためには、個人レベルでのプライバシーの尊重で事足りるのではないだろうか。

子どもの頃はもとより、病を得たとき、障害を持ったとき、そして老いたとき、誰もが他の誰かに依存し、ケアを受ける。人は誰かに依存しなければ生きていけない存在なのだ。であるならば、ケアは社会全体で担うべきではないのか。自律、独立、自活の価値が称揚される陰で、結婚した男女によってつくられる家族のなかに隠されてきた依存とケアの現実を緻密に分析し、「性の絆」ではなく「ケアの絆」にもとづく家族、市場、国家の再編を大胆に説く。

目次
第1部 建国神話―自律、依存、社会の債務
建国神話
依存と社会的債務―建国神話を砕く
第2部 自律の制度化
市民社会派の家族論―結婚の特権化
なぜ、結婚なのか
結婚の未来
第3部 フェミニズムによる家族批判
フェミニズムと家族―平等を実践し自律を達成する
ジェンダー中立的世界のなかの母親業
第4部 社会契約における個人と家族の自律
社会契約の見直し
一時的な職場
持続可能な国家

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