新潟県中越地震の被災者は、日本人ばかりではない。留学や企業研修などで長岡市や小千谷市などに2000人を超える外国人がいる。誰でも怖いが、「言葉の壁」があればなおさらだ。今何が起きているのか。どんな支援を得られるのか。基本的な情報すら得られず不安を募らせている。余震が続き、台風24号も接近するなか、「情報の孤島」で眠れぬ避難生活を過ごしている。
二十五日朝も震度5弱を記録した新潟県長岡市役所一階ロビーには、びっしりと毛布が敷き詰められ、被災者が身を縮めている。
オーストラリア出身の英語教師、メラニーさん(24)は二十四日から、母国から遊びに来ていた祖母らとともに、ロビーに避難している。「アパートはものすごく揺れて、全部めちゃくちゃになってしまった。日本人の友達がここに避難できると教えてくれた。母国で、テレビニュースを見ている家族が携帯に電話をくれて、地震の情報を教えてくれている。それが一番の情報源」。災害対策本部の真下にいながら、オーストラリアから情報を“逆輸入”している格好だ。
同市の南にある工業団地には食品工場、工具メーカーの工場などで多くの日系ブラジル人やその家族が働いている。市内の宮内小学校には、約四十五人が避難し、同市内では外国人が最も多い避難所となった。
同団地の食品工場に勤めるナガタ・ヤスオさん(56)は家族四人暮らし。一週間前、今回の地震で最も被害の激しい小千谷市から引っ越してきたばかりだった。
■『写真ならば分かるけど』
双子の息子の一人ヤスヒロ・フェルナンドさん(19)は地震の様子を伝える新聞に見入っていたが、「写真は分かるけど、意味が分からない」と苦笑い。「彼はほとんど日本語を読めない。ひらがなぐらいなら分かる程度。だから小千谷が大変なことになったと何となく分かったけど、何人亡くなったとかどこの建物が倒れたとかは分からない」とヤスオさん。
会社からは二十五日、工場の復旧作業をしろと連絡があったが行かなかった。「妻はまったく日本語ができない。いつ余震が来るか分からない現状では残していけない」と語る。
ヤスオさんの同僚のクラウディオさん(51)は、仕事上の言葉は分かるが、日常会話は仲間に通訳してもらうしかない。避難所には食事や毛布の到着時刻などが張り出されているがそれも読めない。「テレビも新聞も日本語だしどこにどう行けば生活必需品が買えるのかといった情報が入ってこない」と不安げな表情だ。
食品工場の幹部によると地震が発生した当日から会社の駐車場を開放し、自動車で寝泊まりする人に商品の食品を提供してきた。
「従業員の約一割を占める日系ブラジル人には普段から通訳を計四人つけており、今回の地震でも彼らに付き添ってサポートしている。言葉が分からないから不安というのはおかしい」と話す。しかし、ヤスオさんは「通訳は来ていない。駐車場で寝泊まりといっても、そもそも車を持っていない人が多い」という。
長岡市内の別の工場幹部は「コストを抑えるために日系人を雇っているが、日本人でも今は大変な時期。彼らも心細いだろうがとにかく工場を立て直すことで精いっぱいだ」と対応策が後手に回ることを認める。
■『精神状態も悪くなって』
長岡市の日系ブラジル人対象の相談員も務める松崎エバルダさんは「道路が損壊しているので会いに行けない」と気をもみながら、電話やメールなどで被災者らに連絡をとり続けている。
「日本語が分からない人は、情報が分かっていない。震度6の余震が来る可能性があることや、いつから雨が降るかなどを可能な限り伝えている。皆、地震に慣れていないので余計に不安が大きい。『(余震は)今すぐ来るのか』と怖がっている。食べ慣れたものも食べられない。精神状態は悪くなっている」
多数の留学生が構内の寮に住む長岡技術科学大学では、一階ホールを避難所にして、構内でたき火して暖をとっている。留学生の主な国籍はアジアが多い。「皆、怖がって屋内に入りたがらない。夜間は駐車場で過ごしている」(総務課)という。
タイから来た女子学生(24)は「東南アジアから来た留学生はほとんど地震を経験したことがないので、余震でも怖がって叫んでいる人もいる。避難所の小学校名を聞いても、場所も行き方も、道路の状態も分からない。ここにいるのが一番安全と言う先生もいるけど、その先生はここにはいない」と苦笑する。
「テレビは停電で見られず、ラジオニュースは早口で全部は分からない。東京の友達から『もう一回大きな地震が来るみたいだ。避難した方がいい』とか言われると混乱する。日本語が英語で伝わり、それがまた日本語になったりする間に、どんどん話が大きくなりパニックになる人もいる」
長岡市国際文化課によると同市内の登録外国人数は二千百二十人で市内人口の1・1%。「十年前は約七百人」(同課)で三倍増になった。急増の背景に「中国人研修生と日系ブラジル人の増加が大きい」(同課)という。伝統的産業の鋳物とアパレル産業に従事する人が多い。
■研修生全員の帰国直前に…
七月、中国人研修生を「新潟アパレル協同組合」が受け入れ申請業者とは別の業者で働かせたり、禁止の残業を行わせていたことが発覚。研修生全員の来月一日の帰国が決まっていたが、直前に被災した。
同課の担当者は「七月の豪雨水害のときに、被害地域にどういう外国人がいて何に困っているのかを把握できず、その反省から情報発信の仕方などを見直ししようとしていた矢先の地震だった」とうち明ける。「本当は町内会の人と意思疎通ができれば一番いいが、言葉の壁がある。災害本部の電話番号までたどり着けた人はいいが、そうでない人の状態は把握できない」
長岡市では中国語、ポルトガル語、スペイン語、英語の四カ国語で生活ガイドブックを作製している。「地震や台風時の避難場所、連絡先も記載している」(同課)が、今回の地震で支援の中心になる長岡市国際交流センターは、内壁が崩れ閉鎖されている。一方、小千谷市では「今のところ、外国人の被災情報は入っていない」という。
■電柱に多言語張り紙張って
阪神大震災で、外国人に各種情報を伝えるためにミニFMとして発足、現在はコミュニティ放送局となっている「FMわぃわぃ」(神戸市)の日比野純一代表はこう話す。「市役所などの窓口の電話番号や、ラジオが多言語放送を始めたらその時間帯なども含め、いろんな言語で電柱に張り付けるといった取り組みが必要だ。横浜市の国際交流協会は『何時から食事』などの最低限伝えたいことを十数カ国語に翻訳し、そのファイルが避難所には常備されている。被災地では今全国にあるもので、使えるものを活用してほしい」
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