【一年間生きてました】
幾つの命が一日で失われるのだろう。
そう考えると、昨日、今日そして明日と少なくとも自分の命が続いて行くことはそれ自体が奇跡のように思える。
昨年の一月十一日にここウガンダに到着してから丁度一年が経過した。とても早いようで、様々な事があった。
今日はこの一年間を随筆的に振り返ろうと思う。
想像していた「国際協力」や「開発」は、いま思うとただのユートピアだったように思う。「便利なこと」は「いいこと」だろうか? そんな疑問は日本に居るときには決して浮かばない問だっただろう。
「外国では…」と簡単に言ってしまうが、数多直面する異文化という壁はもっと小さな個人レベルで考えるものだ。
例えば日本人だって服のたたみ方が違うとか、部屋を綺麗だと思う感覚が違うなんてことはよくあることだ。
外国または外国人は…と割り切ろうとしてる時点で、まだ心理的には全く祖国を出れてないのだろう。僕は勝手に『心理的鎖国』と呼んでいる。
最近はその感覚がやっと「この人は…」と考えられるようになったから、一歩前進としよう。
一年経ってたったこれだれ。しかし、とても大切なこと。僕はそう思う。
ーーーーーーーーーーーー
『他の生徒に迷惑だろ!』と授業中に騒がしく喋ってる生徒にそう注意したことがある。
しかし『so what?』(だから?)と憎たらしく言い返された。
ただその後「周りに迷惑をかけてはいけない」というのはとても日本的な躾で、ここの生徒には響かないと反省した。
どうやって伝えたら生徒の心に響くのだろう。現地の先生に聞けば「言うこと聞かない奴は叩けばいい」と平気で言われる。
…難しいものだ。
この学校に通う多くの生徒がウガンダ国内に住み一生を終えるかもしれないと考えると、一体何のために、日本から来た僕がこうも奮闘しなければならないのか。
時々疑問に思うことがある。
心とは誰かから誰かに受け継がれていく。
身体的特徴が両親から半々受け継がれるように、心的な特徴は関わった人の傾向が少しずつ混ざり合って自分を作り上げる。
そう言う意味で、
ウガンダ出身の人はウガンダで、
日本出身の人は日本で、
教育に携わる方が圧倒的に合理的である。
しかし、変わりゆく社会や世界を考えるなら必然的に教員にも柔軟性が必要とされてくる。とりわけ公教育は資本主義原理の影響が少ないとされるものの、内情は「他人との比較」がなされていることが多い。
「周りの人と同じ事ができない」ことが「問題」とされてしまう世の中。その認識が変わるのはいつなのか。少なくとも僕は「周りと違う人」そういう人に寄り添っていたい。
ーーーーーーーーーーーー
ウガンダ隊の中でも、僕自身隠すことも少なくなって来て「最初に思ってた印象と凄い違う」と言われる事が多かった。
他人と変わっている と自認し始めたのもそんなに前ではないけれど、同時に別にそれで良いって思えたからとても楽だ。
「あなたに幸せになってもらいたい」
この言葉は、一見思いやり深い言葉に見えるが、言い手側の「幸福論」を相手に押し付けてる印象が強い。
自分自身の幸せさえも認知してる人が少ないのに、他人から見てその人の「幸せ」なんてそう簡単に分かるわけがない。
「あなたの幸せを願っている」
言葉で伝えられることなんて、せいぜいこの程度。そこに、他人が入る余地なんて果たしてどれほどあるのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日任地に帰ってきて、今朝
「近所の◯◯さんの奥さんの父親が亡くなって、今日埋葬があるけど、エナンは呼ばれてる?」と大家さんの息子に話しかけられた。
いや、知らされてない。
そう告げて僕はまたベッドに横たわった。
大乾季。照りつける太陽がトタンの屋根を貫いて、部屋の中まで直射日光が届いている位暑かった。僕はその屋根を仰向けに眺めながら。「失われた」一つの命を想った。
幾つの命が一日で失われるのだろう…。
いや、失われるという感覚さえも本当はまやかしなのかもしれない。だって「生きている」事さえも僕たちはきちんと理解していないのに、どうやって「命のおわり」を定義するのか。
1+1が2になる事をきちんと説明出来ないのに、高度な計算をしてるような気分。
生きてもいないし死んでもない。それは他人に認知されて初めて「形」としてなしている。そんな不思議な世界に僕たちは「いる」
少なくとも一年間、僕はこの投稿を読んでくれる皆さんの中で生きていました。生かされていました。
皆さんが物理的に、経済的に、そして精神及び心理的に支えてくれたおかげ僕は存在しています。その事をこの場を借りて感謝します。そして、帰国した際にはこんな「変わった」僕ですが、暖かく迎えてくれると嬉しいです。
僕もみんなに会いたいです。
あと一年間。何が起きても、僕は皆さんの中に生き続けています。
本当に心から、ありがとうございます。
この世界に生まれて良かったと思います。
01/14/2018
えなん
幾つの命が一日で失われるのだろう。
