Blank Of Puzzle

日常や読書の感想を書き綴ります。
優しく見守りください。

【祝】一年経ちました

2018-01-14 18:01:47 | 日記
【一年間生きてました】
幾つの命が一日で失われるのだろう。

そう考えると、昨日、今日そして明日と少なくとも自分の命が続いて行くことはそれ自体が奇跡のように思える。
昨年の一月十一日にここウガンダに到着してから丁度一年が経過した。とても早いようで、様々な事があった。
今日はこの一年間を随筆的に振り返ろうと思う。

想像していた「国際協力」や「開発」は、いま思うとただのユートピアだったように思う。「便利なこと」は「いいこと」だろうか? そんな疑問は日本に居るときには決して浮かばない問だっただろう。

「外国では…」と簡単に言ってしまうが、数多直面する異文化という壁はもっと小さな個人レベルで考えるものだ。
例えば日本人だって服のたたみ方が違うとか、部屋を綺麗だと思う感覚が違うなんてことはよくあることだ。
外国または外国人は…と割り切ろうとしてる時点で、まだ心理的には全く祖国を出れてないのだろう。僕は勝手に『心理的鎖国』と呼んでいる。
最近はその感覚がやっと「この人は…」と考えられるようになったから、一歩前進としよう。
一年経ってたったこれだれ。しかし、とても大切なこと。僕はそう思う。

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『他の生徒に迷惑だろ!』と授業中に騒がしく喋ってる生徒にそう注意したことがある。
しかし『so what?』(だから?)と憎たらしく言い返された。

ただその後「周りに迷惑をかけてはいけない」というのはとても日本的な躾で、ここの生徒には響かないと反省した。
どうやって伝えたら生徒の心に響くのだろう。現地の先生に聞けば「言うこと聞かない奴は叩けばいい」と平気で言われる。
…難しいものだ。

この学校に通う多くの生徒がウガンダ国内に住み一生を終えるかもしれないと考えると、一体何のために、日本から来た僕がこうも奮闘しなければならないのか。
時々疑問に思うことがある。

心とは誰かから誰かに受け継がれていく。

身体的特徴が両親から半々受け継がれるように、心的な特徴は関わった人の傾向が少しずつ混ざり合って自分を作り上げる。

そう言う意味で、
ウガンダ出身の人はウガンダで、
日本出身の人は日本で、
教育に携わる方が圧倒的に合理的である。

しかし、変わりゆく社会や世界を考えるなら必然的に教員にも柔軟性が必要とされてくる。とりわけ公教育は資本主義原理の影響が少ないとされるものの、内情は「他人との比較」がなされていることが多い。

「周りの人と同じ事ができない」ことが「問題」とされてしまう世の中。その認識が変わるのはいつなのか。少なくとも僕は「周りと違う人」そういう人に寄り添っていたい。

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ウガンダ隊の中でも、僕自身隠すことも少なくなって来て「最初に思ってた印象と凄い違う」と言われる事が多かった。

他人と変わっている と自認し始めたのもそんなに前ではないけれど、同時に別にそれで良いって思えたからとても楽だ。

「あなたに幸せになってもらいたい」

この言葉は、一見思いやり深い言葉に見えるが、言い手側の「幸福論」を相手に押し付けてる印象が強い。
自分自身の幸せさえも認知してる人が少ないのに、他人から見てその人の「幸せ」なんてそう簡単に分かるわけがない。

「あなたの幸せを願っている」

言葉で伝えられることなんて、せいぜいこの程度。そこに、他人が入る余地なんて果たしてどれほどあるのだろう。

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昨日任地に帰ってきて、今朝
「近所の◯◯さんの奥さんの父親が亡くなって、今日埋葬があるけど、エナンは呼ばれてる?」と大家さんの息子に話しかけられた。

いや、知らされてない。
そう告げて僕はまたベッドに横たわった。
大乾季。照りつける太陽がトタンの屋根を貫いて、部屋の中まで直射日光が届いている位暑かった。僕はその屋根を仰向けに眺めながら。「失われた」一つの命を想った。

幾つの命が一日で失われるのだろう…。

いや、失われるという感覚さえも本当はまやかしなのかもしれない。だって「生きている」事さえも僕たちはきちんと理解していないのに、どうやって「命のおわり」を定義するのか。
1+1が2になる事をきちんと説明出来ないのに、高度な計算をしてるような気分。
生きてもいないし死んでもない。それは他人に認知されて初めて「形」としてなしている。そんな不思議な世界に僕たちは「いる」

