【日本建国史】は河内の八尾(ΙΑΩ)から始まった

『日本(ヤマト)・神話』が創作されたのは3世紀~4世紀頃の事でした…

「吉永小百合さん」と「赤銅鈴之助の歌」を思い出す

2013年11月19日 18時01分12秒 | 日記

【ラジオ放送・赤銅鈴之助】…「声…千葉さゆり」(吉永小百合さん)
2013-11-17 22:31:37
テーマ:『黄槿の花の下で』より
「吉永小百合」さんのデビュー作は…【ラジオ放送・赤胴鈴之助】(1957年・昭和32年)で、【声…千葉さゆり】だった。


 http://www.youtube.com/watch?v=63ABhXW2fZs …「此処をドラッグ(drag and drop)」して、【検索】に貼り付け、検索すれば、此の曲(赤銅鈴之助)のレコードの音楽が聴けます。



…第一話 - 「赤胴鈴之助」(1957年5月21日公開・モノクロ作品) …此の映画は、私が「小学四年生(10歳頃?)」頃、小学校の好意(映画鑑賞)で、全生徒に対し、「向山炭坑・社宅」付近に在った映画館迄、学年別に別け、順次、並んで歩いて行き、交替で、此の映画を見させてくれました。其の時のお金(映画の代金)は、「小学生1人…10円」だったと思います。当時、普通は「大人…50~60円」が相場だったような気がします。


…「兵庫県加古川市加古川町木村715-1」…の同窓生の店【Grande Albero】は、「大衆食堂」と「レストラン」を組み合わせた「イタリア料理店」でした。夜、帰宅してテレビのスイッチを入れると…『映画…霧笛が俺を呼んでいる(赤木圭一郎)』…の画面に、若い頃の「吉永小百合さん」を見て、咄嗟に…「赤銅鈴之助の歌」(ラジオ番組)」…を思い出しました。此のラジオ放送の前には必ずテーマ曲(赤銅鈴之助の歌)が流されました。其の曲を良く聴いていた子供の頃の事が懐かしく思い出され、直ぐに書いたのが此の記事です。此の歌の中の「セリフ」は…「吉永小百合さん」…だと私はズーット思っていますが、果たして?…

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