そう考えると、昨日、今日そして明日と少なくとも自分の命が続いて行くことはそれ自体が奇跡のように思える。
昨年の一月十一日にここウガンダに到着してから丁度一年が経過した。とても早いようで、様々な事があった。
今日はこの一年間を随筆的に振り返ろうと思う。
想像していた「国際協力」や「開発」は、いま思うとただのユートピアだったように思う。「便利なこと」は「いいこと」だろうか? そんな疑問は日本に居るときには決して浮かばない問だっただろう。
「外国では…」と簡単に言ってしまうが、数多直面する異文化という壁はもっと小さな個人レベルで考えるものだ。
例えば日本人だって服のたたみ方が違うとか、部屋を綺麗だと思う感覚が違うなんてことはよくあることだ。
外国または外国人は…と割り切ろうとしてる時点で、まだ心理的には全く祖国を出れてないのだろう。僕は勝手に『心理的鎖国』と呼んでいる。
最近はその感覚がやっと「この人は…」と考えられるようになったから、一歩前進としよう。
一年経ってたったこれだれ。しかし、とても大切なこと。僕はそう思う。
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『他の生徒に迷惑だろ!』と授業中に騒がしく喋ってる生徒にそう注意したことがある。
しかし『so what?』(だから?)と憎たらしく言い返された。
ただその後「周りに迷惑をかけてはいけない」というのはとても日本的な躾で、ここの生徒には響かないと反省した。
どうやって伝えたら生徒の心に響くのだろう。現地の先生に聞けば「言うこと聞かない奴は叩けばいい」と平気で言われる。
…難しいものだ。
この学校に通う多くの生徒がウガンダ国内に住み一生を終えるかもしれないと考えると、一体何のために、日本から来た僕がこうも奮闘しなければならないのか。
時々疑問に思うことがある。
心とは誰かから誰かに受け継がれていく。
身体的特徴が両親から半々受け継がれるように、心的な特徴は関わった人の傾向が少しずつ混ざり合って自分を作り上げる。
そう言う意味で、
ウガンダ出身の人はウガンダで、
日本出身の人は日本で、
教育に携わる方が圧倒的に合理的である。
しかし、変わりゆく社会や世界を考えるなら必然的に教員にも柔軟性が必要とされてくる。とりわけ公教育は資本主義原理の影響が少ないとされるものの、内情は「他人との比較」がなされていることが多い。
「周りの人と同じ事ができない」ことが「問題」とされてしまう世の中。その認識が変わるのはいつなのか。少なくとも僕は「周りと違う人」そういう人に寄り添っていたい。
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ウガンダ隊の中でも、僕自身隠すことも少なくなって来て「最初に思ってた印象と凄い違う」と言われる事が多かった。
他人と変わっている と自認し始めたのもそんなに前ではないけれど、同時に別にそれで良いって思えたからとても楽だ。
「あなたに幸せになってもらいたい」
この言葉は、一見思いやり深い言葉に見えるが、言い手側の「幸福論」を相手に押し付けてる印象が強い。
自分自身の幸せさえも認知してる人が少ないのに、他人から見てその人の「幸せ」なんてそう簡単に分かるわけがない。
「あなたの幸せを願っている」
言葉で伝えられることなんて、せいぜいこの程度。そこに、他人が入る余地なんて果たしてどれほどあるのだろう。
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昨日任地に帰ってきて、今朝
「近所の◯◯さんの奥さんの父親が亡くなって、今日埋葬があるけど、エナンは呼ばれてる?」と大家さんの息子に話しかけられた。
いや、知らされてない。
そう告げて僕はまたベッドに横たわった。
大乾季。照りつける太陽がトタンの屋根を貫いて、部屋の中まで直射日光が届いている位暑かった。僕はその屋根を仰向けに眺めながら。「失われた」一つの命を想った。
幾つの命が一日で失われるのだろう…。
いや、失われるという感覚さえも本当はまやかしなのかもしれない。だって「生きている」事さえも僕たちはきちんと理解していないのに、どうやって「命のおわり」を定義するのか。
1+1が2になる事をきちんと説明出来ないのに、高度な計算をしてるような気分。
生きてもいないし死んでもない。それは他人に認知されて初めて「形」としてなしている。そんな不思議な世界に僕たちは「いる」
少なくとも一年間、僕はこの投稿を読んでくれる皆さんの中で生きていました。生かされていました。
皆さんが物理的に、経済的に、そして精神及び心理的に支えてくれたおかげ僕は存在しています。その事をこの場を借りて感謝します。そして、帰国した際にはこんな「変わった」僕ですが、暖かく迎えてくれると嬉しいです。
僕もみんなに会いたいです。
あと一年間。何が起きても、僕は皆さんの中に生き続けています。
本当に心から、ありがとうございます。
この世界に生まれて良かったと思います。
01/14/2018
えなん