少なくとも一年間、僕はこの投稿を読んでくれる皆さんの中で生きていました。生かされていました。
皆さんが物理的に、経済的に、そして精神及び心理的に支えてくれたおかげ僕は存在しています。その事をこの場を借りて感謝します。そして、帰国した際にはこんな「変わった」僕ですが、暖かく迎えてくれると嬉しいです。

僕もみんなに会いたいです。
あと一年間。何が起きても、僕は皆さんの中に生き続けています。
本当に心から、ありがとうございます。
この世界に生まれて良かったと思います。

01/14/2018
えなん

ウガンダ日記 生活編4

2017-09-22 19:30:10 | 日記
こんばんは。またご無沙汰していましたエナンです。

9月の学期間休み約二週間が丁度終わり、今週から三月期が始まりました。学期間休みには何してるの?
今回はそんな事を少しお話しようと思います。

最初の方にお伝えしたかも分かりませんが、ウガンダの中等教育は三月期制。
一学期が2〜5月初め
二学期が5月末〜9月初め
三月期は9月末〜12月初め
となって、その間は休みになります。日本のように夏がないので、夏休みとは呼びません笑

基本的には先生も休みです。
しかし、(少なくとも僕の配属されている学校は)具体的な年間予定みたいなものがなく、いつからいつまでが授業なのかは雰囲気か言伝で知ります。。。とほほ

学期間休みで僕達ボランティアがすることは大きく3つ
・隊員どおしの意見交換会
・補助的、追加的な活動
・休暇

■意見交換会■
ウガンダ隊は現時点で約80人
そのうち30人程度は学校に配属されています。
学期間休みには半日を使って「教育分科会」という意見交換を行います。先学期の活動の反省というところ。

学校隊員といえど、初等か中等か、理数か体育かコンピュータか
、科目ごとに抱える課題は異なっているのでお互いに相補して活動を円滑に進められるようにしています。

■補助的な活動■
平常授業があるときには出来ないけれど、やったみたいこと。というものがありますね。日本で言うなら特別活動と呼ばれるものです。
冒頭に示した写真は運動会。実は運動会は日本産。こっちの子どもたちはまっすぐ並ぶのも難しいんです。日本の体育教育は少し特殊ではありますが、その益もたしかにあるようです。



しかもこの運動会。何が特殊かと言うと開かれたのはウガンダ西部の難民キャンプ。子どもたちはコンゴ民主から逃れてきた「難民」と呼ばれる子たち。

興味本位で参加したものの、どの国でも子どもの笑顔は本当に変わらなくて、こちらが救われたように思います。ありがとう。

■休暇■
すこし、申し上げにくいのもあれですが。時には遊んでいます。
任国内旅行、任国外旅行、美味しいものを食べたり、文化、歴史、自然を学びに行ってます。

この休みに僕は隣国ルワンダ共和国を訪れました。日本の九州と同じくらい?の小さな国です。
アカゲラ国立公園で一日かけてファリを経験しました。ライオンが見れなかったのは残念でしたが。


オリのないとこで動物を見るのは初めてだったのかなと…恥ずかしながら感動。今度はライオンが見たい。

また、ルワンダと言えば20年前の内戦が有名なところ。実際に目にしてしまったからこそ軽率に言えませんが、その傷跡が本当に生々しく残っています。

サファリカーを運転してくれためちゃくちゃ親切で丁寧なガイドさん。(ピーターさん)
彼もまた家族の殆どを亡くしたそうです。その話を聞いてから彼の笑顔を見るとこっちも笑ってあげるべきなのか…
僕にはまだよくわかりません。


以上、3点が学期間休み中にやっている事です。
『休んでないで仕事しろ、協力隊は税金だろ!』とおっしゃる方もいらっしゃいますが休みだからこそ学べることが確かにあると、僕はこの休みに感じました。

日本にいるときには海外旅行さえしたことなかったのに、まだまだ世界は広いと肌で感じました。そうして、人として、また日本人として、僕の経験を僕らしく、日本の皆さんに還元したいと思っています。

さて、三月期は少し短いので気張って仕事をしようかな。
パソコンが壊れたのがめちゃくちゃ痛手です。

とほほ。。。

ではまた!
日本の皆さん秋はもうすぐですね!!楽しんで!

【二学期終わり】ウガンダ日記 その9

2017-08-31 08:50:38 | 日記
さて、やっとのことで二学期を終えることができました。明日から新学期の日本とは対照的ですね!
ここウガンダでは相変わらず厳密さに欠く部分はとても多いのですが…終わりは一応終わりということで。振り返ってみます。

二学期が終わったということは、
事実上僕の任期の3分の1が終わったことで、やり切れない気持ちも多いですが、少し初心も思い出しながら反省していこうと思います。


【協力隊のイメージと実態】
「青年海外協力隊」皆さんも電車やバスで中吊り広告を一度は見たことあるのでは?と思います。
『世界も、自分も、変えるシゴト』とか書いてあるやつですね。

(JICA HPより画像引用)

僕も知ってはいましたが、なんでわざわざ日本から不便な途上国にボランティアに行かなあかんねん。と斜に構えていたこともありました。「国際貢献」とか興味ないし語学もそんな得意じゃないし。と

皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか?
よく言われることには「なんかすごい」とか「志が高い」とかですが、僕自身はそう言ったポジティブな意味でここに参加した訳ではありません。
半ば日本から逃げるように、気づいたらここに居たように思います。他にも単に仕事を辞めたかったから、旦那さんが行きたいと言って一緒に受けたなど。
もちろん子どもの頃から夢だったとか、海外での仕事に憧れてるなどの動機をお持ちの方も沢山います。

きっかけは何であれ、参加する意志は同じもの。それがボランティア隊員になったのならば責任を果たさねばなりません。

【協力隊の是非】
青年海外協力隊、もしくはシニア海外ボランティアを運営する日本国際協力機構(JICA)は独立行政法人なので、その資金は税金から賄われています。

青年海外協力隊は選考、訓練、派遣、そして帰国と二年間のうちに一人あたりにかかる費用もバカにはなりません。
しかし、隊員の中にはあまり真摯に活動せず海外旅行にでも来たかのような写真をネットにあげる隊員も僅かに居て、一部の国民からお叱りを受けるなんて事態も過去にはあったようです。

僕自身、学期中にはそりゃ仕事をしますが。はたして生徒のため、現地の先生のため、そして学校のためになっているのだろうかといつも不安になり、僕の活動意味あるのかなぁと空虚に悩むことも多いです。

【ボランティアの目的】
悩んでいたら、ふと僕達ボランティアの目的ってなんだったっけ?と戻るところを探してみました。

僕らにも一応きちんと堅い目的があって
(一)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
(二)友好親善・相互理解の深化
(三)国際的視野の涵養とボランティア経験の社会還元

簡単に言えば
「活動して、現地の人と関わって
その経験を日本の皆に伝える」ってことで、、いいんですかね?

だとすれば、このブログにもいい意味がある!なんて…

また『青年海外協力隊5ヶ条』なるものもあり、

1.共に住んで、異民族の心を知る
2.その住む国を鏡に日本の姿を見る
3.こうして、実践裡に、大いなるもの、国と世界に開眼する
4.そのときも、そのあとも、おおらかな夢に生き、
5.静かなる人間革命に先駆ける。
(JICAボランティアhandbookより)
あれ?活動のことは書かれてない…

実はそうなんです
何回か申し上げているように、協力隊の活動が日本における仕事と一線を画する点それは『成果への重要度』というところ。
民間企業は成果を出してなんぼなところがありますが、協力隊は日本国民(特に若者の)教育といった観点もあり、なるほどと思うところ。

そ、そうか!これならむしろ「精神的に強くなりたいなぁ」と思っている僕にもピッタリな目標ではなかろうか。



世界は広い。
そろそろこの生活も満8ヶ月。
それだけでも見えたことはたくさんあります。話したいことたくさん溜まってきました。

日本に帰ったら会いたい人が沢山います。

だから、もうすこしゆっくりとここで自分と世界と向き合ってそして静かなる自己改革に努めていこうとおもいます。

今日からお休みなのでまた、楽しげな写真をお送りしますね。
それでは、日本の皆さんどうかお元気で!ヽ(´ー`)ノ

ウガンダ日記 活動編8

2017-08-19 13:37:20 | 日記
お久しぶりです、エナンです。
ブログもほったらかして何をしていたかと言うとちゃんと(?)仕事をしていました。

何がそんなに忙しいのか
というと、試験です。

試験期間は日本でもどの学校だって忙しいですが、
ウガンダでは試験期間
=授業のない期間
=バックレる先生が割といる
=試験運営する先生は人手が足らずに3倍忙しい

根本的な問題が山積みですが
この期間はさらに!複数の試験が同時にのしかかりました。。。
3つの試験を概説した後にまとめてみます


1、MOCK試験(モック)
まず、受験生(candidates)には3学期に迫る本試験に向けてプレ試験があります。それがMOCK exam
このMOCK、なにがしんどいかというと各科目ペーパー1とペーパー2とありそれぞれ2時間半程度の試験時間が設けられています。一日に2科目しか消化できず合計三週間くらいを使い試験をやり続けます。

日本のセンター試験とは対極的な時間の使い方ですよね
センターの模試なんて5教科7科目一日で終わらせるし

2、SESEMAT試験(セセマット)
Secondary Science and Mathematics Teachers' (sesemat) Programmeの略です。
実はこれ、そもそもJICAが持ち込んだ理数教育法強化プログラムで、今年の8月いっぱいでウガンダ政府に移管されます。

その折だからなのか分かりませんが、理数科目だけ1から3年生に試験が課されました。
しかも、各科目10ページを超えるボリュームで。
数学ではゼロ点続出とかいう悲報も耳にしました。

国と国とでやり取りをするのは結構なことです。教師の仕事は忙しくなる、生徒には難しすぎて学習効果としては不適切。現場無視の政策の典型のような気がして、僕はとても気分が悪くなりました。

3、EOT試験
なんてことはない期末試験です。End Of Term、2期末試験。
しかし、これはこれでまた大変で上記二個の試験をやりながらなのでほんとに人が足りない。

1学年200人超いる、複数クラスの生徒をワンオペしないといけません。もはや、カオスです。
開始合図前に解き始めたり、
終了といっても解くのをやめない
カンニングは横行、
喋ったり、定規、計算機、鉛筆の貸し借りは当然のように。
神経すり減ります。


そうして、やっとすべての試験が終わりそう(厳正さには問題がありありだけども一応終わりそう)というところで今日もまた土曜日に何故か現地の先生ではなくて僕が試験監督に呼び出されています。

協力隊の活動として
「自分がいなくなっても持続出来る活動」が原則です。しかし僕がここ最近してることは完全にその性質を逸していて頭を抱えることも多く、報告書に何を書けばいいのだ!と思うこともあります。しかし僕は僕の正義に従って活動を進めています。
迷ったときは自分の正義。

日本社会でも同じことですが、
「貢献」というのは、本来目に見えたり文字に起こすことのできないものなんだろうなと思うようになりました。
目の前で困ってる人がいるなら、四の五の言わずに助けるでしょ。成果に目がくらんで仕事の大小を選ぶような人は、僕は人間として大切な部分を欠いているように思います。
それで結局、僕が痛い目を見るのですが…_(:3」∠)_ケースバイケースって便利な言葉ですね。

では、もう少しで学期間休み
休みには旅行も計画してるので!もうちょいがんばるです

ウガンダ日記 活動編7

2017-07-28 19:59:08 | 日記
こんばんは。気づけば七月が終わりそうで焦りを隠せないエナンです。

ウガンダの2学期は6、7、8月。
そんなわけで、そろそろ期末テストを作る時期です。(写真は僕の作った中間テスト)テスト前後は日本でもそうであるように、そこそこ忙しいです。

今週の仕事は主に「テストを打ち込む」こと。
日本であれば、学校、企業、役所問わずにある程度のパソコンスキルがある事を前提としていますがウガンダはそうでありません。

日本人の一般的にパソコンが使えるというレベルはウガンダではマスターレベル。
(といっても、僕の母もあまり得意ではありませんが)

パソコンが使える人は
秘書、情報の先生、他教科の先生あと2人くらい。
「使える」と言っても、日本の使えるのレベルを想像してはいけません。キーボードは人差し指だけで打つ、コントロールキーはほとんど使われない。
そんな感じです。

なので、試験の作成も各々先生が手書きで書いたドラフトをパソコンが使える我々でMSwordに打ち込みます。そう、wordに。
この作業話では「ふーん」という感じですが、意外とヘビィな仕事

何故か!

その一、現地の先生の手書き英語が汚過ぎでよめない。

本当に読めない。
clとdとか、tとrとか、rとsとかも
???となって小さなイライラが溜まってきます。字はキレイに越したことはありません。美しい字を書くのではありません。読みやすい字を心がける努力を見せてほしい。だから日本では多くの企業がこの時代でもまだ履歴書を手書きで書かせるわけですね。
まぁ、ウガンダでは…通じませんが。

その二、wordであること
僕は本当にwordが嫌いです。ワードは基本的に文字を打つことしか想定されていないので、絵や図、数式なんかが入ってくるとレイアウトがグチャグチャになる。
というか、揃えることも出来るけど少しテクニックがいるので、他の先生には難しい。
しかし、そこは流石ウガンダ(馬鹿にしてません)レイアウトがグチャグチャでも誰も咎めない!

……(良く言えば)寛容!!!!

僕の心は日本人なので
「っっっっぬぁぁああ!気になる!」ってとこ沢山あります。

問題文と回答欄がページの切れ目をまたぎ表と裏に分かれるとか、
数学の角度で120度より150度が小さいとか。✕(かける)の記号の代わりにx(エックス)を使ったり。すべて気になりますが…まぁそこは目を瞑るしかありません

Excelならもうすこし、
できるんだけどなぁ。

その三、圧倒的な人数不足
英語、歴史、地理、美術、数学、化学、生物、物理、農業、宗教、経済、情報、、、と12科目
これが、6学年あるのでざっと72科目あります。(ホントはもう少し多い)

日本もそうですが、締切を設定するとギリギリに出す人が半数以上います。
テスト開始まであと3日しかない!!!そんなときに36枚の下書き持って来られても、僕と秘書とで打ち切るには処理量的に無理です。普通の授業もあるし。

さらに、英語の文章題の問題文は全て手打ち込み、数学の式も謎の作り方、その他の図は印刷してからの手描き。

パソコンのいいところを使えていないじゃないか!!!!!


そんなイライラを抱えながらお茶(激甘ミルクティー)の時間にICT(Information and Communication Technology)について、少しぼーっと考えてみました。

コンピュータに関して、それを扱える人をリテレイトと言いますね。ICTリテラシーとか言うやつです。リテラシーとはもともと言語、識字率という点に使われる言葉ですが。ICTなんだろうと思っていました。うーん。

かく言う僕も、小学生の頃から父のパソコンをいじり、ペイントで遊んだり、Wordであそんだり、ネットをサーフィンしたり、チャットを遅くまでやっていたり、ツイッターばかり見ていたり、、、。
そんなことをする中で知らずにパソコンを使う上でそこそこ以上のことは出来るようになりました。
ウガンダの家庭には一般的にパソコンがあるはずもなく。
日本とは圧倒的に触る時間が違います。

「っあ!これは丁度日本における英語教育と同じだ!!!」
と気づいたのが今週の発見。

ウガンダの「普通の社会人」は英語が喋れて当然です。僕達のように拙い英語をしどろもどろ話すなんてことは無い。きっと彼らは「何で、日本人は英語をこんなにも喋れないんだろう、イライラ」としているに違いない。

それも同じ理由。
彼らは小学生から英語を使って授業を受けているし、英語が読めないと教科書も読めない。まして、科学において例えば白血球なんて言葉は現地語に存在しないので、欲しくてもテキストが作れない。白血球はLeukocyteと英語で書くしかないんです。

そこに気づけたので、イライラしない訳じゃないけど僕も英語出来ないのに皆辛抱して聞いてくれるし、謙虚に現地の先生たちのやり方に合わせています。

国際交流の掟。
どんな違いがあっても、それを原因に相手を見下さない。
言葉で言うのは簡単だけど、
人間は心理的に平気でこれをやる。
無意識に心の均衡を保とうとするから、ある意味仕方ないけれど、気をつけなければならない。

できること、できないこと、
そりゃ差はあるんだけど、
できる事で貢献する。これが全て。

皆さんにも必ずあります。

そしてそれは恐らく
自分からしたら「なんでもない事」であるに違いありません。

丁度、笑顔が素敵な人が
自分の笑顔を見れないように。
いい所は見えにくいものです。
でも、決して自分を落とさず
できる事を確実にこなしていきましょう。ね。

ではまた、皆さん素敵な夏休みを
ヽ(´ー`)ノシ